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国民所得倍増計画について
1960年の国民所得倍増計画は何で出来たのですか?その背景を教えてください。 私の考えだと、たしか同年に日米安全保障の改正があったため、その反発を抑えるためだと思いますが、どうでしょうか?
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>同年に日米安全保障の改正があったため、その反発を抑えるためだと思いますが、どうでしょうか? 確かに、直前に安保の改正問題で岸内閣が退陣していますし、そういう視点もあったと思います。 その他には、 ◎池田内閣にとって政治的論点より経済的論点の方が取り組みやすかったということがあると思います。 池田勇人は、石井光次郎、藤山愛一郎、大野伴睦(伴睦は結局総裁公選には出ていませんが・・)等の党人と総裁の座を争います。結局池田の圧勝だったのですが、池田は、組閣の際、「寛容と忍耐」を掲げ、反主流派との融和を図ります。そういう背景があるので、利害の衝突が起こりやすい政治的論点より、経済的論点の方が取り組みやすかったのでしょう。 もう一つは、 ◎高度経済成長の萌芽が既にあらわれていたことが挙げられると思います 昭和31年(でしたっけ?)には経済白書は「もはや戦後ではない」と謳っていますし、神武景気も既に起こっています。また、昭和30年には16万台だったテレビ受信契約数が、35年には680万台を突破したと言うのですから当時の経済の成長っぷりが伺われます。その様に高度経済成長の基盤は既に出来ていたので、経済政策は着手しやすかったのでしょう(成功の公算があった) こんな感じだと思うのですが、この辺は、戸川猪佐武さんの小説とかも読むと面白くてためになりますよ。(漫画でも出ているので、よろしかったらドウゾ)
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- sgi1962
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所得も実際倍増しましたが物価も上がりました。 でも、人々の暮らしは日増しに豊かになりました。 私は62年生まれなので体感的に 暮らしが次第に豊かになっていくのがわかりました。 もう、あの時代のようなGDP、年2桁成長のような ことの再来は日本ではないでしょう。
- fortranxp
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まだ東海道新幹線ができる前で1ドル=360円の時です 京浜コンビナートなど都市部の近郊に大工業地帯を 建設して地方の若者を都市部に集中させアメリカへ 鉄鋼やタンカーや車 電化製品その他を輸出して 今の中国のように年間成長率10%以上を達成しました。 その頃の定期預金の金利は5.5%位でしたので 10年で 1.7倍に成りました。 しかし 物価の上昇も物凄いものが有りました。 要するにインフレ経済だったのですね。 佐藤内閣のときは農村では若者がいなくなり三ちゃん 農業問題が発生しました。 次の田中内閣では列島改造論というのが話題になりました。