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山田風太郎の戦中派不戦日記の驚き
- 山田風太郎の『戦中派不戦日記』は、読者に既視感をもたらす文章が散りばめられています。
- 『戦中派焼け跡日記』と比較すると、『戦中派不戦日記』の方がより整った表現がされています。
- 山田は二十一年以降の日記を上梓する予定はなかったため、『戦中派不戦日記』には二十年の出来事が織り込まれています。
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質問者が選んだベストアンサー
わー、すいません、もういちどご質問を読み直してみたら、ずいぶん寝ぼけた回答をしていました。 ご質問は、 ・記述に重複箇所が見られること ・その事実を鑑みるに、『不戦』は、内容的に、後の手が入っているのではないかと思われること というものだったんですね。 ごめんなさい。 初出誌含め、これまで出版されたすべての作品を丹念に比較するという文献学的手法をもって調べていけば、おそらくその真偽を確定することとは可能だと思います。 それをしないで推測で答えてしまうのですが、おそらくご推察の通りではないかと思います。 先の回答でも書きましたが、『焼け跡』は死後出版であるため、記述を書き加えたりすることは物理的に不可能であるからです。 >文章に斧鑿を加えるのって、えええ、ちょっと待ってください山田先生、って感じなんですが。『不戦』のあとがき(第二段落)でおっしゃってることと違ってません? とお書きですが、この部分、「現在の(注)を入れたい衝動を感じた」けれども、そういうことはしなかった、という以上のことは書いてありません。「現在」の手による編集はしていない、とその旨が明記してあるだけです。 ここまでくると、どこまでを許容範囲とするか、のもんだいになってくると思うのですが、日記・私信の類であれ、「作品」として発表されたものは、著者による編集の手が入る可能性は否定できません。上梓を前提としない部分のおもしろそうな記述を生かしたい、残したい、という願望が風太郎の内部にあった可能性は、十分にありうると思います。 >この絶倫の史料は、もしかして、というより、やはり、全篇にわたって手が入ってるんでしょうか? 「手が入る」の解釈によると思います。 読み返す、誤字・脱字を補う、日記にはありがちな、欠けていて、文章の体を成していないものに、文章の「身体」を与える。そうした意味で、手が入っていないはずがありません。 質問者さんが覚えられた違和感、というのは、その範囲を超えるものではないか、ということですね。 このことに関しては、あくまで私感です。 わたしは、書き手としての風太郎を信頼します。 二十一年以降のトピックスのいくつかを『不戦』のなかに移したところで、『不戦』の価値がいささかでも減ずるものではないと考えます。 おそらくは、移すにあたっては、「書き手」としての風太郎の判断と裁量があったものだと思うのです。 おそらくは「日記」そのままではないでしょう。けれども、それが「日記」というタイトルを冠した創作であるとも断じることはできないと思います。 これを質問者さんに納得してほしいとか、理解してほしい、と考えているわけではありません。 不十分な回答であるかとは思いますが、時間もなくなってきましたので、こんなところで。
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- ghostbuster
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補足欄を拝見して、回答に窮し、激しい徒労感に襲われました。 まずなによりも、議論をするつもりはありません。 歩み寄るつもりのないかたに、言うべきことばも見当たりません。 別に言語実体論をあくまでも譲るつもりがないのなら、それはそれでかまいませんが、せっかくの機縁ですので、あまり専門的にならない範囲での参考文献を、思いつくままいくつかあげておきます。 わたしの拙い説明よりも、ご自身でお読みになって、判断してください。 もしソシュール言語学について、理解を持ちたいというのであれば、さしあたってこの菅野先生のサイトがよくまとまっているでしょう。 http://www33.ocn.ne.jp/~homosignificans/semiotics.htm 別にトマトが野菜かくだものか、というのは一例にあげただけで、ほかの何であってもかまわない。「ヘリコプ ターは飛行機か否か」「うつぼは魚か否か」という例が、ここではあげてあります。 ・千野栄一『言語学フォーエバー』(大修館書店):ただし、それを扱った第一章は比較的とっつきやすいですが、全体としては言語学の中級者向けといった印象。決してわかりにくくはないのですが、扱っている領域はかなり専門的です。 ほかにソシュール言語学についてわかりやすく書いたものとして ・田中克彦『言語学とは何か』(岩波新書):この人は多少特殊な知見をお持ちの方ですが、この本は入門書として優れている。 それを読んでさらに理解が深めたい場合は ・丸山圭三郎『ソシュールを読む』(岩波セミナーブックス2):講演がもとになっているだけに、非常にわかりやすい。 言語の分節化のもんだいについては ・丸山圭三郎『言葉と無意識』(講談社現代新書):動物の「身分け」に対して、「言分け」という概念がわかりやすく説明されています。 さらにテクスト論の基本的立場として ・ロラン・バルト『物語の構造分析』『テクストの快楽』(ともにみすず書房)『エクリチュールの零度』(ちくま学芸文庫) テクストの読解に関して ・富山太佳夫『文化と精読――新しい文学入門』(名古屋大学出版会) ・松澤和宏『生成論の探求――テクスト・草稿・エクリチュール』(名古屋大学出版会) 物語とはどういうものかに関して ・ハンナ・アレント『人間の条件』(ちくま学芸文庫) 歴史が遡及的に築かれていくことに対して ・スラヴォイ・ジジェク『汝の症候を楽しめ ――ハリウッドvsラカン』(筑摩書房):これは大変おもしろいのだけれど、ラカンに対するある程度の基礎知識が必要なので、その前に難波江和英・内田樹『現代思想のパフォーマンス』(松柏社)を読んでおくとずいぶんわかりやすくなるはずです。特にラカンの章だけでも。
お礼
では御高教の理解を断念いたします。御親切ありがとうございました。
- ghostbuster
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ごめんなさい。せっかく補足要求していただいたのに回答が遅くなりました。 確かに「ことば」に関してはずいぶん端折って書いてあるので、わかりにくいですね。こんなふうに補足いただけると、荒い点など把握できるので、助かります。ありがとうございます。 まずもういちど確認しましょう。〈ことば〉は〈もの〉の名前ではありません。 ことば自身は、なんの実体もともなわない、恣意的な記号にすぎません。 「上」「南」「イヌ」「人間」「愛」「歴史」「真実」「自由」「平和」「民主主義」「解釈」「意味」「物語」、なんでもいいのですが、これらはすべて恣意的な記号であって、実体などどこにもありません。 つい二、三日前のことですが、トマトは野菜かくだものか、ひょんなことから議論になったんです。それまで携帯に見入っていた女の子たちまで、「シチューやカレーに入れるから野菜」「それを言うならパイナップルだって、酢豚に入れる」「フルーツトマトがあるから、くだもの」と侃々諤々、それぞれ自説を譲らず、白熱した議論になりました。 けれども〈ことば〉≠実体 に立つわたしは、こういうときどうしてもクールな(笑)見方をせざるをえない。 ソシュール的言語観に立つならば、どちらが正しいとは言えない、となるからです。 つまり、「野菜」「くだもの」という境界線など、恣意的に引かれたものにすぎません。 たとえば辞書には、「くだもの」「野菜」の「定義」(あくまでもかっこつき定義)は載っていますが、それにしたって、だれかがどこかで引いた、恣意的な境界線に過ぎないのです。だからこそ「草本作物が野菜、果実がくだもの」とあったって、ならばキュウリはどうなるのか、カボチャとメロンはどこで線を引けるのか、と、実感に合わない点はいくらでも出てきます。 実は、こうしたことばは各人が各様に定義を与えているに過ぎないのです。 --------- ヨーロッパ思想最大の虚偽が存在しているのは、『愛』という言葉による男女の結合においてである。その点では、我々の方が遥かにリアリストである。…… その実質において征服と被征服の関係であり、相互利用の関係であり、または肉体の強力な結びつきにおいて、対象を取りかえないことを道徳的に拘束するこの関係を、神の存在を前提としてのみ成立し得る『愛』によって証明してきたこの百年間に、異教徒の日本人の間に多くの悲劇が生まれた。 (伊藤整『近代日本人の発想の諸形式』岩波文庫) --------- 伊藤整はお好きではありませんか? わたしは伊藤の一種過剰なところが好きなんですけど。 ここで伊藤が言っているのは、明治より前の日本人は、「愛」という切り分け方をせずに、「慈悲」(他者にたいする気持ち)や「恋」(男女間の恋愛)という切り分け方をしていた。そこに、キリスト教と密接な関係をもつ「愛」ということばが、キリスト教抜きで移植された。従来は「恋」という切り分け方をされてきた心の状態に、そのことばをむりやり当てはめることで「無理、空転、虚偽をもたらした」、ということです。 トマトが野菜か、くだものか、という境界線が曖昧なように、「愛」ということばが指し示す範囲も、非常に曖昧であり、時代的・社会的コンテクストによって影響を受けるものでしょう。しかも、この語には、情緒的な要素も多分にあり(つまり、個人によってとらえかたはずいぶん幅がある)、多義性まで有している。 右-左、のように、単純な二項対立には解消できない、複雑で微妙な要素が多分に含まれています。 ですから、ここで二項対立の図式に当てはまらないから、差異の関係性のうちにはない、と言う議論は成立しません。 動物のなかに切れ目を入れて、ある種の生き物を〈イヌ〉というカテゴリーに恣意的に分類したように、わたしたちは、混沌とした感情に切れ目を入れて、ある種の感情を〈愛〉と呼ぶのです。 「愛」ということばがあるからこそ、わたしたちは本来なら、連続して、混沌としている心の中の世界に、切れ目を入れて取り出すことができるんです。 こういうのが「愛」なのか。 この気持ちは「愛」だ。 胸がドキドキしてるから「愛」なんだな。 なんかちがう。これは「愛」じゃない。 そうやって同じことを何度も繰り返すうちに、いつのまにか「愛」は、常に同一の、確固とした概念であるかのように錯覚してしまう。 けれども、どこまでいってもことばはことば、実体がないものですから、「正しい」定義は存在しないんです。 あゆみちゃんと、広辞苑さんの定義が、どちらがより「正しい」かは、言えない。 こうした立場に立つならば、歴史観Aと、歴史観Bのいずれが「正しい」とは言えないのは、おわかりでしょう。 「事実」は、単独の「事実」としては存在しません。「物語」のネットワークのなかに組み込まれてこそ、初めて意味を持つ。しかもその「物語」は各人の数だけ存在する。 そして、わたしのこの「物語」さえも、「正しい」と保証してくれるものは、なにもないのです。 ただ、招き“n”猫さんが、新たに何かを書き加えてくださるのを待っている「開かれたテクスト」でしかない。 どうですか? こういう考え方は?
補足
ご回答ありがとうございます。 言語が完全に恣意的(無根拠で自立的かつ自律的)な分節体系であるなら、それとずれて感じられるところの分節体系とは何でしょう? 「実感にあわない」というときの実感とは何ですか? 実感が感じている分節(言語と齟齬する分節体系)は何に由来するのですか? トマトは野菜です。疑問の余地はありません。「フルーツ・トマトがある」というのはむしろトマトが野菜であることの論拠のはずですが。 トマトの所属に関心を寄せる寄せないはソシュールの言語観にくみするか否かに関わるのではなく、料理をするかしないかの問題だと思います。なさらないかたにとってはどうでもいいことですが、する者は行為を決定せねばならんのでどっちかに決めてゆくことを日々要請され、トマトを果物として用いる場面など(砂糖で糖度を上げるか、糖度の異常に高くしたフルーツトマトを除いては)ないからです。 左の反対は右だというのはどうして分かるんでしょう。どうして上や下や裏じゃないんでしょう。二項対立のペアが自明の組合せだというのはどこから言えるんでしょう。 もしよろしければ、すでに下で申し上げたところの、なぜ二重否定が肯定と同値にならないかという疑問にお答えください。 一番お尋ねしたいことをもう一度もうします。言語の分節はいったい何とずれるんですか? 多分に含まれている複雑で微妙な要素とは何ですか。
- ghostbuster
- ベストアンサー率81% (422/520)
ポイントをビシビシついていらっしゃいますね。 非常にそこは重要な点です。 まず http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1269444 の#5をご覧ください。前半2/3ぐらいまででいいです。 わたしはテクストと読者の関係において、「正しい解釈」というのは、存在しない、と思います。 そのかわり、「深い解釈」という考え方をしたい。 ここでいうテクストとは、何らかの表現されたものならなんでもテクストである、という意味で使っています。 あるできごとを歴史という文脈のなかで見るならば、その歴史も、テクストである、と考えます。 「客観的な事実」などというものは存在しない。 そこにあるのは「物語」だけだ。 ふたつの「物語」がある。 どちらがより「正しい」ということはできません。 けれども、どちらがより「深い」ということは、できます。 「正しい」物語を探す、ということは、どこかにすごろくの「上がり」があると想定することでもあります。 「深い」物語には、「上がり」はありません。無限に、深く、深く掘り下げていくだけです。 ここで、「ことば」に注目してください。 わたしたちは、「ことば」を使って考えています。 非常に大切なのは、「ことば」はものの名前ではない、ということです。 ギリシャ人は「ある」とはどういうことか、大まじめに議論していましたが、いまわたしたちがそれを見ると、いささか滑稽なような気がします。 というのも、わたしたちは「ある」とは「ない」状態ではないこと、「ない」とは「ある」状態ではないこと、というふうに、「ある」-「ない」は、「ある」状態と「ない」状態の差異の関係でしかない、ということを知っているからです。 ことばというのは、このとおり、差異の関係でしかありません。 「ある」という実体がどこかにあるわけではない。「ない」状態ではない、という関係のうちにしか存在しない。 ところがある種のことばに関しては、わたしたちはギリシャ人と同じ思考をしてしまいます。 たとえば「愛」なんか、その典型ですね。なんとかことばを用いて「愛」の実体にたどりつけるのではないか、とこれまたギリシャ時代から人は考えていたわけですが、未だに多くの人が「愛ってなんだろう」と考え、ことばでそれを記述しようとする。なんとかことばを使って、「愛の実体」にたどりつける、と考えてしまうわけです。 何か例を引こうと思って、webを漁っていたら、こんなことばを見つけました。五歳の女の子です。 「おにいちゃん あゆみがもしもざりがにだったら そだててくれる?」 こんなことば、五歳の子に言われたら、グラッとくる。 広辞苑で「愛」の項目を引いて、一番最初に出てくる 「親兄弟のいつくしみ合う心。広く、人間や生物への思いやり。」 よりよほど、胸に響きます。 どちらが「正しい」というのではない。 「愛」というのは、何ら実体があるものではなく、差異のうちにある「ことば」でしかないのだから。 けれども、その「ことば」は、どこまでも深くなることができます。 テクストの解釈も、それと同じです。 『戦中派不戦日記』の確かさは、「事実」を記述しているからではなく、その時間を生きている、希有な人間である風太郎の内にわたしたちが入り込むことができる、昭和二十年三月三十日、風太郎と一緒に床屋に行き、床屋のおやじの舌打ちを聞くことができる、その確かさです。 ここで風太郎は、まわりを深く見ている。それをことばで表そうと、心の内側へ降りていって、できるだけ見た光景、聞いた音に近いことばを探している。 読み手も、通り一遍ではなく、テクストの内側に入っていくならば、より深い読みができるのではないか。 「朝日新聞の第二次大戦観」を初めとする、スローガンみたいな言説は、溢れるほどにあります。 そんなものは、スローガンをそれこそがなりたてるだけで、騒音でしかありません。 そうして、もうひとつ、そうしたものを目にしているうちに、わたしたちは疲労してしまう。 読み手ひとりひとりの解釈を可能にするテクスト、というのは、読み手からしてみれば、「わたしだけの解釈」、さらに言ってしまえば、「このテクストをここまで読めるのは、わたししかいない」という思い込みが可能なテクストだ、ともいえるのです。 この世には、多くの人がいて、多くの情報が溢れていて、そのなかで、ちっぽけな「わたし」の存在は、日々脅かされています。そういうなかで、「わたし」を見つけてくれる人を捜し、「わたし」の声を聞いてくれる人を捜そうとして、わたしたちはコミュニケーションを求めているのだと思うのです。 深いテクスト、「わたしだけの解釈」を可能にするテクストは、「わたし」の唯一無二性を保証してくれます。 だから、わたしたちは、「深いテクスト」にめぐりあったとき、生きている実感を味わうことができる。 逆に、スローガンをがなり立てるのは、わたしたちの存在を、壁か石ころに貶めることです。 だから、こういうのを聞かされているうちに、わたしたちは、最初は腹を立て、次第に弱ってくる、生きている実感を失ってしまうんです。 おっと、ほんとに行かないと遅刻しそうな時間になってきました。 相当荒っぽい、多岐に渡る回答をしているので、わかりにくいところがあれば、どうか補足要求なさってください。
補足
かさねがさね懇篤なるお教えを頂戴して感謝の念に堪えません。が、やや聞耳遠く疑義を覚ゆる点なきにしもあらず、考え込んでおります。 『戦中派不戦日記』のあとがきで風太郎はこの日記の中の自分と現在の自分とは別人のごとくである、と述べてから、すぐさまそれを打ち消しています。同じ感懐の表出が『戦中派虫けら日記』のあとがきでもそっくり繰り返されました。昭和二十年八月の敗北と乾坤一転を挟み、四半世紀以上の「歳月と教育」を閲して、違うと言えば全く違うものになった、ようでもあり、同じと言えば全く同じまま、のようでもある。 この矛盾を矛盾のままに、これ見よと差し出したこと、今ここからの解釈を厳しく拒んだことによって『不戦』と『虫けら』は比倫を絶する記録文学となったのではありますまいか。これを見ると敗戦以前を恥ずべき非行と醜態として完全なる抹殺を望む人の多さがむしろ不審に思われるほどです。 言語は差異の関係のみによって成立しているというのは本当でしょうか。もし本当なら、二重否定は肯定に等しくなるはずと思われますが、「好きでないわけではない」は「好きです」と明らかに異なります。好きなのか嫌いなのか、どっちつかずになってしまうのは、揺れ動くうちに経過する時間のせいでしょうか。それもあるかもしれませんが、言語を構成する項の数が有限ではなかったら、名付けによって幾らでも増えるなら、言語の世界が開いていたら、二度の差異化=否定によって元に還ってくることはできない理屈ではないでしょうか。 「おにいちゃん あゆみがもしもざりがにだったら そだててくれる?」という言葉にはハイ、なにかしら玄妙な力が感ぜられます。あゆみはざりがにとはきっぱりと異なる、けっして相容れない存在であるはずですが、言葉はやすやすと同一視(反差異化とでも言いますか)を可能にしてしまう、《ざりがにであること》の向こうに《あゆみであること》を透かし見る、ヴァイスヴァーサ、ということでしょうか。 ざりがにという言葉によってあゆみという事物を捉える、この記号と事物の関係は逆転もする、という。両者はともに曖昧かつ不完全な二つの平行する分節構造のカウンターパートである、という。どちらがどちらを決定している、というのではなく、両者相俟って成立するのが言語的認識である、という。 敗戦を挟んだ二人で一人の風太郎も同じような関係にあるように思われますが、いかがでしょうか。そういう分裂と対峙があって世に問われた『不戦』や『人間臨終図巻』なればこそ読む者を震撼するのではないでしょうか。
- ghostbuster
- ベストアンサー率81% (422/520)
未来ときましたね(笑)。 そうなんです。未来というのは、「物語り」の重要なファクターです。 わたしが偏愛しているポール・セローという作家のSFに『O(オー)ゾーン』という作品があるのですが、このなかに、呪文のように繰り返されるフレーズがあります。 「過去は不可解だが、未来はわかりやすい」 この本を読んだ当時は、ここの意味がよくわからず、ずいぶん頭を悩ましたのですが、いまならはっきりと理解できます。 つまり、過去というのは、〈いま、ここ〉にいる自分の存在によって、いかようにも変わりうる、刻々と変化し続けるものですが、未来というのは、招き“n”猫さんがおっしゃるとおり、 >そんな退屈なものは既にいま眼前に必然として静かに横たわる物語の内にある。 ということです。 逆に、「物語り」の語り手が過去を振り返る。 それは、未来を射程に入れた振り返りです。未来なくしては、現在すらも存在しません。 もうひとつ、小説をあげます。これまたわたしが好きなアン・タイラーの作品に『アクシデンタル・ツーリスト』というものがあります。 これはなんとも胸の痛くなる、思い出すだけで眼がうるうるしてしまうような作品なのですが、主人公は息子を不慮の事故で亡くしてしまうのです。その主人公は、最後に「もし死んだ人間も歳を取るなら、それは慰めにはならないだろうか?」と思うようになる。 つまり、永遠の彼岸にいようと、そこでもこちらと同じ時間が流れているとするならば、さらに言ってしまえば、死んだ彼に「未来」を与えることによって、息子との物語を、閉じた、完結したものではなく、開いた、いまに、そして、未来に続くものととらえることで、意味を与えようとする、ということです。 そうすることで、主人公自身がもういちど「現在」に戻ってくることができるようになる。 物語の口が閉じてしまっていては、人はもはやそこに新たな意味を読み込むことはできません。その時点で、その物語は終わり、風化が始まっていく。 >むしろそれに背を向けて、その外へ、何が何でも外へ向かおうとする、自分だけが思いつき、他をも納得せしめるような可能性の発見です。経験ではなく、人間の思路のありようそのものにのみ(いや、のみではないでしょうが、主に)依拠しつつ。 これは、「回想」に対する非常に鋭いご指摘です。 可能性を発見するために、振り返るのです。過去の読み込みは、つねにそのために行われる。 あらかじめ、「過去」というソリッドなものが存在しているわけではないのです。 非常に流動的で、刻々と姿を変えていく「物語り」をのぞき込む。それはなんのためか。話し相手との間に、意味を生成するためです。 もう少し言ってしまえば、経験ということを考えるとき、わたしたちは、一切の主観を排した純粋経験というものを日常では経験することはできません。それと同じように、経験を含まない思考というものも存在しない。自分の思考というものも、たえず既存のあらゆるものから織り上げられるなかで、形成されていくものです。 意味の生成ということを考えたとき、ご指摘の「笑い」という要素は、おもしろいものだと思いました。 わたし自身、意味を生成させたい相手との話のなかでは、ユーモアの要素というのが重要だと感じてはいたのですが、それがどういうことなのか、よくわからないでいました。 >それを示されたとき、納得があれば示された者は笑います。つまりは冗談のことです。私はこれを競い合うとき、相手の冗談を三倍にして返すことを反復するときに最も白熱的に熱狂します。天外より来たるかと思われるばかりの意外の奇想が、実は思考の道筋として十分にありうることを人の営みの末に初めて示すことに。 この点について、もう少し考えてみたいと思います。 >過去にのみ執すれば人は歴史家となり、未来を取り込むことに鷹揚ならば語り部となり神話を紡ぐのではないでしょうか。 おそらく過去にのみ執着する人は、もしかしたら文献学者、あるいは書誌学者にはなれるかもしれませんが、歴史家にはなれないと思います。というのは、歴史は解釈と無縁ではありえないからです。解釈とは、繰り返しになりますが、〈いま、ここ〉からの読み込みです。 神話は、カイヨワの本を買ったんですが、まだ買っただけで読んでません(笑)。 あんまりここらへんに関してはいいかげんなことが言いたくないので。 わたしは落語はあまり聞いたことがないのですが、代わりに(なるのかな?)音楽を聴きます。いま日々繰り返し聴いているのがDream Theater というバンドなのですが、細かく変わるリズムが、ユニゾンで、一糸の乱れもなく、演奏される、そして止まるときはフル・ストップで止まる、そういうのを聴いていると、ほんとうに生理的な快感を覚えます。打ち込みでこれを聴いても、たぶん、絶対におもしろくないはずです。人間がやるからおもしろい、それは、バンドの各個人個人が >その職分を果たすべく一人一人が考え付き、形にし、繋ぎに繋ぎ、磨きに磨き、取捨していったその結果だから だと思うのです。 また、何かあれば。
お礼
重ねてのご示教に感謝いたします。 主観をいっさい排した純粋な経験は存在せず、客観的事実に至る道はない、すべては今ここからの解釈である、それは自明の事柄のように思われます。思われるのですが・・・。 かつて私はまず『人間臨終図鑑』を読み、予想外の面白さ(不思議と鬱を払う力がありますねえ、あの本には)もさることながら、その人選の特異さに興味を起こし、理由を尋ねるべく『不戦』に手を伸ばしました。そして驚倒しました。私もずいぶんと沢山の文字に目を曝してきましたが、あのときほど驚いたことはないようです。 驚きの理由は簡単明瞭で、やっぱりみんな嘘だったんだ、これが本当だったんだ、これなら分かる、じゅうぶんに理解し共感することができる、ものすごい臨場感、類例のない生々しさ、これがあの戦争の真実であろう、これ以上の疑似体験は得られるものではあるまい、と心の底から信じさせられたからです。(もう一つ、戦争の真実によく迫るものと震えたのはキューブリックの『フルメタル・ジャケット』の後半。前半は面白いが後半はダルい、という評価が多いのは不審です。) 私には『不戦』が真実に近く、例えば朝日新聞が執拗に流布に努めてきた第二次世界大戦観は遠く背馳するもののように感ぜられます。純粋な経験も客観的事実も存在しないのに、そこからの距離は判然と計り得ると考えるのは迷妄でしょうか? 余談にわたりますが、西洋古典音楽と落語は平行する構造を持っていると思います。しばしば私は落語によるアレゴリーでクラシックを理解したり、解説に用います。
- ghostbuster
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こんにちは。gbです。また来ました(“様”はどうかおやめください。招き'n'猫さんに様付けされると、こちらは招き'n'猫殿様氏閣下ぐらい敬称をつけなくちゃいけなくなりそうですから)。 まず、ずいぶんお詳しい方に、無用の講釈を垂れてしまったことを、重ね重ね、お詫び致します。風太郎の話ができるとうれしくなってしまって、ついついご質問をちゃんと読まずに回答してしまったのです。 さて、前置きはこのくらいにして、どんどんいきましょう。 わたしも『戦中派天才老人・山田風太郎』を本棚の奥から引っ張り出してみました。改めて開いてみると、きれいに忘れているもので、まったく新たな気持ちで、笑いながら読むことができました。忘却というのも、ある意味、ありがたいことです。 再読して、この対談集の非常に優れた点に気づくことができました。 これは、自分の個人的な経験とも重なり合うのですが、人と話をしていて(対面して、あるいはメールなどで)話がはずむとき、というのは、事前に自分の内側にまったく用意されていないものが引き出されるときなんですね。 こういう話をこんどはしよう、こういう話を聞いてみよう、もちろん、とっかかりはそこなんですが、相手の反応をうかがいながら、相手との間に、新たな意味がどんどん生成していくんです。 具体的にいうと、なぜか、過去の話を思い出すんです。 それも、ほかの誰にもしたことのないような、自分でも忘れてしまっていたような、ささいな、言ってみればどうでもいい話です。そんな話が、いまの自分につながっていく。 これまで何度も話してきたり、作文に書いてきたりしたような「忘れられない大きな出来事」ではなくて、駅でコケた話のような、非常にくだらないエピソードが、自分の「物語り」(ええと、これに関しては、わたしは自分なりに考えているところでして、もしよかったらhttp://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1357096 でもちょっと書いていますのでご覧になってください)に組み込まれることで、「物語り」は再度更新され、新たな意味を持ってくるんです。 これは、非常におもしろい経験です。 「老いの繰り言」という言葉がありますが、これを聞かされるのが辛いのは、語っている側が聞き手を必要としていないからなんですね。誰が相手でも、まったく同じ、新たに生成する意味のまったくない、決まり決まったテンプレートをひたすらに繰り返す。それをやられると、聞かされる側も、自分が壁かモノになったような気がします。だから非常に苦痛なんだと思うんです。 生きた会話は、これのまったく逆。 その人が相手だからこそ、生まれてくる話なんです。 同じように過去を振り返っても、つねに新たに意味が生まれていく。だから語り手も、聞き手も、非常に楽しい(いや、わたしが駅でコケた話なんて聞かされているひとは、いいかげんウンザリしているかもしれないのですが)。極端に言えば、生きている実感があると思うのです。 つまり、関川と風太郎は、この生きた会話をやってるんです。この対談集が非常に優れているのは、言い切ってしまいますが、そこです。 対談のほとんどは、聞き手があらかじめ質問を準備して、一問一答式にやっています。これでは聞かれる側がどれほど優れていても、読み手が興味ある人でも、どこまでいっても豊かな拡がりを持ちようがありません。 わたしたちは、実は読みながら、あるいは話を聞きながら、その向こうのその人の「手触り」といったものを求めている。自分が対面し得ない相手の「手触り」を求めて、対談を読む。 ご指摘の箇所も、おそらく関川はなにも考えていない、風太郎もなにも考えていない、だからこそ、おもしろい。 さて、こういう解釈はいかがでしょう。 なんぼでも、突っ込んでください。
補足
たいへん失礼いたしました。ほんとは様でも足りない、先生とお呼びするのが正しいと考えましたが、お望みとあれば是非もございません、僭越ながらしいて平らかに話させていただきます。 リンク先のご回答、興味深く拝読しました。ひとつ、ちょっとした見落としがありはしないか、と感じました。物語の命を更新する力もしくは繁茂に資する材料は、過去の記憶のみではなかろう、と思いました。 未来の探求、があるでしょう。一つの物語はすでに必然としてそこに供されている。対話する二人は、それぞれにその先を読もうとする。読みの鋭さと豊かさを競おうとする。 これはヨリ蓋然性の高い、確からしい未来の捕捉ではありません。そんな退屈なものは既にいま眼前に必然として静かに横たわる物語の内にある。むしろそれに背を向けて、その外へ、何が何でも外へ向かおうとする、自分だけが思いつき、他をも納得せしめるような可能性の発見です。経験ではなく、人間の思路のありようそのものにのみ(いや、のみではないでしょうが、主に)依拠しつつ。 それを示されたとき、納得があれば示された者は笑います。つまりは冗談のことです。私はこれを競い合うとき、相手の冗談を三倍にして返すことを反復するときに最も白熱的に熱狂します。天外より来たるかと思われるばかりの意外の奇想が、実は思考の道筋として十分にありうることを人の営みの末に初めて示すことに。 落語というのは同じ噺の繰り返しですが、なぜ同じ話なのに、しかも同じ人間が語るのを聞いても可笑しいか、ったら、思考の道行きとしては、十分以上にありうることを、なぜか誰も思い至らないのに、噺家がその職分を果たすべく一人一人が考え付き、形にし、繋ぎに繋ぎ、磨きに磨き、取捨していったその結果だからでしょう。それがじつに、話し言葉でありながら、文字にすればほとんど一字の無駄さえ感じさせない、驚くべき言葉の芸を成立させたのではありますまいか。 たとえば桂文楽の『酢豆腐』に現れる若者たちの恰好良いこと! こんな恰好良い奴らが江戸でも東京でもいたためしがあろうはずはない。 詮ずるに、過去にのみ執すれば人は歴史家となり、未来を取り込むことに鷹揚ならば語り部となり神話を紡ぐのではないでしょうか。
- ghostbuster
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おもしろいご質問だったので、多少調べてみました。 以下典拠としたのは山田風太郎『新装版 戦中派不戦日記』(講談社文庫)、『戦中派虫けら日記 滅失への青春』(未知谷) 書誌的には以下のサイトを参考にしています(ともに非常に丹念に調べられており、頭が下がります)。 http://www2s.biglobe.ne.jp/~s-narita/new/index.htm(参考サイトAと記述) ここから→山田風太郎エッセイ等リスト(お試し版)→■日記■の項へ http://www.geocities.co.jp/Bookend-Kenji/3592/(参考サイトBと記述) まず、はなはだ曖昧な記憶から話を始めるのですが、山田風太郎は『戦中派不戦日記』(以下『不戦』)『戦中派虫けら日記』(以下『虫けら』)の二冊以外の日記は刊行するつもりはない、とどこかで言っていたような記憶があるのです。 ですから風太郎の没後、『戦中派焼け跡日記』が小学館から出たときは、正直、驚きました。以下、同社より矢継ぎ早に『戦中派闇市日記』『戦中派動乱日記』と刊行されます。 本を見る限りでは、出版に至る経緯などは記されていませんが、おそらくタイトルの決定含め、日記の編集作業は山田風太郎の手によるものではありません。監修も、物理的に不可能です。従って、没後出版された三作と、『不戦』『虫けら』とは、資料的に同じ扱いはできない、というのが、個人的な見解です。 『虫けら』のあとがきによると、風太郎は「昭和十七年十一月二十五日」から日記をつけ始めます。「それ以前のものはない」とあります。 この日記は、1971年、まず「昭和20年1月~8月」の抜粋が、月刊誌に発表される、という体裁をとって、世に出されます。(参考サイトA) その翌年、抜粋ではなく、その日記すべてが番町書房より『戦中派不戦日記』として出版されます。 同書の「あとがき」にある、「無用な記述が多過ぎるから相当削除する必要がありはしないか……現在手を入れては無意味なものとなり、かつ取捨そのものが一種の虚偽となるおそれがある」という記述の背景には、上記のような出版に至るまでの過程があったことがあると思います。 こののち、『不戦』は1973年に講談社文庫となります。(参考サイトB) おそらく『不戦』が広く世に出たのは、この文庫化がきっかけとなったことと思います。 それに合わせるようにして、『不戦』をさかのぼった日記、風太郎が日記をつけ始めた「昭和十七年一月二十五日」から、『不戦』直前の十九年十二月三十一日までの日記が『虫けら』として、1973年に大和書房より刊行されます。 ただし、この本は長く絶版の憂き目に遭います。 わたし自身も手元に置いておきたく、あちこち古本屋を捜し回ったのですが、どうしても手に入らなかったことを記憶しています。この状態は、1994年未知谷からハードカバーで再出版されるまで続きます。 つまり当時は一部のマニアックなファンをのぞいて、風太郎の日記というものの知名度は、忍法ものなどに比較すると、圧倒的に低かったといえるでしょう。 わたしの記憶では90年代の半ばぐらいではなかったかと思うのですが、一種の風太郎ブームのようなものが起こります。おそらく関川夏央の非常に優れたインタヴュー『戦中派天才老人山田風太郎』のような本がきっかけだったのではないか、と思うのですが、ちょっとそこらへんはよくわかりません。とにかく、このときのブームの特徴は、作品ではなく、風太郎の非常に興味深い人となりに関心が高まった。関川のインタヴューは、そののちさまざまな聞き手による、数多くの後発を生みます。 そうしたなか、風太郎のふたつの日記も、安定して市場に出回ることになります。 そうして2001年7月風太郎は、こうしたブームのなか、亡くなるのですが、死後相次いで日記が刊行されます。その経緯が不明なことは上記の通りなのですが、出版にいたるまで、こうした事情があったことは考慮に入れておくべきではないかと思います。 以上あれこれと書きましたが、わたし自身は参考にさせていただいたサイトの管理人諸氏とはちがい、明治ものを中心に風太郎の著作を読んできた一読者にすぎません。上記の「ブーム」にしても、新聞の書評欄と本屋の棚には詳しいけれど、世情には疎い人間の印象でしかないことをあくまでお含みください。 わたしの限られた知識がお役に立てれば、これほどうれしいことはありません。 知っていることはこのぐらいなのですが、何かほかにもっと知りたいことなどありましたら、補足要求なさってください。能力の及ぶ限り(笑)、お答えします。
お礼
丁寧なるご教示、心から感謝いたします。 関川の『戦中派天才老人山田風太郎』を十年ぶりに(もうそんなになるんですね)繙いてみると、こんな記述がありました。単行本で百九十八頁です。 関川 『戦中派虫けら日記』と『戦中派不戦日記』、いずれもすごい作品ですが、出版するとき古い日記帳から全部原稿用紙にうつしとったんでしょう。 山田 明らかな間違いと、不必要な繰り返しを除いては、ほとんど原文に忠実に。 関川 どちらも千枚くらいあります。合計二千枚。たいへんな労力でしたね。 ふむ。もしかして関川は山田に何かを言わせようとしていたのでしょうか。ghostbusterさまは、ほんとに山田が原稿用紙に清書したとお考えになりますか?
お礼
懇切に補説してくださったことに深く感謝もうしあげます。 『不戦』のあとがきを今読み直せば、足さなかったとは言わないよ、というふうに読めるというのが私の結論です。まあしかし、よくわからない。「取捨」をしていない、というのもずいぶん微妙な表現です。 ただ、質問を投稿したとき読んでいたのは三月まででした。読了してみれば、『不戦』にどのような処置が施されていようとも、それはただ、読む者の便宜のためであったろうと確信しました。小我を護らんとする不正不義はありうべきもなかったと。 関川の百八十四頁には、山田は内室に、自分の死後、書肆から日記の版行を求められても絶対に応ずるべからずと厳命してある、と言っています。それに敢えて逆らわれた御明断には頭を垂れて謝したく思われます。 私もやはり山田を信頼し敬愛せずにはおれません。率先して勇を示していただいたこと、まことに有り難く存じます。