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レトリック
初歩的な質問で申し訳ないのですがお暇なときに。 1.尊属殺人が刑法から削除された時の理念は、「被害者の法の下の平等に反する」というレトリックだったと思います。 2.「男女差別はいけない」というのは、否定しにくいレトリックです。 この2点から考えると、 「私(男)の父と隣のおじさんは平等であり、隣のおじさんと隣のお姉さんは平等です。私は隣のお姉さんと結婚できるのだから、私の父と結婚してもよい」 となりますが、このレトリック、どこがおかしいんでしょう? 非常にプリミティブな質問ですいません。 「おかしくないよ」とか、「男女差別がいけないという共同幻想が、、、」ではなく、ちょっとした遊び感覚でリーズナブルなお答え期待しています。
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ちょっとした遊び感覚で、とおっしゃっていますが真面目に答えましょう。 論理的な文を読んだり書いたりするときに大事なことは、無意識あるいは隠された前提を見出さなければなりません。 常識に反する結論が出た時に特にそのことを疑わなくてはなりません。 今回の「私(男)の父と隣のおじさんは平等であり、隣のおじさんと隣のお姉さんは平等です。私は隣のお姉さんと結婚できるのだから、私の父と結婚してもよい」という文に関して言えば イ.結婚は男女で行うもの ロ.直系親族同士では結婚しない という常識的な二つの前提が抜けています。 つまり、上のイとロについて議論し論証した上でCageAnoeさんのおっしゃる2点について同意を得れば議論は成立しますが、ごく当たり前の常識を前提とすれば、どんなにレトリック(修辞)をめぐらせてもご質問の文は正しくはなりません。 その他にもイとロの前提を無視したとしても今度は「平等」という言葉の使い方に問題が生じます。言い換えると「法の下の平等」という言葉の意味を無制限に拡張して良いのかという問題が生じます。 ついでに書きますとレトリックというのは修辞法とも訳されるように、文を書くときの技巧であってその巧拙が問われるものです。論理展開を指すわけではありません。もちろん、レトリックを巧みに使うことで論理展開をごまかすことはできますが レトリックが正しいとかおかしいというのは言葉の語法としては変な使い方であると私は思います。よって、私はご質問の文内での「レトリック」=「論理または論理展開」と理解して答えさせていただきました。
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- kobe-kun
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#2のお礼 > 「常識って何なんでしょうか?」というのが、実は僕が一番訊きたかったこと 常識と言うのは、その人が過去得た知識や経験によって形作られるものですから、その人その人に よって、違ってくるのは当然のことなのでしょうね。 「善悪の価値基準」も、人により、違って来る場合は多いものですが、本来の「善悪」の意味とは、 【 人類全体の利益にかなうかどうか 】と言うことを基準にして、判断されるもののはずでした。 しかし「国同士」が反発し合ってるような時代には、自国の利益になる考え方こそが、「善」だと、 そう判断されることになってしまうのも、少なくとも今までは、普通のことだったようです。 法律も、結局は多数の人間が決めることなので、「科学知識による合理的な判断基準」のみでなく、 今までの「習慣とか常識」により、様々にに影響を受けることも致し方ないことだったのでしょう。 法律は、「国の単位」で決められているものですから、婚姻制度の違いも、住む国が違っていたり、 その時代時代によっても、さまざまに変化してしまうことも、一応は理解できるところです。 結局これら「婚姻の制度」は、単にその国によって決められた法律に過ぎませんから、その法律が、 時代に合っていて、現在において合理的なものかどうか、常に見直して行くことが大切なようです。 「婚姻」の制度や「出産」に関する制度も、各国の事情を反映して、さまざまな考え方が有ります。 ------------------------------- ・ 記憶は定かでないですが、どこか中東の国には「一夫多妻制度」が、まだ残っているのだとか。 ・ TVで見たどこかアジアの国では、嫁いだ嫁はその「家族の兄弟全部」と夫婦関係になるとか。 ・ 最近は少し見直され変化しているようですが、中国の「一人っ子政策」と言うのも有りました。 ・ アメリカの特にカソリック団体が主張する「堕胎を禁止する法律」は、合理的なのでしょうか。 ・ 日本も「性変更」が可能となりましたが、この人々は変更した性別で婚姻可能なのでしょうか。 ------------------------------- などなどと、単に「婚姻の制度」のみではなく、他の事柄ともいろいろと関連して来るようですね。 新しい法律を作る場合は、過去の常識を払拭し、「現在その国のおかれている問題」を解決できる、 最も合理的な制度に変えるべきである、と言う考え方に立てば、現在日本は【 人口の減少 】が、 もっとも深刻な問題になりつつあり、それらを解決できる「婚姻制度」に変えるべきなのでしょう。 そう言う観点に立てば、例えば、【 一夫多妻制度を復活させる 】とか、子供の生まれることの ない、【 同姓同士の結婚を認める 】代わりとして、養子縁組による「子育て」を義務付けたり、 他人の子供を育てる人には、生活費を国が全面的に援助する、とかのアイデアも、検討に値すると 思うのですがどうでしょうか。 繰り返しになり恐縮ですが、これらの事柄は< 常識がどうか >と言うような観点からではなく、 「法律や制度」を< 時代に合わせ、いかに上手く、合理的なものに変えるか >と言うところに、 その論点は尽きるのではないかと、私には思われるのですが。。。
お礼
すいません。どうも僕の質問の仕方が悪かったようです。 同性結婚や法の下の平等はどうでもよくて、要は「議論をずらすことで成立する議論」「屁理屈」「ダブルスタンダード」が蔓延っていることを言いたかったのです。 ●泥棒が屋根の上を歩いていたら屋根が抜けてしまい、その泥棒は屋根の建材メーカーを訴えて勝訴してしまう。 ●大量破壊兵器がないことを証明しなければ攻める。 ●非戦闘地域に自衛隊を展開しているのに、非戦闘地域の定義は「自衛隊が展開しているところ」、、、。 まともに議論する気はなく、無力感を相手に(人々に)与えることで、自分の意志を達成するあの手法のことです。 その例として変な三段論法を挙げて、皆さんに否定していただきたかったのです。 でも丁寧に答えていただき大変参考になりました。 おかげさまで、自分が固まった思考に嵌り込まずにすみそうです。 皆さんありがとうございました。
- cse_ri2
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|しかしその運動の成功が、その運動の手法を正当化して |しまい、正しいと信じる理念のためなら手段を問わない、 |暴力的な手法、或いは屁理屈を弄するいう手法がまかり |通る、という状況に対しての対処法法が解からなくなって |きたのです。 上記の発言を読んで、私は中国の文化大革命を思い起こし ました。 過ぎてみれば何であんなバカなことをやったのかと、私だけ でなく、中国人民の方も今は思っているでしょうが、あの 文化大革命の最中は、そんなことを言えば生命に関わった でしょうし、また多くの人たちが疑うことなく信じていた ようです。 実際、文化大革命の前例が示すように、毛沢東のような知識も 知名度もあり、かつ大衆闘争に長けた人物が指揮をすれば、 たいていのことは実現してしまいそうです。 そして残念ながら、それに抵抗する手段は、私には思いつき ません。 実際、戦後に日本は、よく共産化しなかったものだと思います。 もし毛沢東のような人物が日本にいて大衆闘争を指揮すれば、 日本も赤化されていたかもしれません。 しかし、どんなにもっともらしい理論であれ、それが間違って いれば、いずれその理論を採用した組織は破綻します。 文化大革命も、毛沢東の死去とともに終わりを告げました。 また世界中を席巻した共産主義も、共産主義を採用した国が いずれも経済的に停滞・もしくは破綻したため、その理論の 過ちが明らかとなりました。 よって、イデオロギー闘争を仕掛けられた場合、それが正しく ないと確信できた人たちが、対抗する理念や組織を立ち上げて、 時間をかけて抵抗するしかないでしょう。 相手の理論が間違っていれば、いずれ破綻します。 ただし怖いのは、どこかでその理論を実証させる場を作る ことと、その理論が間違っていた場合、それによって生ずる 損害をどうするかですね。 中国の文化大革命では、失われた生命も莫大な数に上りますが、 伝統的な道徳観が根こそぎ破壊されてしまいました。 今の中国に即物的な価値観が強いのも、単に一党独裁の共産 主義国家というだけでなく、現在の社会の指導層が文化大革命 を体験した世代であるということも、あるのかもしれません。
お礼
かなり質問の趣旨から離れてしまうので、文革については触れませんが、 >どんなにもっともらしい理論であれ、それが間違って >いれば、いずれその理論を採用した組織は破綻します。 これは違うと思います。 毛沢東は完全なるマキャベリストですが、理論が間違っていたというのは、結果から逆に帰結しただけに過ぎません。 取って代わる理念がないと、どんなに間違っていても続きます。アメリカは間違っているかもしれないけど、それに変わる普遍性を持つ理念がないからつづくでしょう。 ご意見ありがとうございました。
- kobe-kun
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> 隣のおじさんと隣のお姉さんは平等です。私は隣のお姉さんと結婚できるのだから、私の父と結婚しても 『どこがおかしい』かと尋ねられたときに、変な考え方のところを、その通り素直に見付けるとすれば、 「人類の平等の理念」と、日本国の法律を、混同して考えてしまっているところに有るのだと言えます。 ----------------------------- 「 第1節 婚姻の成立 」 http://www.houko.com/00/01/M31/009.HTM#s4.2.1 http://www.houko.com/index.shtml 第1款 婚姻の要件 第734条 直系血族又は3親等内の傍系血族の間では、婚姻をすることができない。 但し、養子と養方の傍系血族との間では、この限りでない。 ----------------------------- 日本での「婚姻に関する法律」は、上記のように、民法の中で決まっているようですが、「親族」との 婚姻は認められていませんよね。 但し、日本において「同姓同士の婚姻」が、認められるか、認められないのかに付いては、専門でも無 いので、良く判りませんでした。 結局これらの事柄は、【 平等かどうか 】などと言う問題ではなく、恐らくは「優生保護の観点」から 考え出された、日本国における「婚姻に関する法律上の問題」だと、言うことになるのでしょう。 ですので、仮に日本国以外の外国で、「同姓同士」そして「親族内」での結婚が許される国が(もし)、 有るとするならば、貴方の主張も、< 何らの問題も無い! >と、言えるのではないでしょうか。 そう言えば少し前にも、アメリカのどこかの州で、「同姓間同士の結婚を、認める法律が通った」、 と言うようなTVニュースも、見かけましたが、その後も少しもめてはいるようです 。。。
お礼
kobe-kunさん、こんにちは。 法律と理念を混同しているとのご意見、然りごもっともだと思います。ただ「法律で禁止されているから従う」人ではなくて、「法律の上位に理念を置いているんだよ」という理屈を述べられたらいかがですか?そういう人の論理を否定して頂きたいのです。 恐らく同性結婚を主張する人たちの論理展開は、「人類の平等の理念」を法律にも反映させよう、つまり同性結婚を認める法律を作ろう、となると思うのです。 オランダなどでは同性結婚が認められているようですが、同性結婚の是非はさておき、物事の常識というのは、多くの人の共通価値観という幻想に基づくものだと考えます。これを変えるにはたいへんな労力を必要とするでしょうし、また先達の努力によって、公民権が確立したり、女性の社会参加が拡がったのだとは思っています。 しかしその運動の成功が、その運動の手法を正当化してしまい、正しいと信じる理念のためなら手段を問わない、暴力的な手法、或いは屁理屈を弄するいう手法がまかり通る、という状況に対しての対処法法が解からなくなってきたのです。 「盗人にも三分の理」といいますが、たとえばカルト教団の勝手な論理展開に対して反論しても、「おまえも俺も相対的な存在なのだから、おまえは俺を完全に否定することはできない」という論理に対して、自分もその論理を共有しているわけですから、相対的にしか反論できないですよね。 でも僕とカルトが共有している部分を、僕の論理否定に用いられ、そして彼らの自己防衛に利用されているような気がするのです。つまり「負けなければそれは即ち勝ち」というルールになってしまうのです。言った者勝ちですよね。 「常識って何なんでしょうか?」というのが、実は僕が一番訊きたかったことなのかもしれません。 ありがとうございました
お礼
aminouchiさんこんにちは。お礼が遅れて申し訳ありません。aminouchiさんのお答えについて、少し考えていたもので遅くなりました。 >無意識にあるいは隠された前提を見出さなければなりません。 これは所謂「ソクラテスの産婆術」のことを仰っているのだと思います。「常識的な前提」については解かっているつもりだったのですが、こういう論理展開がまかり通っているように最近思うので、このような無体な質問を設定させて頂いた次第です。 Political Correctness と呼ばれるものなどは、この種の論理展開の典型ではないでしょうか。たとえば「黒人差別はいけない」という金科玉条を掲げ、ちびくろサンボやカルピスのマークを抹殺してしまうような、そんな人たちの振りかざす、得手勝手な論理展開に、何とか一撃を与えるようなことはできないものか、と思ったわけです。 >「法の下の平等」という言葉の意味を無制限に拡張して良いのか、、、 これもその通りだと思います。最近の「刑務所の中での人権」や「加害者のプライバシー」、「死刑廃止論」などの議論にも「理念の無限拡大」と言うよりも「意味の発散」とも言うべき議論が繰り広げられているように思います。小泉首相の答弁など、議論を発散させることに主眼を置いているとしか思えません。 >レトリックというのは論理展開を指すわけではありません。 仰る通りです。論理展開あるいはロジックとすべきでした。 たいへん参考になりました。ありがとうございました。