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行動

行動=刺激に対する反応 このような考え方が生まれてきた背景には「古典的条件付け」(パブロフの犬など)があるらしいのですが、 「オペラント条件付け」は関係あるでしょうか? 自発的行動についてのことなので関係ないでしょうか?

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  • Diogenesis
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回答No.1

「行動=刺激に対する反応」というのはいささか古めかしい定義のように思いますが, ワトソンの行動主義のことをおっしゃっているのでしょうか。 レスポンデント条件づけ(=古典的条件づけ)の源流はロシアの生理学者パヴロフの条件反射研究, オペラント条件づけの源流はアメリカの心理学者ソーンダイクの試行錯誤学習の研究です。 19世紀の末,ほぼ時を同じくしてパヴロフとソーンダイクはまったく独立にそれぞれの研究を開始しました。 ワトソンが行動主義を構想するにあたってこの両者の研究が大きな影響を与えたことは事実です。 そしてあらゆる行動を刺激に対する反応=反射の組み合わせで説明するという野望を抱いたわけです。 もっともワトソンの時代にはまだレスポンデントとかオペラントとかいった用語はなく,その区別さえ曖昧でしたので, 「『行動=刺激に対する反応』という考え方が生まれた背景にはオペラント条件づけがあった」という言い方は やや不正確ということになります。 ちなみに オペラントが「自発的」であるというのは「誘発刺激が特定されない」という意味であって, 「自由意志にもとづく」という含意はありません。

sisuado
質問者

お礼

ご丁寧にありがとうございました。 >>「行動=刺激に対する反応」というのはいささか古めかしい定義のように思いますが, ワトソンの行動主義のことをおっしゃっているのでしょうか。 『行動=刺激に対する反応』という考え方が生まれた背景について調べたいです。学校ではパブロフの犬の実験についての話を聞きました。それ以外で何かあるか調べていたらソーンダイク、ワトソン、スキナーなど、何人もでてきて『行動=刺激に対する反応』に関連しているのはどれだ??これはレスポンデントとオペラントどっちだ??と混乱してきてしまって・・・。

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  • Sucher
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回答No.2

 形而上からの考えなんですが、行動というある種の現象をですよね、生理学的に「反応」のごとき物理反応に還元するのはデカルト機械論その他のヨーロッパでの自由意志抹殺の風潮に端を発するのでないでしょうか。  このことは一般的にいくらでも言われていることなんですが、以下は取り立てて注目されていない流れと思うものです:つまりデカルトは人間と自然を分けて前者に精神・後者に機械を押し付けてヒトの特別視を成し遂げたかったはずなんですが、そこまではよく知られているんですが、その後19世紀にド=ラ=メトリ(仏)の人間機械論にいたって精神もひとつの生存手段であり≪足が歩く筋肉なら脳は考える筋肉にすぎない≫とまで来るんですよ。(19世紀末のニーチェが「意志が一つの能力であるという誤謬の大宿業」って書いてます。この人も自由意志を憎んだ。)で問題は、20世紀の精神科学の「99パーセント」(下條信輔)がラ=メトリの主義を採っているっていうんですよ。お答えなってます?  まともかく、行動から意志性を剥奪する考えは私も大好きで、ワトソンの例の本も読んだんですが、でもね、ワトソンを憎悪してるアーサー=ケストラーとか岸田秀とかの方が万倍おもしろいこと言ってるんですよ。行動から意志を抜き取ることは簡単なんですよ。社会学的には環境決定論って言いますよね。しかし自由もまた論理次第で十二分にありうる。っていうより岸田秀の「擬人論の復権」なんか読んでると人間を生理学的に還元することのバカさ加減よと思われます。  それとね、こういう話哲学の先生にすると叱られるんですよ。そんな議論は哲学が何百年もとっくにやってるってね。確かですよ。行動における意志性なんてね、カントの『実践理性批判』にとっっっくの昔に論じられてあるんですよね。まそれと近代自然科学的な論議とは装いが違うから区別しなあかんのですけど。  あれですよね、心理とは生理学に還元できて次に化学に最後は物理学に還元できるって現代の科学の信条を思い出しますね。私はワトソンの気持ちがわかるなあ。だって人間ってほんっとにバカというか、Aと入力してやったらBと出力しよりますもんね。私もそれで人付き合いやってます。人間なんてとことん論理的な生き物やなって毎日思う。巨視的にも、数千年間同じ歴史を繰り返す。そう考えるなら歴史というのは意味を持つ。歴史なんてなくて、人間は何をするかわからんというのはある意味大嘘ですな。こういう人間のアホさ加減に呆れたところから行動主義などが出てくると思います。まあ気持ちの問題はあなたへの回答になっていないでしょうが。ただね、生理学的一辺倒で行くと道徳とか自由とかそっちのけなってまうでしょ?ハンス=リューシュって人の動物実験弾劾書があるんですけど、これは単独に取出して人類史的価値がある本なんでけど、パブロフの動物実験が糾弾されているんですよ。でパブロフも他の動物実験者同様に人格的には欠陥のある男やったこともわかるそうです。(ワトソンが幼児にやった人体実験も糾弾されてます。)かたや行動における意志を抹殺したド=ラ=メトリは動物を尊重した文を書いてる。かたや実験科学者らは非人道性を見せる。こういった思想における道徳の疎外の問題を考える上で参考になる情報になればと思います。  ※ラ=メトリの『人間機械論』は岩波の古いやつで、楽天市場ぐらいでしか手に入らんと思います。余談で悪いんですが、アマゾンの英語サイトでこの『人間機械論』の数種の版の内の1つに書評がしてあって、この版は劣悪やから買うなって書いてあるんですよ!白人はハッキリ言うなあと感心しました。日本でこんな書評を一般読者が書くことはついになかろう。  すいませんごく短い文章で余談ばっかりで。とにかくあなたの質問に対しては、こんなドシロートの書くことじゃなくて、下條信輔『サブリミナル・マインド』(中公新書)が決定的に参考になると思われます。というか私はこれしか知らん。(本書で下条が称揚するガザニガの動物実験も前掲書で叩かれてます。)

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