- ベストアンサー
最も標高の高い場所での戦争
個人的な質問なのですが、20世紀における最も標高の高い場所での戦争は何で場所はどこでしょうか。 戦闘機での空中戦ではなく陸上での白兵戦でお願いします。
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
1959年から1962年に行われた中印戦争では、アクサイチン地方を巡って戦われています。 ここは、平均高度が5100メートルの高原。 また、中国のチベット侵攻は、現中国政府が清朝の後継国家を自認しているからです。 清朝は一般には中国本土の王朝と認識されていますが、モンゴル帝国の後継として、満州人・モンゴル人・漢族の共通の皇帝として大清皇帝となりました。 モンゴルとチベットとはその前より、俗権のモンゴル皇帝、聖権のチベット・ダライラマというように、不可分の関係にありました。 ※ 現在もラマ教がチベットとモンゴルに広がっているのはこの歴史的背景にあります。 わかりやすく、極論を言えば、中世の神聖ローマ皇帝とローマ法王の関係がモンゴル皇帝とダライラマとなっていたわけです。 清国は成立段階で、チベットへの歴史的権利を持ち、間接支配をしておりました。 現中国政府が、清国=中華民国=中華人民共和国と後継しているとするなばら、チベットへの支配権があるというのも、無理があるかどうかは別にして、権利は主張できるものだと考えます。
その他の回答 (3)
- SCNK
- ベストアンサー率18% (514/2762)
昭和25年なら国府軍は大陸にはいないでしょう。前年の10月に中共が権力を治めましたから。 でもさすがに白兵戦じゃないでしょう。火器を使わなかったんですか。映画「セブンイヤーズインチベット」でも火力戦でしたけどね。白兵を補助的に使用するだけなら白兵戦とは言いません。
お礼
この質問のおかげで中国の「チベット侵攻」を知りました。 歴史ではこの時期、朝鮮戦争ばかり取り上げていますが、それとは別に中国がチベットを攻めていたとは思いもよりませんでした。 しかし私のイメージのチベットは”ダライラマ14世”と坊さんばかり。そんな「弱そう(失礼)」なところを攻める大義名分が中国にあったのでしょうか? 攻める必要があったのでしょうか。 中国人の方が見れば不愉快に感じるかも知れませんが、日本の歴史教育では全くと言っていいほど取り上げられないところです、是非教えてください、よろしくお願いします。
- junt
- ベストアンサー率38% (97/254)
No.1です。空気の薄いチベットを攻めるために、まず、標高1000mの所で戦闘訓練をさせ、そこに慣れると、次ぎに2000m、3000m、4000mと除々に高さを上げてゆき1950年10月、中国国民党軍はチベットを攻撃しました。
お礼
国民党軍ではなく人民解放軍のようですね。 2000m、3000m、4000mと除々に高さを上げて身体を慣らさせてから、チベットを攻めるというのが、なにか中国らしい気がしました。
- junt
- ベストアンサー率38% (97/254)
1950年の中国によるチベット侵攻ではないでしょうか。チベット高原は、3500m~5500mで平均標高でも4500mと日本の富士山(3776m)より高いです。 高原の境には、ヒマラヤ山脈、カラコルム山脈、崑崙山脈、天山山脈、アルタイ山脈が走り7000m~8000mの高峰もあります。
お礼
平均標高で4500m! 富士山の山頂でも空気が薄く感じるのにそれより高いところだったとは感心します。 高山病にならなかったのかな?それとも酸素ボンベを担いで戦ったのかな? どうもありがとうございました。
お礼
中印戦争、またしても中国ですか。 こうしてみると中国はたくさん戦争をしているのですね。 5100メートルの高地で戦争をしていたとは驚きです。空気の薄さや寒さに耐えていたんでしょう。 チベット侵攻についての説明ありがとうございます。中国側の主張も分かりました。話し合いですまされないところが領土問題なんだなと思いました。