• ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:以下は古代ギリシャにゲイが多い事と無関係ですか?)

古代ギリシャの男性のセクシーさについて

このQ&Aのポイント
  • 古代ギリシャの彫像や壁画、映画などで描かれた男性の姿はセクシーで魅力的だと感じる。
  • 古代ギリシャの兵隊さんや他の男性の姿は、現代の一般的な男性に比べてセクシーでエロティックな要素が強い。
  • ただの裸や銭湯などはあまり興奮しないが、古代ギリシャの男性の肉体美やチラリズムなどはエロいと感じる。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • moritaroh
  • ベストアンサー率56% (658/1172)
回答No.2

再回答です。 古代ギリシャにゲイが多い、というより、古代ギリシャでは、ストレート、ゲイ、バイセクシャル、レズビアンといった区分けがそもそもなかったのでは? 性愛に関して、それが男女間に限ったことではなく、同性であっても成立していたのだと思いますし、先の回答は、そういった例、ということです。 愛、という概念を、現代では「恋愛」を中心に置き、男女間での恋愛や同性愛といった区分けにしてしまっていますが、古代ギリシャの愛にはストルゲー、エロス、フィーリア、アガペーの4つの概念があり、そのうち現代で言う恋愛に近いエロスも、実際にはもっぱら「自己を充足させる愛」という意味であり、他者、特に異性との愛や性的欲求を示すものではなかったようです。 ですので、ストルゲー(家族)、エロス(自己)、フィーリア(友人)、アガペー(神)のどれであっても、その愛の対象に向け性的な欲求が存在していると考えてもいいか、と思います。

GreenLink
質問者

お礼

ありがとうございます。 本当に詳しくて分かり易かったです。 正直な所現代的な「恋愛」を中心に置いて異性愛だの同性愛だのという分け方をするのが、今では主流なのはどうしてなんでしょうね。 率直な意見を言うと、それだと性愛を幅広く捉えることが出来ず、結果正しく表現ができない事で理解を得られなかったり、説明の付け様が無かったりする物が多く感じます。 ちょうど三次元の物を二次元に描いて、奥行きや角度がどうなっているのかが無視されてしまう。 複素数を計算しなきゃいけないのに、実数しか計算しないので正しい計算ができないかの如く。 ベクトルで計算しないといけないのに、なぜかスカラーで計算している。 恋愛のみを主軸にすると、性愛の本質って見えないなと感じます。 むしろそのストルゲー,エロス、フィーリア、アガペーで表した方がずっと分かり易いと感じます。 自分が質問文で挙げた様に、古代ギリシャ兵やプロレスにエロを感じる、性的要素を感じると言っているのも、同性愛というくくりで考えるよりは、エロス(自己を充足させる愛)として捉えた方がむしろ近いんじゃないかと感じます。 実際の所、性愛(性的要素を含む愛)ではあるが、典型的な異性愛者や同性愛者が言っている様な恋愛とは似て非なるかなと僕は思っていますし、具体的な性的欲求とも言えないと感じるのです。 その、「自己充足」に対する重さがすごく強く感じます。 どっちかというと、古代ギリシャで主流だったエロスのあくまで「見た目」「大枠」を現代風の異性愛だの同性愛の枠に当てはめると、ゲイセクシャルやバイセクシャルに近い描写になる、というだけのことなのでしょうかね。 勘違いをしていたら済みません。

その他の回答 (1)

  • moritaroh
  • ベストアンサー率56% (658/1172)
回答No.1

いろいろな考え方があるのですが、キリスト教が伝播してくる以前の世界は、多くが同性愛に関して肯定的だったと思われます。 日本でもそうで、同性愛を大っぴらに禁止としたのは、明治時代に入ってからです。 宣教師ザビエルが、織田信長の同性愛志向について日記に苦言を記しているとされるのですが、戦国大名も、相当な同性愛志向を持っていたのが普通でした。 また、古代ギリシャなどでは、ギリシャ彫刻の男性神像に象徴されるように、崇高な精神は頑強な肉体に宿る、といったマッチョ崇拝の文化が強かったように思います。このあたりは現代でも、日本と違って欧米での男性像=マッチョ、という美的感覚につながっているのだと思いますね。 ただ、さまざま見解がある、という部分のもうひとつとして、マッチョ崇拝の背景には、女性蔑視の思想が強かったのもあります。 これは、女性そのものを差別的に見ていた、というわけではなく、まだ医学がそれほど発達していない古代、女性が定期的に月経血を流すのを不吉だ、としていたようです。これは古代のヨーロッパ社会でも戦国時代の日本でも、そして現代のアフリカや南米の少数民族などにも残されている考え方で、男性にとっての血とは「戦いでの死」に発想的に直結するので、この理由から月経血を流す女性を不吉で汚れているとし、また、特に処女との性交は血でペニス(男性の強さのシンボル、的な解釈)が汚されるので不吉極まりない(もしくは『去勢』的な意味合い)と、男性は子を宿す目的以外で女性と交わってはいけないとされていたそうです。 特に「戦士」にはその傾向が強く、戦いに勝利し生還した際の宴で女性と交わることはあっても、戦いに出る前には女性と交わらない、という感じですね。そのため強い男同士で性交を繰り返すのが、力を蓄えるのに効果的だ、などと考えられていたそうです。 しかしこの点で、女性が現代よりも男性から性的に自由であったとも考えられます。男性に隷属する、というよりは、女性は女性の性を自身でより自由に行使することができたので、今よりも「娼婦」的な存在の社会的権威は強く、ある種の呪術師的な立ち位置も持っていたとされます。 キリスト教になるとこれが反転し、特に聖母マリアのエピソードなどから、女性は処女性が重要とされ、夫となる男性以前に性交を体験している「非処女」は汚れ、とされました。これにより、ある種、女性の「性」が封印されてしまった、と考えることもできます。 「かっこいい古代ギリシャ兵」は、そんな意味で、マッチョであることを自他共に認める誇りとして持っていたのであり、また男性同士でそれを認め合うことが当たり前でした。しかし戦いに勝利すれば、念願の女性との初性交もできるわけで、性欲もたぎっていた、ということですね。 ですので、一種のアドレナリンが、性的なフェロモンとも似た効果を持っているのかもしれません。 そう考えれば、古代ギリシャ兵とプロレスラーが結びつきますし、アドレナリンを放出せずに性的快楽を得ようとするAVなんかにピンとこない理由も説明がつくでしょう。

GreenLink
質問者

お礼

ありがとうございます。 意外にも全く無関係ではなかったようですね。 あと、ゲイというよりもバイが多かった感じですね。

関連するQ&A