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平家物語(屋代本)

白河殿についての記述で、『高倉院御在位ノ時ハ、後白河法皇ノ御母代トテ准三后宣旨ヲ・・・』とあったのですが、高倉院は後白河法皇の息子ですよね?高倉院が在位しているのに、その父親の御母代?と、分からなくなってしまいました。以前御母代をしていたと解釈してもいいのでしょうか?

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回答No.1

高倉院御在位ノ時ハ、後白河法皇ノ御母代トテ准三后宣旨ヲ・・・ の「後白河法皇」の部分がなければつじつまは合います。 白川殿は高倉院の准母(御母代)として准三宮の宣旨を賜っていますので。 後白河法皇の准母は実姉の上西門院です。 (もし白川殿が准母なら18歳年下の「母」になるのでおかしい)

trente-deux
質問者

お礼

ありがとうございました。 白川殿の歳を全く考えていませんでした・・・。

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