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肩書きに固執する人
肩書き、学歴、経歴、ステータスに 固執しすぎる傾向が自分にはあると 思います。 でも今まで自分が欲しがっていたものは ほとんど手に入りませんでした。 自分自身の能力を客観的にみえてませんでした。 肩書きに固執する人の原因や心の中には どのようなものが潜んでいるのでしょうか。 また肩書きに固執する人は肩書きを手に入れること がほとんどなくそういうものにこだわりのあまり ない人のほうがそれなりものを 大概手に入れています。 受験勉強にしてもOO大学にいきたいと闘争心や 欲を出している人よりも地道にこつこつ緻密な 人が成功を手に入れています。 このような人の中にはどのようなものがある のでしょうか。 疑問に感じています。 よろしくお願いします。
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いくら肩書きに固執しても、その仕事に対する 情熱や、意欲、社会の役に立ちたいという精神が ないことには、その業界でトップに立つことも できなければ、顧客からも見放されてしまうし 仕事が回ってこなくなります。日々、情勢は 変化するので、一度取った肩書きや資格が そのままで通用するほど、社会は甘くはないので 研鑽、努力はつきものです。 努力も実力もないのに、肩書きだけ 振り回している人はたいていは 世間からバカにされているのに気がついて いない人です。 肩書きに固執する人に似ているのは、いわゆる ブランド好き。ヨーロッパのブランドはほとんど すべて元を辿れば、娼婦の家であったり、農家や 猟師のオフシーズンの手内職であったりします。 それが、何故、一流メーカーにまで這い上がったかと いうと、やはりそれなりの技術、努力、情熱等の 賜物です。 肩書きに与えられる名誉があるとするなら そういった地道な努力を続ける能力に対して 人が敬意を払うのだと考えます。 ある有名な芸能人が昔、テレビで 「僕が日本で一番安い紅茶をイギリスのブランドの 缶に入れて出したら、ほとんどの人間がやっぱり イギリスのブランドの紅茶はおいしいねと言った」 という話をしていました。みんな肩書きに 弱いのです。だからこそ、みんなが欲しかる 物なのでしょう。
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- pioo
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こんにちは。 肩書き (1)名刺などで、氏名の右上に書かれる職名・地位など。 (2)人の社会的地位や身分を示す職業・役職名など。 結局そういったものは、本人が使います。 サッカー選手の親、と言うのは肩書きではありませんね。「親」というのは、社会的身分でも地位でもありませんし。そんなのは、結局関係に過ぎません。 何もかも、その人なりの、それを得る過程があると思いますよ。 >受験勉強にしてもOO大学にいきたいと闘争心や 欲を出している人よりも地道にこつこつ緻密な 人が成功を手に入れています。 このような人の中にはどのようなものがある のでしょうか。 あまり意味がありません。何をもって成功と言っているのかわかりませんし。 そんな立派な肩書きがあればなおのこと、仕事を紹介したり、犯罪者を自首させたり、人に親切にしたり、ボランティアしたりするのが当たり前だと、私は思っていますけど。あと、集団暴行とか、何が重大な犯罪かも認識できず、暴行を加え続けている集団を取り押さえるとか。
お礼
ありがとうございました。 肩書きを持つことの長所と 短所についてとてもよく わかりました。
- lllll
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肩書きがあると得をするのは事実ですよね。肩書きに固執するのは、親の職業や会社など、肩書きで得をした経験があるのではないでしょうか?クレジットカードがすぐに作れたとか・・ 地道にこつこつ緻密な人がそうでない人よりも成功するのはあたりまえで、疑問の余地なしだと思います。 情熱と勉強の量が違うのだと思います。 成功する人は、たぶん、その先のもっと大きくて具体的な目標を持っていると思います。○○大学に合格することは自分の人生の通り道に過ぎないと思えば、楽しみも犠牲にして、合格ラインがどうのという情報もあまり気にせず、全力を尽くして、絶対に合格できる点(満点)を目指す勉強をするのではないでしょうか。闘争心や欲というか情熱ははるかに大きいと思います。自分の人生の第一優先ごとですから。 自分の夢を具体的にイメージしていて、いつも気にかけていれば、自然と、目先の欲望に気が散ることなく、地道にこつこつと勉強することを損だとか退屈とか思わないのではないかと思います。 一方、○○大学に入ればとりあえず人生OK、と思えば、2浪くらいしても別にいいという気もしますし。どうせ肩書きという深層心理があれば、勉強への情熱や勉強量はやはり劣ると思います。勉強方法も、予備校で「ここまでできれば合格」というレベルのヤマ当て的な勉強をするのではないでしょうか。自分の興味はきっと勉強以外のところにあるので、そちらにも時間をかけるのではないでしょうか。 win203さんにも、これだけは私の人生、妥協できない、他人が60点や90点で安心していても、私は私の100点を目指す、というなにか(学問や職業だけでなく、生活のしかた、趣味などあらゆることで)がきっとあると思いますが・・
お礼
ありがとうございました。 欲ばかりでなくて それに見合った地道な努力の大切さ について参考になりました。
- wannizz
- ベストアンサー率20% (11/53)
往々にしてそれは感じます。 まず、最終的に何を得ようとしているか、の違いだと思います。 ステータスを欲している人が一生懸命ステータスを得るために努力しても、最終的にその努力が何のために活かされるか、どういう形で社会に貢献していくかというところまで考えているのでしょぅか。単に自分の肩書きを得るのが目標であって、その先の事柄にまでモチベーションが達していないのだと推測します。 一方、ステータスは気にせず地道にコツコツ勉強している人の中には最終目標として、実際の現場でこういう活動をしたい、こういう形で社会の役に立ちたいという、明確なビジョンが確立していると思います。そういう人にとって肩書きやステータスは自己実現(自己満足という意味ではなく)のための一過程に過ぎず、目標がもっと先にあるわけです。 ですので目先の勲章を目指す人より、現実に即したビジョンを持っている人はもっともっと努力している、その差だと思います。
お礼
ありがとうございました。 人間の心理について とてもよくわかりました。 参考になりました。
- Hiyuki
- ベストアンサー率36% (2604/7183)
一概にそうとは言えませんが、あなたの場合は何か自分を支えてくれるよりどころを欲しっていた。 それが肩書きだったのではないでしょうか? 私もそういう傾向がありますが、得てしてそういう人は肩書きはほしいが、そのための努力は嫌いという ことが多いような気がします。 それは、結局のところ肩書きがほしいのではなく肩書きを得ることによる安心、安全、利益を求めている からです。だから、肩書きを得るための能力を身に付けることができない。 ただ、必ずしも肩書きを欲することが悪いわけではありません。受験を例に挙げていましたが、明確な目標が あること自体が悪いわけではありません。 現に私の知人には、何浪もして医学部に入った人もいました。おそらく私はこの人が成功すると思いました。 それは、この人がその目標を得るために努力し、かつその能力を身に付けていたと感じたからです。 肩書きを得ることは結果に過ぎません。その肩書きを得るための能力を持っていることが重要なのです。 本来の目標である、能力を得ることを手段とし、手段である肩書き(肩書きを得るためのプロセス) を目標としてしまっていることに根本的な間違いがあるように思います。 あとは余談ですが、能力がある、あるいは自分に自信がある人は肩書きにこだわりません。 あと、能力がある人は才能があるというわけではありません。確かに持って生まれたものによる差は ありますが、ほとんどの場合その絶対量ではなく、いかに効率よくその器を満たす方法を知っているか によりますね。
お礼
ありがとうございました。 自分自身の深層心理の内面について とてもよく納得できました。 参考になりました。
お礼
ありがとうございました。 表面上のものばかりに とらわれ本質的なものに対する 敬意を見失っていたように 思います。参考になりました。