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高学歴とはどういう人のこと?
- 高学歴が重荷になっている人とは、失敗するたびに自分の学歴を持ち出し、自分自身を制限しているようなタイプのことを指します。
- しかし、地頭が良くて合格がスムーズだった人はこのような枷を感じないのかもしれません。
- また、多くの人は自分の合格を価値あるものと感じており、高学歴とそれ以外の固定的な価値観の中で生きていることが多いと言えます。
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いわゆる地頭が良いというのは勉強ができる、ではないですよ。物事の応用が上手い人のことを指していうのがそれです。 高学歴になった人の中でコンプレックスを感じている人はその地頭が悪い人がそうなりやすいと思います。応用が利かないので失敗もする、といったところでしょうかね。そういう人は記憶力だけが抜群だったのですよ。 勉強ができる≠何でもできる、です。高学歴で学歴コンプレックスの人は学歴が高いから、何でもできるはずなのに、と思い込んでるから、そう言う言葉が出てきているのだと思います。
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- Radish_Boyaboya
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学歴を誇りにしてる人がいても、構わない。 誇りは、無いよりあった方が良いし、誇りにするくらいだから、精神的な支えや、自分を勇気付けるのに、役立ってるなら、いい。 その誇りを糧に、リーダーとして働いてくれるなら、ありがたいんだけど。 ただのトロフィーだと思ってるとしたら・・・ 高学歴だから特別扱いを要求されるとかはNGですね。
- pipipi911
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お望みの回答にはなりませんが……所謂 オーヴァー・エデュケーション的な就業が生み出す 状況なのでしょうが……隣の K国では、 オーヴァー・エデュケーション的な状況を望まない学生が 多いので、大卒者の失業率が高くなっている ようですな。ハイソサイエティの職業以外には 就職を拒否してしまう……日本では、そのようなことが ないために、9割以上の大学生の就職事情に なっているようですな。 どちらがと云うのではなく、 それぞれの人生観・価値観・美意識・人生哲学・ 死生観で、自身の人生を決めれば いい迄のことで。 日本では、 「ナッツ姫」の姉、 「水かけ姫」妹のような 世を騒がせる財閥の子が いないのが宜しいですな。 この姉妹の母親も かなり酷い行動を見せていましたが……
- iw3r09770987097
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そういう人は「現在」で結果を残せていない人です。 仕事ができる人はだんだんと学歴の話をしなくなります。 その代わり、自慢するにしても今こういう仕事をしてるんだという話になるからです。 高学歴な割に、うだつの上がらない人生を歩んでる人に限って学歴自慢をするんですよ。 学歴を獲得するのに使った時間と学費をドブに捨てたような人生を送ってる人が。
お礼
そうですね、あくまで○○大卒は過程であって高学歴であることは人生の結果ではないですもんね。 過去の栄光を話してるうちは成功していない、ということですね あくまで成功するためにどの過程を選ぶかであって、 本物のエリートは学歴というより出生や育ちやどのルートで生きたか関係なく自分の納得する結果を得られている気がします。 形は違えど、目指すゴールが明確であれば、過程はあくまでお飾りですね。
- kaitara1
- ベストアンサー率12% (1154/9141)
支えてくれるものが同時に自由を奪うものでもあることは普通にみられることではないでしょうか。今座っている椅子でも同じです。
- agehage
- ベストアンサー率22% (2753/12076)
最近見ないけど昔そんな名物質問者がいました 学歴と仕事での活躍が比例しない人は苦労してると思います
- nagaineko
- ベストアンサー率28% (563/1990)
高学歴には2タイプあります。 元々頭のいいタイプと、凡人が努力して高学歴を手に入れたタイプです。 問題となるのは後者でしょうね。 凡人が高学歴を手に入れようと思えば、並々ならぬ努力が 必要です。 周りの友達が、青春を謳歌するのを横目に、なりふり構わず 勉強、勉強、で突き進んできたわけです。 言ってみれば、その人には、学歴が全てなわけです。 勉強しかしてこなかったわけですから、それしかないんです。 心のよりどころは、学歴ってことです。 >高学歴と関わっていると、いくつになっても、何かしら肩書に拘っていて、生きづらそうな人が多いなという印象です。 おっしゃる通りだと思います。 社会に出てしまうと、結局のところ結果が全てなわけですから、 学歴にこだわったところで、というのが現実なのですが、 おそらく、それも頭ではわかっているんだと思うんです。 ただ、それを認めてしまうということは、自分が学生時代に いろんなことをあきらめてまでやってきたことを 全否定することになってしまう。 やっぱ、それって、できないんですよ。 周りからみてると馬鹿げたことでも、 そこに至るまでの過程がどれほど過酷なものだったのかは、 実際にそれをやってきた本人にしかわかりませんからね。 拘りを捨てれば楽になる。わかっていても、なかなかそうもできない。 なんか、そんな感じなのかもしれないな、と思います。
お礼
社会人になった今でも受験勉強をしているときの夢をみて冷や汗をかくそうです。 私のまわりにいるその人は後者のようでしょうか? 学歴という努力で築いた基盤が「今」のすべてを作っているという事ですもんね。 その土台の上にどんどん積み重ねていく人生というのは、自由が奪われてすごく苦しいのではないでしょうか。 メリットもある反面、そういった縛りを自分の人生に課すというのは両刃の剣なんですね… 自分の決めたルートから外れる、試してみる、という事は、築いてきた栄光や過去を否定することになるんでしょうね… 高学歴であることが人生の軸になってしまう人を初めて見たのですが いわゆるそれが学歴コンプレックスや学歴信仰と呼ばれる考え方だったのだろうと思います、勉強になりました。
- hiro_1116
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そんな人もいるでしょうが、決して「多く」はないと思いますよ。 社会に出れば、学歴より何ができるかが勝負ですからね。
お礼
私はずっと学歴コンプレックスという言葉は 低学歴だったり低所得だったりする人が抱える闇だと思っていたのですが 事実は逆だったということに気付かされました。 なかなかいろんな勉強がありますね。 問題ない精神状態であれば、学歴や職歴なんて飾りでしかなくて今を存分に生きれますよね。
お礼
学歴に依存しているのが学歴コンプレックスだと思います。 低学歴者が学歴を攻撃することよりも 実際に高学歴を手に入れていて、ニートだったり、失敗してしまっている人が悲惨な人生を歩んでいるというのが学歴コンプレックスというわけです。