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コリント人の手紙1のなかの「異言」とは
コリント人の手紙1に「異言」について書かれていますが辞書によれば神がかりになって口走ること、となってます。が、別の場所ではあたかも外国語であるかのように記述がしてあります。どちらでしょうか。
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どちらも異言を説明したものです. 祈りには2種類あります.普通にする祈り,例えば「愛する父なる神様・・・・」という祈りです.このように意味の分かる言葉で祈りをするのではなく,聖霊様の導きに任せて,自分の霊で祈るのです.赤ん坊が意味の無い音を発するように,「ババババーブーアー・・・・」みたいな感じです.聞いていても何のことやらさっぱり分からないし,気が狂ったのかと思うかもしれません.だから,外国語のように聞こえるわけです.これを異言で祈るといいます.意味は分かりませんが,自分の霊が祈っているのです. 第一コリント14章23節 「ですから、もし教会全体が一か所に集まって、みなが異言を話すとしたら、初心の者とか信者でない者とかがはいって来たとき、彼らは、あなたがたを気違いだと言わないでしょうか。」 ではどのように行うのかというと, 聖霊のバプテスマをご存知でしょうか?使徒の働き1章5節 「ヨハネは水でバプテスマを授けたが,もう間もなく,あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです.」 水のバプテスマとは一般に知られている洗礼のことです. 洗礼は体の死と復活を意味していますが,聖霊のバプテスマとは霊的なものです.この聖霊のバプテスマにはいつも異言が伴います. 牧師先生などが頭に手を置いて祈って下さるときに,聖霊様が働き,私たちに力をお与えになります.すると私たちの霊が起き上がり,意識ははっきりしていますが,立っていられなくなり,倒れこむこともあります.そのとき口が勝手に異言を発します.これを聖霊のバプテスマといいます.クリスチャンとしてしっかりした信仰の上に立ち,神様に近づき,神様も近づいてくださった証ですね. 使徒の働き 2章1節から4節を読んでみてください. 以上は聖霊の満たしといって聖霊様の力が私たちに注がれ,あふれ出たときのことで,いつもいつもそうなるわけではありません.異言の祈りは繰り返すうちに,自分の意志でいつでもできるようになります. 祈るときに異言で祈るよう教えられる教会もあります.
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- kigurumi
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そこを読んだ時こう解釈しました。 そこにはいろんな地域の人たちが集まっていて それぞれ話す言葉が違うので、それぞれが祈っている 内容はわからない。 はたからみると意味がわからないので彼らは神がかりに あったかのように、意味不明の言葉を口に出るまま音として叫んでいるように見える。 いよいよ講堂が興奮状態になる。 自分も触発され興奮状態になり、叫びその人たちと一体化する。 すると突然他の国から来てさっきから叫んでいる人たちの 言葉が理解できるような共感状態に陥る。 「どうしたことだ。言葉が違うはずなのに言っていることがわかるぞ」と思える。 興奮状態の中に身を置いておらず、外から眺めている人には、 相変わらずみんながいっせいに一方方向を向き、ただ叫んで 体を打ち震わせ祈っているが、その言葉の意味がわからないので 異様にしか感じない。 集団心理が関連した現象だと思います。
お礼
質問したとき愚問してしまったかなと思いましたが回答を読ませていただいて、こんな素敵な回答を皆さんと共有できるのは素晴らしいと感じ、意義があったと思います。