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真実って何なんですか?

前から思ってたことなんですがどうやって 「これが真実だ」って判断するんでしょうか?  真実って判断するまでに色々なプロセスがあると 思うんですけど結局は個人の 思想ということなんですかね? でも例え一人だけ本当のことを言っていても 周りが同じ考えを持っていなければ説得力が ないような気がするんです。 それとも多数派なのでしょうか?でも、 みんなが言ってるからこれが真実に 決まってるじゃないか!! ってのは納得できないんです。 どうやって真実って判断するのかについて 皆さんの意見を聞かせて下さい。

みんなの回答

  • mickel131
  • ベストアンサー率36% (36/98)
回答No.14

「本当のことが知りたい」 あなたの中で心からそう願ってきた思いが、 この質問となって出てきている。 そんなことを私は思っています。 「真実は心でしかわかりません」 頭で考えて判断しても、みんな自分が正しい、と思っています。自分が正しい人たちが集まって戦争を起こしている、これをどう見ますか。私たちの心は狂っています。本当の正しさの基準がわからない人類は、過去からずっと苦しんできました。今、人類が間違ったことに気付いて、本来の姿に帰っていこうとする「意識の流れ」が確実に太くなって来ているときだと、思われませんか。  頭で正しくても、心が間違っていれば間違いなのです。「自分の心が苦しいとき、自分は間違っている。」これが、あなたから、あなたへの、最大のプレゼントだと思うのです。最後にこの言葉を思い出すことができたら、この言葉に素直になれたら、・・・と思います。   --------------------------------------------- 田池留吉 「意識の流れ」 See You a. 250 y. By then .

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.13

No.9です。 地球は平面じゃなく丸いと言った人は裁判にかけられ、自分の主張を取り下げましたが、「それでも地球はまるいんだもん」と言ったとか。 これはその当時の宗教では地球は神が平面に作ったという概念があり、神を冒涜する説だとして厳しく弾圧されたわけです。 じゃあなんで船はマストの上の方から見えてくるのか答えてくれる人は誰もいなくても、本人に持論を取り下げさせることに成功した。 社会的弾圧で真実を捻じ曲げる事もできる。 この場合1対多数なので、多数側が間違っていても責任を取る必要はなかった。 責任が誰に帰するのかもあいまいだし。 でも1の方は発言の責任を取らされます。 >どうやって真実って判断するのかについて >皆さんの意見を聞かせて下さい。 この考えには真実は一つしかないというものの上になりたっていますよね。 英語では one of the best という表現があります。 「ベストは一つじゃないか」って日本人にはわかりにくい概念です。 大きな新説には大きな反証がつきものです。 ちっぽけな反証なら、ちっぽけな説でしかない かも。

回答No.12

真実はただ真実です。論理的な考えから導き出された結果がただ真実ではないでしょうか?

  • corpus
  • ベストアンサー率12% (25/200)
回答No.11

「これが真実だ」という判断と、 「これが真実でない」という判断とでは、 どちらが簡単なプロセスでしょうか? 私は、「これが真実でない」というほうが 簡単なプロセスだと思っています。 「これが真実だ」という判断は、 「これが真実でない」と考えつづけていくと、 どうもおかしなことになっていくぞ! そろそろやめようかな? というときにされるのだと思います。

回答No.10

「真実」とは先ず、社会的真実(裁判などでの審決)なのか、個人的真実なのかで分類しないと、真実の意味が判 然としないと考えます。  ここで問題とされていることは、おそらく社会的真実 なのでしょう。 裁判などに関する内容なのだと解釈し ます。  さて、そうだとすると、これは相対的なものであると 断定すべきだと、私は考えています。 社会が多数決の 基準とした、何らかの法律に対して、個人の真実が評価 されるわけです。 即ち、究極には、社会的真実とは、 その社会環境(思想・信条)に左右されるものです。   例えば人類が、仮に宇宙人を人類と考えなければ、こ の生命体を殺傷しても、勿論殺人とは誰も考えないこと になります。 「あいまいさ」は、必ずつきまとうもの で、こう考えると、現実の社会というものは、そら恐ろ しいものです。 人類の宿命というべきものでしょう。

回答No.9

「事実は1つだが、真実は人の数だけ存在する」という言葉を聞いたことがあります。例えばイラク戦争。「米英の軍隊がイラクに行きフセインの独裁政権を倒した」という事実は1つですが、それをどうとらえるかはその人の立場や思想で異なるでしょう。個人的には「事実=実際に起きたこと」、「真実=自分が正しいと思うこと」だと思います。

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.8

むずい。 裁判で真実が出ているとは限りませんよね。 でも、「私がやりました。かくかくしかじかで」って証言されたものに、決定的な矛盾が無ければ、警察の調査内容と一致したし、本人も私がやたっていっている以上、法律に基づき判決を下しますよね。 もうすぐ、陪審員制度が始まるそうですが、私ヤダ。 だって真実がわからないのに、そんな人の人生を左右するような重大な責任負わされたくないもの。 陪審員制度になれば、人の心を揺さぶるような弁論をした方が勝ちになるじゃないですか。 真実はさておき、感情論が全面的に出てしまうじゃないですか。 人を殺した人を無罪にできるじゃないですか。 「これが真実だって言うとき、その前提に何かがあって、それを強く否定して新しいものを出すとき言いますよね。」 従って必ずしも真実なのではなく、強調としてその言葉を使っているにしかすぎない。 そこにはさらなる別の見解によって否定される可能性を秘めています。 じゃあ「これが真実だ」と嘘を言ったのかとなると、そういうもんじゃない。 その人が知りうる情報を分析して、他の人の言っていることは正しくなく、自分が正しいと思ったからこそ「これが真実」って言うんです。 つまり「これが絶対です」と言っても絶対とは限らないが、確信みたいなものがあれば、そういう言い方をする。 特に前に別のものがあれば、それを否定する時使う。 従ってなんとか真理教とかなんとか真理とか宗教関係ではよく使われますが、この場合、やっぱり前のものを否定し、自分の方が正しいという意味あいがあると思います。 もちろんそれは別なもので否定される可能性を有しています。 哲学などでは 語尾を「○○だと思います」にすると説得力に欠きます。 従って語尾を決めつけ言葉にすることがよくあると思います。 それに対し「この世には絶対などない」と絶対かどうかなど語尾の問題を揚げ足とりのように議論を延々としても時間の無駄だと思います。 相手が「こうだ これが真実だ」という意見を別の意見で覆すことが哲学の醍醐味だと思います。 だから真理という相手の言葉に惑わされる必要はないと思います。 その真実とすることの矛盾を指摘して、あなたの言う真実は不完全ですと理論で押せばいいんだと思います。 感情論になっちゃうと・・・さいなら~です。 感情論なら真理じゃなくて、えっと心理学の方だと思うので。

  • jazzkazz
  • ベストアンサー率37% (114/308)
回答No.7

「個人の思想」「みんなが言ってるからこれが真実」これらは【真実】ではありません。 【真実】と思っているにすぎないだけです。 【真実】とは既に先の方の引用させてもらうと「ウソ偽りの無い事、本当のこと、またそのさま」です。 ですから、「一人だけ本当のことを言って」のこの本当の事が【真実】に該当します。 「個人の思想」はその思想が実際にある事だとすれば真実ですが、実際には確認とっていないし確証もない場合は真実とは言えず想いや考えでしかない為、思想や思考でしかありません。 「みんなが言ってるからこれが真実」この場合はタダ単に騙されているだけです。真実は嘘偽り無いことで事実なので実際に見せる事や表せる事ができれば説得力がない事は無いはずです。もし、その場合に多数派が認めない場合はタダ単にそれを認めたくなく、目を背けているといった具合かと思います。 おそらく、質問から察するに(間違ってたらごめんなさい)「自分の考えは間違ってないからこれが【真実】」と言った具合で使っていいものかどうかと言う事も悩まれてたのではないかと思います。 このパターンの場合。自分の考えに基づいた結果があるなら【真実】ですが、「自分の考え」止まりだったら【真実】ではないです。 あまり【真実】と言った言葉は、裏打ちされた結果があった上で実際に使用すべきなので多用するモノでもないと思います。また、雑誌や新聞に載っているレベルは信憑性の面で言えば本当の話と憶測の話が交錯しているので何処までを【真実】と判断するのかは難しいです。 私の考えとしてはこんな所でしょうか。

回答No.6

わたしは、真実というのは、「ひとまとまり」になっているものだと思います。言い換えると、いくつかの部分に分解できないものです。この意味での真実の典型は、いわゆる自我意識であろうと思います。自我意識は分解できません。強いて行おうとすると消滅してしまいます。水を水素と酸素に分解すると、水はなくなってしまいます。この限りでは水は真実ではないわけです。一方水は水としてある限り真実です。逆説ですが、わからないもの(=わけらえないもの)だけが真実ということになります。世に言う権威というのはそう言うものです。権威を理解しようとすると、罰せられるか排除されるかという仕打ちを受けます。権威はわからないから真実なわけです。真実というのはそういうものではないでしょうか。すると真実というものは何かという問いそのものが成り立たないことになってしまいますが・・・

回答No.5

ガリレオガリレイの話を思い出しますねぇ、天動説と地動説、当時の常識は天動説だったので裁判でガリレオは虚言流布で有罪。でも最後にボソっとガリレオは「それでも地球は動いてる」って言ったんですよねぇ。 ケースバイケースだと思いますが真実ってその場で明らかになるものとその後明らかになるものがあると思いますねぇ。

yu1ro
質問者

お礼

ガリレイの話はいい例になりますよね。 ありがとうございます。

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