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戦争とは何か
先日とあるサイトで戦闘機・軍事関係がとても好きな人とお話しする機会がありました。 そうした軍事関係の話題が出たのは本当に少しだけでしたが、そこで気になったことがありましたので質問させていただきます。 その人は、現在までに起こった最後の戦争は1991年の湾岸戦争である、と言っていました。 私は「?」と思ったので「湾岸戦争以外にも戦争なんてたくさんあるのでは」と返したのですが、彼は「イラクのは戦争ではない」と。 あいにく私はそうした問題に詳しい方ではありませんが、アフガニスタン・イラクの問題以外にも世界的に「紛争」などと名のつくものがたくさんあることは知っています。 しかし考えてみると、「戦争」と呼ばれるものはそう多くない気もします。 イラクのことについてはすでに「イラク戦争」などと呼ばれていますが、「テロに対する戦い」と言えばいわゆる「戦争」とは違うのかもしれません。 おそらくその彼は「国家と国家の総力を挙げての戦い」のようなものを『戦争』と認識しているのではないかと思います。(ただ、とても若い方でしたのでただ単に世界情勢に疎い、と言うこともあるかもしれませんが) 改めて考えてみると、自分でも疑問に思えてきました。 どこまでが「戦争」でどこまでが「戦争」ではないのか。「紛争」と「戦争」は違うものとして認識すべきか。(辞書的な違いは理解しているつもりです) 歴史年表に「~~戦争」と書かれるようなものだけが(「戦争」と名付けられたが故に)「戦争」なのか。 戦争の定義とは何か。 戦争であれ紛争であれ内乱であれ、やっていることはほとんど同じだと思っていますので、私は一緒くたにして考えていました。 でも実際どうなのでしょう。 気にかかっています。 まとまりのない文章になってしまいましたが、よろしければ皆様のお考えをお聞きしたいと思います。 お暇な時にでもよろしくお願いします。
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もはや、何が戦争かという定義自体が困難かと思いますが、高野雄一『国際法概論』にしたがって言えば、紛争解決の私的な強力手段であって、権利侵害に対する救済である復仇や自衛を除くものということになるかと思います。戦争の特色として、要件にもその限度にも、制約がないことがあげられています。 また、戦争は、必ずしも戦闘状態を必要としませんし、宣戦布告が必要なわけでもありません(手続としての宣戦布告を定める条約はありますが、宣戦布告をしていないからといって戦争でないわけではありません)。 これに対して、「戦争」ではないものとしては、集団安全保障である国連憲章に基づく強制措置や、自衛のための武力行使が考えられます。 こう考えると、戦争は国際法上違法とされているが、それ以外のものは(一定の条件下で)違法ではない、という理解も可能でしょう。 湾岸戦争が最後の戦争である、と説明した人に、「それではどの国とどの国の戦争だったのか」と聞いてみてください。きっと、「イラクとクウェート」と答えると思います。つまり、イラクによるクウェートへの武力侵攻を「戦争」と表現したのではないでしょうか。 これに対して、同じ湾岸戦争でも、多国籍軍のイラクへの攻撃は、安全保障理事会決議に基づいたものであり、国連憲章第7章に基づく集団安全保障の措置と考えられるので、国家間の私的な強力行為たる戦争とは考えないということでしょう(学説によっては国連憲章第51条による自衛権の行使とするものもありますが、いずれにせよ「戦争」ではありません)。 イラク戦争をどのように位置づけるかは議論のあるところです。米国政府、英国政府は、湾岸戦争時の安保理決議にその攻撃の根拠を求めましたが、これを批判する議論も多いところです。仮に両政府の見解が成り立たないとすると、違法行為である「戦争」を仕掛けたとの考え方もできるでしょう。「イラクのは戦争ではない」とは簡単にいえないと思います。 その人とは違う理解かもしれませんが、私はこのように考えました。
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イラク戦争は戦争です。これからは友人の稚拙な理屈を鵜呑みにしないようにしましょう。 チャップリンは映画で「一人殺せば犯罪者、100万人殺せば英雄」と言う言葉を残しています。 近年ではアメリカが関わった戦争の死者数を調べる・報道することはタブーとなっていますね。 イラク戦争開戦以降、現在に至るまで何人の方が死んだのでしょうか。
お礼
もちろん鵜呑みにはしません。ただ、簡単に切り捨ててしまわず、そうした考え方の人もいるのだと理解することは重要なことなのではないかと思います。 何が正しく、何が正しくないかを決めるのは容易なことではありませんし、はたしてそれ自体が間違いのないことなのかと言うことも疑問です。 ですから今回は、あえてなるべく主観を排した(それでも主観を捨てきることは出来ませんし、捨てたからといっても首を傾げてしまうのですが)「戦争」というものの定義を知りたいと思いました。 質問する側の私自身、いまいち割り切れていないので回答者の皆様に誤解を招いてしまったかもしれません。申し訳ありませんでした。 「一人殺せば犯罪者、100万人殺せば英雄」の出典はチャップリンだったのですね。この言葉はとても皮肉な、けれど的確な言葉だと思います。 今回は回答を下さりありがとうございました。 参考にさせていただきます。
- mambo_no5
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情緒的な呼称としての戦争と言うと「大規模な争い事」という印象です。受験戦争・交通戦争なども正しい使い方になりますね。 一方、質問者さんの言う戦争とは、「国家間の外交の一側面」だと思います。 戦闘行為を会談に置き換えたとき、その会談が『外交』に見えれば、それは戦争ではないでしょうか。
お礼
広義の意味での「戦争」は日常的な意味を含みますよね。「~~戦争」「~~戦線」などという言葉はよく耳にします。 戦争=外交の一側面という考え方はたしかにうなずけます。国と国同士が宣戦布告をして戦闘を始めたのならば外交の延長と考えても問題ないでしょうね。 とすると、一方的な侵略行為はやはり「戦争」とは見なされないのでしょうか。 定義としては「たしかに」とうなずけても、それがやはり気になるところです……。 回答ありがとうございました。 参考になります。
- pluto002
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定義などはないと思いますが、団体での命の取り合い = 戦争 という言い方をする日本の団体もありますね。
お礼
たしかに「これが絶対」と言える定義などないのかもしれません。 ただ、とりあえず世間的に通用する(取り決められた)意味を知りたいと思ったもので。 「戦争」という言葉は国語的にはわりと広い意味を持っているように思うので、「団体での命の取り合い=戦争」と言うのもまた間違った解釈ではないでしょうね。 たしかにそうだと感じます。 回答ありがとうございました。 参考にさせていただきます。
- ipa222
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国家が宣戦布告をして正式に戦争状態になることを戦争といいます。 内乱は国家間の争いではないので、戦争とはいいません。 紛争は、限定的なもめ事ですね。 朝鮮戦争は現在も継続していますよ。 ちなみに、世界で一日たりとも戦争や紛争のない日は、歴史上十数日にかないそうです。 人間はどこかで必ず戦争をする生き物のようですね。 殺人や出産や結婚と同じようなものです。
お礼
>国家が宣戦布告をして正式に戦争状態になることを戦争といいます。 ああ、なるほど! こうした問題は難しいことですので、議論しだすと大変ですよね……。様々な立場からの決して間違ってはいない、けれど対立する意見がたくさん出るでしょう。そうした中で考えることはとても意味のあることだと思いますが、今回はあえて「定義」を知りたかったという面もありました。 朝鮮戦争は今も継続していますよね。ただ、休戦となっているだけで。そうして考えるとやはりまだ身近な問題ですね。 回答をいただきありがとうございました。 とてもすっきりできました。
- Zozomu
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かなり私的な解釈ですが、 大量殺戮者が褒め称えられるのが「戦争」という解釈はどうでしょう。 こう考えると、確かに「イラク戦争」ではイラクという国家を 支配するテロ組織からイラクという国家を取り上げ、 あわよくばテロ組織を壊滅させようという方針で戦闘を行った(建前はですが・・・)訳で イラク国民への大量殺戮を容認した訳ではないので、「戦争」ではないと言えるのではないでしょうか。 まぁ、「戦争」を国家間の戦闘と考えるのであっても、 見る方向によって変わってきます。 アメリカ・イギリス等からすると「国連軍vsテロ組織」なので「戦争」ではなく、 イラク=フセイン政権からすると「イラクvs米英他多国籍軍」となり「戦争」と言う事になります。
お礼
>大量殺戮者が褒め称えられるのが「戦争」という解釈はどうでしょう。 それは確実にあるでしょうね。戦争で百万人殺せば英雄だが、日常生活で一人殺せば殺人者だ、というような言葉もありますし。 見る側によって認識が変わるというのもその通りだと思います。方や英雄的行為と見られ、方や蛮勇と見られ……。 私たちはいつであっても客観ではいられませんから、そのどちら側に立つかというのが問題なのだと思います。 難しいですね。 今回は回答ありがとうございました。 とても参考になります。
人を殺しているような戦いに、区別などをもうけるべきではないでしょう。 ただ、国家間によるものなのかどうなのかは、区別するべきかもしれませんね。 ※補足ですが、よく、していい戦争としてはいけない戦争があると言いますが、そんなものはありません。人が死んでいるのですから。 そういう意味では、戦争だろうが、紛争だろうが、規模が小さかろうが、そのようなものは一緒ですよ。うんちくをたれる輩がよく戦争とは~、などと言いますが、惑わされてはいけません。 所詮、言葉の定義など、人が決めたことに過ぎないのですから。
お礼
そうですよね。大義のための戦いであろうと、私利私欲のための戦いであろうと、結局のところ行為の中身は同じことだと思います。 犠牲者が出ることになんらかわりはありません。 私もそう感じていましたので今回疑問を感じたわけなのですが、今回はあえて「定義」を知りたかったということもあります。 会話をする上でそれぞれの考え方の出発点が違うと、どんなに議論をしても理解しあえなかったり、意味がなかったりしてしまうと感じますので。 ともかく、回答ありがとうございました。 参考になります。
お礼
詳しい説明ありがとうございます。 やはり難しい問題ですね……理解するのに苦労します(私に理解力が乏しいからですが;) 発端となった発言をした彼がどう考えているか分かりませんので、今度機会があれば聞いてみようかと思います。 定義付けが困難なのは重々承知しています。多くの問題をはらんでいますので、一言に片付けることは限りなく難しいでしょう。 ただ、それでもなお「とりあえずの定義」が知りたいと思いました。 ……と言いつつも、やはり自分の中でその定義以上にぐるぐると考えてしまうものなのですよね。 自衛行為といっても結局は武力を行使することに変わりはないし(やり過ぎた場合の問題……違法でしょうが)、国家「間」ということは国対国以外の場合は戦争ではないのか、それをなんと呼ぶのか……。 「定義」と「自分の納得できる見解」とは違うものでしょうから、そこで色々と悩んだりしてしまいますね。 うーん。やはり「答え」なんてものは存在しないのでしょう。 今回は回答を下さりありがとうございました。 とても参考になります。