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戦争でのけがや病気について・・。
今戦争関係の小説を書いているのですが、戦争の歴史的背景などは知っていても、実際の戦闘の苛酷さなどについての知識は乏しいです。 どなたか、戦地での兵士がかかりやすい病気や、けが、死ぬ直前の様子、戦闘機、戦車からの攻撃を受けたものの最後、そういった様子について詳しい方、どうか教えてください。 いい小説を書きたくて、残酷な表現を使うにしろ使わないにしろ、そういう残酷な面も知らなければいけないなと思い、質問させていただきました。よかったらそういう関係のサイトとか紹介してもらえたら嬉しいです。 よろしくお願いします・・!!
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ご質問の戦争はいわゆる現在起きているレバノンやイラクのような不正規戦ではなく、国と国との正規戦に限っての傷病についてお答えします。 病気については、病気といえるかどうかは分かりませんが、第二次大戦まではヨーロッパ戦線や太平洋戦線でも、末期には栄養失調に苦しんでいました。 もっともアメリカのような、補給体系がしっかりした軍隊では、あまりありえなかったことですが、負け組、つまり日本やドイツに限ってですが。 それと多かったのが、寄生虫などによる皮膚病や赤痢、デング病、マラリアなどの伝染病です。東部戦線では肺炎や凍傷ですね。あと「シェルショック」と言われる、戦争ノイローゼのような精神を病む兵士もかなり多かったですね。 この問題はどこの国でもそしていつの時代でも、大きな問題でした。 伝染病に関しては、予防接種体制がきちんとしているので、現在ではそれほど脅威ではありません。 通常の病気にしても、現在ではまともな国ならどの国もきちんとした医療体制を持っているので、戦時中であっても、それほど一般の社会と変わりはないと思っていいと思います。 戦闘時の死傷の原因では、それこそさまざまなものがあって、一度には詳細にお答えできませんが、意外と銃弾による死傷は少ないと考えていいでしょう。 統計の取り方にもよるのですが、近代戦においてライフルや機関銃による、銃弾数あたりの死傷者は第一次大戦では約3万発あたりに一人の諸死傷者が、ベトナム戦争では約30万発あたりに一人という効率の悪さでした。 銃弾は頭部などに当たればそれほど苦しまずに死ねますが、腹部に当たった銃弾は内臓をめちゃくちゃに掻き混ぜるほど暴れまわることが多かったので、それこそいっそ殺してくれと泣いて頼むような場面がよくあったといいます。 戦場での兵士の死傷の原因は、大砲や迫撃砲などの砲弾や爆撃による爆弾の被害が最も多かったといわれています。 爆弾の破片によるものもありますが、爆風(爆圧)による死傷もかなりあったようです。 爆風によって、近くの建物や地面に叩きつけられたのです。 人間の体はとても脆く、銃弾によるものや、砲弾、爆弾などが至近で爆発した場合は、体の部分、首、手足、胴体などが簡単に引きちぎられ、まともな体のままで死んでいく兵士は運がいいといわれたほどです。 戦車はやはりその主な目標が敵の戦車なので、敵兵士の殺傷は副次的なものでした。とはいえ、塹壕や逃げ遅れた敵兵士をキャタピラで押しつぶしたりする、残虐な殺し方をするのは戦車しか出来ませんね。 先の湾岸戦争では、半地下陣地にこもったイラク兵を砂の陣地ごと押し潰して窒息死させたのも戦車ならではです。 ちょっと舌足らずな感がありますが、参考になれば幸いです。また何かあればご質問ください。
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- IXTYS
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> どなたか、戦地での兵士がかかりやすい病気や、けが、死ぬ直前の様子、戦闘機、戦車からの攻撃を受けたものの最後、そういった様子について詳しい方、どうか教えてください。 ひとつのデータを提供します。 パプア・ニューギニアに33万人の兵士が動員され、無事帰国できたのは3万人に満たなかった。 現地化した日本兵は殆どいなかったと聞いています。 敵の弾丸に当って死んだ兵士は残り30万人の1割にも満ちません。 残りの27万人は病死です。 『行軍に耐えず』として味方の兵士によって射殺されたものです。
3番です。 >はニッケルで鉛の弾心をカバーしているので鉛で ニッケルコート弾のしようは.戦後でしょう。私の内容は戦前です。
お礼
ご丁寧にありがとうございます!!
- ss79
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日中戦争と太平洋戦争に限って回答しますと 病気ではマラリアと感染症が挙げられます。 病気は軍隊における最大の敵でした。 戦傷による死亡より病死の方が多いのが普通です。 特に日本陸軍は肉体を酷使する傾向が強かったので体力のない兵士は敵と交戦する前に疲労や消耗で病気にかかりやすかったのです。 また補給を絶たれた場合の飢餓は人間を動物にしたといいます。 人肉食すら起こったと言われます。 小銃弾はニッケルで鉛の弾心をカバーしているので鉛で毒されることはありません。 戦場で恐ろしいのは砲爆撃による攻撃です。 これは敵影を見ることなく一方的に攻撃され反撃する事が出来ないからです。 しかもこの攻撃による負傷は無惨をきわめるものなる事は他のご回答のとうりです。 航空機による銃撃はアメリカ軍の場合12.7ミリ機銃と大口径なので命中すると腕は吹き飛ぶ位の被害をうけます。 敵戦車にたいし有効な対戦車兵器を持たない日本軍は肉薄攻撃しか手段がないので文字どうり殺傷されるだけでした。 これはアメリカ軍の死傷者数にたいし数倍する戦死者を日本軍はだして居ることからも明らかです。
お礼
これは敵影を見ることなく一方的に攻撃され反撃する事が出来ないからです。 何も分からずに慌てているうちに死んでいくんですね・・。無残です・・。そういうことがあったということ、教えてくれてありがとうございます。
兵士の場合.鉛中毒が結構見られたようです。銃をうつと鉛の粉がでます。この粉をすって肺に蓄積.鉛神経炎。 蛋白やB群が不足しています(足尾銅山に要人がくると大量のネットメロンを出しB群の不足を補う。しないとよろけ病という砒素中毒類似の状態に。もっとも砒素を1-3%入れた弾丸を使っていたので砒素の影響があるかもしれません)ので.各種神経麻痺が待っています。 それで「自力で歩けなくなった」らば「病死」としてとりあつかわれ銃殺。 テントには要人がいるとして.上空から爆撃の対象です。 米空軍の攻撃は.テントを特に狙いました。爆弾を落とすなり.銃で狙うなりしています。 海軍の場合には.気に食わない兵士は海に捨てます。「陸軍は良んだよ。下が海でないから」とは.ある帰還兵のことばです。 海に捨てたらば.拳銃の練習.射撃の的として使います。新平は海面に出ている頭を狙いますのでまず外れます。なれている上官は.必ず縦波のときに頭のしたの胴体を狙い.1回で仕留めます。 陸軍の場合.歩兵を先頭に歩かせて.もし隊列を乱すと.後方に位置する射撃隊が歩兵を銃殺します。射撃隊が発砲しなかった場合には.上官が射撃退院に対して発砲します。機関銃を持っていますから.歩兵隊にしても射撃隊にしても氾濫を起こせば即全員を銃殺できるのが上官が乗った機関銃を装備した車です。 満州では.現地人を現地人反戦歌の取り締まり(拷問形式の尋問)に当たらせました。もし取り締まりに応じなければ.後ろに控えている射撃隊なり.機関銃で銃殺です。
お礼
陸軍は良んだよ。下が海でないから 自分がこういう状況下にいることだけは死んでも嫌ですね・・ ありがとうございました!!
- milmania
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戦場は不衛生ですので、一番問題となるのは感染症です。傷口に菌が入れば破傷風やガス壊疽がおき、手足を切断せねばならないこともままあります。生水を飲めばたちまち食中毒を起こしますし、毒のある野草も多いです。塹壕や熱帯で長雨につかれば塹壕足をおこし、蚊に刺されればマラリアやデング熱に冒されます。朝鮮戦争では米軍兵士がネズミから腎出血熱に大量感染しました。 補給が滞れば、飢餓は勿論のこと、ビタミン・ミネラルの不足が起こります。内陸で一番問題なのは塩分(ナトリウム)の不足で、ひどくなるとてんかん発作を起こして死に至ることもあります。このあたりは、太平洋戦争に参加した日本兵(とくにガダルカナルやインパール作戦あたり)のノンフィクションものが参考になります。 けがは銃弾、砲弾破片、爆風、火炎によるものが主になります。銃弾は貫通力の高いフルメタルジャケットを使うので、外表は小さい孔が開く程度です。法医学関連の教科書には、小口径弾および散弾銃の傷口が載っているものがあります。M2重機関銃やバーレットM82A1狙撃銃のような大口径のものになると話は別で、「スコープの中で、イラク兵士の体の上半分だけが後ろに崩れ落ちた」なんてことになります。砲弾破片は不規則形状の鉄片が高速で飛来することになりますので、文字通り体が引き裂かれます。爆風や火炎は航空機事故の状況が参考になるかも知れません。墜落遺体-御巣鷹山の日航機123便という本にはかなり悲惨な状況が記載されています。また、法医学の教科書にも焼死体の状況についての記載があります。 ガダルカナル島の飛行場奪回のため一木支隊がアメリカ軍陣地に突入したとき、十字砲火を喰らった上に戦車隊の蹂躙を受けました。「鉄帽にものすごい衝撃があったので何かと思ったら、砲弾の直撃を受けてちぎれた日本兵の下半身だった」「群がる日本兵をキャタピラで踏みつぶし、味方戦車にとりつく日本兵を榴散弾で吹き飛ばしたため、戦車は血で真っ赤に染まった。誰かが『これは戦車じゃない、肉挽き器だ』とつぶやいた」というような記述を見たことがあります。また、戦艦武蔵がフィリピン沖で沈没したときも、甲板上に対空戦闘員の手足が散らばる状況でした。このあたりはノンフィクションものを読んで想像するしかないと思います。
お礼
インパール作戦・・。思い出しただけで毛が逆立ちます・・。牟田口の引き起こした最悪の惨劇でしたね・・。 文字を目で追っていけばいくほど苦しい気持ちになりました。知らないことをいろいろ教えてくださり、本当にありがとうがざいます・・!
お礼
腹部に当たった銃弾は内臓をめちゃくちゃに掻き混ぜるほど暴れまわることが多かったので、それこそいっそ殺してくれと泣いて頼むような場面がよくあったといいます。 フィクションの世界でなく、現実にこれが起きていると思うと、言葉なんかじゃつづれない絶望感と悲しみと怒りがこみ上げますね・・。 舌足らずなんてとんでもないです。すごい参考になりました。他にも知っていることがあったらまた教えていただきたいほどです。ありがとうございました・・!