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わかってしまいます。
決して自慢ではありませんので、宜しく お願いします。私は 人と接して、何分か経つと その人の仕草や 言動で、今気を使って話してるとか、今自慢げなんだなぁとか 瞬時に わかってしまいます。なので、なんていったらいいかわかりませんが、嫌になってしまうんです。そんな自分も 相手のことも、わかるのが 遅くなるのは たいてい心の綺麗な人です。心が 汚れていたり、何かを企んでいたりする人には 私は 全く心を開く事はありません。只開いているふりをして生きています。だから 裏切りも平気です。やっぱりなぁーつて言う感じて、何も 変化なんて ありません、一番自分で嫌なのが、人が死んでも悲しくもなんとも無い事です。人間に対してとても、冷めていて、むしろ動物の死の方がかわいそうだと感じます。人間が死んだと聞いても、その人は そういう運命だったんだ、という感覚のみです。今人が 目の前で死んでも多分何も感じないと思います。そんな自分が時々 恐いやら、なんやらで、かわいそうとは一応思うのですが、、それ以上の感覚は特に他人にはありません。むしろ 無防備で正直で 素直な人が本当に 凄いなぁって思います。わたしのこの感情は何から来ていますか教えてください。
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推測ですが、おそらくあなたは心を開いていると言っている人にも心を開いているわけではありません。また、その自分が心を開いているという人の数も少ないと思います。 また、世の中に心が汚れていたり、何かをたくらんでいる人の方が多いので、あなたが心を開くことが出来ると思っている人は少ないはずです。 ですから心を閉じているのになれてしまっているのだと思います。 僕も今大学生ですが、小学校から生活してきて本当に心を開いてはなせる友人はいません。普通の友人はいますが。 僕もおそらく心を閉じていることになれてしまっているからです。人が死んで悲しいと思うのは、多分その人に思い入れがあるから、心を開いていたからです。 僕もおそらく友人が死んでも涙を流すことはないでしょう。 僕はむしろ全くの赤の他人が死んだことで涙を流せる方がすごいと思います。余程感受性が強いのでしょう。 また、他人の仕草や言動で、今気を使って話しているとか、自慢げなんだなぁっていうのが分かるというのはなにも珍しいことではないと思います。 ある程度の人付き合いをしている人はたいてい分かることだと思います。 なので何もいやになってしまう事はありません。そうやって人は知らず知らず相手の気配を探りながら話をしているものなのです。 今あなたに必要なのは何かに感動することだと思います。何か新しいことを初めてみては。
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- Syo-ya
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こういう短歌があります。 「手を叩く、鯉は餌と聞き、鳥は逃げ、女中は茶と聞く・・・・」 「ポンポン!」と打った手の音を、それぞれが勝手な解釈をしていて面白いという歌です。 つまり「心」というものは、個の持つ条件によって意味が違ってくるのであって、「手を叩く」という行為の真の意味を正確に把握しているものは、実は居ないんです。みんなそれぞれの立場で自分の気持ちを事象に投影しているだけなんです。 簡単にいうと、実は、わかったような気になっているだけなんです。 で、自分の思っていることは相手の真意であると自他を同一視してしまうんです。 これは「心」の持つ傾向ですから、どうにもならないと思います。 確かにその瞬間、瞬間の表情や、態度から意味を読み取ることは出来ます。 言葉や態度というのは立派なコミニュケーションツールなんですから。 でも、しかし、それは絶対!にこちら側の持つ条件を超えることは無いんです。 鯉は手を叩く音で「お茶の催促かな?」とは思わないんです。 ですから「わかったつもりになっているんだ」程度に収めといたほうが懸命だと思います。 第一印象や第六感は信頼に値するものだと思いますが、「心」というものの性質を知れば、意外と自分の殻に閉じこもっていただけということも見えてくると思います。
お礼
ご回答有り難うございます。そうですか、難しいですが、何となく 解る気がします。色々教えていただいて有り難うございます。
- lovelovemusic
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あなたの求める回答にはなっていませんが、私もあなたと似たタイプの人間です。今自分の周りの誰かが亡くなっても、悲しくないです。それがたとえ両親、兄弟であってもです。寿命を宣告された人に対して少しでも延命を願う人の気持ちもあまり理解できません。話はそれますが、生まれてきてよかったとか、両親に産んでくれてありがとうとかいう感情ももったことがないです。どうしたらそういう感情をもてるのか教えてほしいです。
お礼
早々の ご回答有り難うございます。おっしゃる事とても よく解ります。私も 延命治療には 疑問ばかりで 主人には 私が そんな状態になったら、延命治療など しなくてもいいから、そのまま 死なせてと伝えています。多分今 余命半年と 宣告されても、笑ってしまうと 思います。時々 思うのですが私の死ぬときは自分で もう この辺でいいよ、、と思えば ボタンか 何かを押したら 死ねるように世の中 なればいいのにと 思ったりします。本当に、私も 有りがたいとか言う感情教わりたいです、色々有り難うございました。
- lelelele
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あはは。 私みたいな人いるんだぁ。 人の話を聞くと、自慢?いやみ?なにか計算があるに違いないなどと思ってしまいます。 正直、あまり人を信用できないな。 無防備というか、裏がない人って、ごく稀にしかいない。 そういう人を大切にしましょう。
お礼
早々の ご回答有り難うございます。私は 人を信じる事は もう、死ぬまで無いように思います。無防備、心の綺麗な人、本当に 大切ですね。有り難うございました。
- seinzeit
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そのような感覚のことを「全能感」といいます。 特に20歳前後ではよくあることです。 >今気を使って話してるとか、今自慢げなんだなぁとか この程度の他人の心は、10代始めのころはまだ分からないでしょうけど、社会に出て何年か経った大人なら、誰だって分かります。別に特別すごいことではありません。 思うに質問者様はちょうど今、少し前まで分からなかったことが分かるようになってくる年頃なんですよ。急激に成長しているから、戸惑いや混乱があって、強く意識されてしまっているのだと思います。 そしてあと数年すれば、人の命の重さや、人と人の精神的なつながりの大切さも自然と分かるようになってくるはずです。心配しなくても大丈夫。いつのまにか、「あれー?私、冷たい性格だったはずなのに・・・?」と思いながらメロドラマに号泣してしまう日が必ずやってきます(笑)
お礼
こんばんわ。早々の ご回答有り難うございます。何も わからなかった時代が 今なんとなく 懐かしい、計算もしなかった、人の裏も 探らなかった、私の母が もう70代ですが よく泣いてます、私からすれば 笑う所なのに^^; 私も 年とともに 母のように なって行くのですね(笑) 色々有り難うございました。
- silpheed7
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単なる思いこみでは?
お礼
早々の ご回答有り難うございます。自分の 単なる感覚だけなら いいんですが、、
お礼
こんばんわ。早々のご回答有り難うございます。私は20代の頃に 子供が出来無い事で 他人、親戚、諸々ひどい事を 言われ続けてきました。その時に 人は自分以外の事では 平気で人を傷つける 人種なんだと 痛感しました、その頃から 私は全く人間に対して心を開く事がなくなった様な気がします。むしろ愛犬が 病気になったり 死んだりする事の方が 私にとっては 悲しみの対象で、人間の死は私の対象外になってしまいました。おっしゃる事とても わかります。私も親友は 居ません。というか 不必要に感じます。でも これも私ですから 受け止めて行きたいと思います。有り難うございました。。