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所得倍増計画?
はじめまして。最近政治に精通するよう努力しているものです。さて、池田隼人が考案した国民所得倍増計画とはどういったことなのでしょうか?だれか理解力に欠けているため簡潔に教えてください。お願いします。
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- ayakid
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国民総生産っていうのは言葉のとおり生産されてものですね、商品とか財とか^^ いわゆる給料っていってもいいかもしれませんっ^^まぁこれでもわからなかったらhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E6%B0%91%E7%B7%8F%E7%94%9F%E7%94%A3ここで^^ 国民ですから外国にいる人(イチローとか中国のマツダ社とかに勤める日本人)も含まれるですよ~~。世界第2位ですっ。 でも長引く不況で結構横ばいですよね~~日本って・・。 完全雇用っていうのはある意味今の逆ですよね、今は企業が人材を決めますが、高度経済成長(バブル)時代こっちがどこの企業にいこうかな~~って選んでたんですよね~、いわゆる、ほぼ100%採用される状態だったってことですねっ^^まぁこれは理想的な考えですから詳しくはhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%8C%E5%85%A8%E9%9B%87%E7%94%A8#.E7.8F.BE.E5.AE.9F.E3.81.AE.E5.AE.8C.E5.85.A8.E9.9B.87.E7.94.A8で^^
- pluto001
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アメリカ合衆国が大きな赤字、経済不安を抱えていたため、日本が安くて品質の良いものを作っていては困るので、円の価値を上げる必要がありました。 これによって日本政府は「所得倍増」といういかにも「みんなの給料が上がって得するよ」というイメージを持たせるという適当なネーミングをつけたということです。 そんな大国アメリカの事情によるいわゆる国民所得倍増計画でしたが、それをテコにしたその後の政官財の制作がうまくいったので日本は経済大国となっていきました。 その後も大国に翻弄され、大バブルとその大崩壊をたどったり、巨額のドルを日本が買い支える事となったり、多くの軍事予算を上納する事となったり、と続きます。
- ayakid
- ベストアンサー率16% (49/301)
池田勇人ですよ(笑) 正確には『国民所得倍増計画』といいますね^^ 国民所得いわゆるGNP(国民総生産)を定期年までに2倍にすることを目標に掲げたものですね、1960年に出された案で定期年は10年でとのことでした。予想はかなり外れて5分の1である2年で倍になったので高度経済成長はそれからできたのですね~~。 なんでこの案をだしたかといえば外貨獲得、完全雇用を目指したことだそうです、現在日本は外貨準備は世界1位ですっ!!(難しいかな・・・ 当時のGNPは13兆6千億円で目標は26兆円でした。10年でのはずが2年であっという間だったのでその先のことを考えることになってしまったそうですっ^^ そのおかげで高度経済成長時代を向かえ4年目の1964年には先進国(G7)の一員となって日本は注目を浴びるようになりました、この案はソ連も真似したそうですが、失敗に終わったという話も実在しています!!
補足
ご回答ありがとうございます。しかしながら私の頭では理解に乏しいような・・・初歩的な質問なのですが国民総生産というのは国民が使った物のことですよね?確か・・・!何かこれについてのいい本などあったら教えてください?外貨獲得・完全雇用?よくわからないです・・・・!
- fortranxp
- ベストアンサー率26% (181/684)
私なりの解釈ですが 政府の資金を都市工業地帯に集中投資して 電力 製鉄 造船 機械などの産業を育成し アメリカを中心に大いに輸出を行った。 1ドル360円の時代で日本製は安く高品質だったので 輸出は大きく拡大し利益も大きくなった。 そして貯蓄を奨励し定期で5.5%であった。 企業の利益と銀行預金と税金をさらにこれらの産業に 集中投資を繰り返しさらに輸出を拡大した。 また 労働者にも毎年8~10%のベースアップもしたので国内消費も増大した。しかし このためインフレも 高くなり公共料金も毎年数%上昇し給料が増えた感じ なかった。でも東京オリンピックまで物凄くあちこち で道路などが整備されていった。
補足
ということはこの所得倍増計画をやったおかげで、バブルの時代につながったのでしょうか?
お礼
詳しい説明ありがとうございます。大変わかりました。今後も勉強していきたいと思います(笑)