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なぜ日本人は英語が苦手なのか

なぜ日本人は英語が苦手なのかについて考えているのですが、「翻訳文化」が少なからず影響していると文献で知りました。 「翻訳文化」について詳しく説明できる方 よろしくお願いします

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noname#27172
noname#27172
回答No.16

まだ閉めていないようなので思ったことを書きます。 ヨーロッパを例に取ると、フランス人とドイツ人は英語を学ぶのには日本人よりもずっと有利なんですが、それでもフランス人はドイツ人よりも英語がずっと苦手です。英語とドイツ語が同じゲルマン語だからと考えることも出来ますが、逆の立場で英米人が学習するのには ドイツ語とフランス語では若干ドイツ語の方が難しいとも聞いたことがありますから、ほぼ互角なはずなのに、その差はどこから来るのかと考えたことがあります。 そこで分かったのは両国の英語教育のウェイトの違いです。ドイツでは小学3,4年生からで、フランスは中学1年生(小学校が5年までなので、実際は日本の小学6年に当たる)で英語を習い始めます。当然のことながら、ドイツの方が時間割で英語の占める割合も高いです。フランスだと、第2外国語が 英語でなく、ドイツ語やスペイン語の場合もあり、何よりも 外国語より国語(フランス語)に力を入れています。 しかしながら、フランス人の英語の読解力は日本人よりずっと高いですね。英語との類似性に加え、小学校からみっちり自国語の文法をやっているので、英文法の観念も掴みやすいし、さらに 単語もフランス語から類推のきく単語も非常に多いからです。ですから、フランス人の中卒で日本の高卒、フランス人の高卒で日本人の大卒に匹敵する英語力は持っているはずなんですが、喋れないのは日本人と似ています。 それから、フラン人の場合 英語と似ている単語が多いだけにフランス語読みしてしまい、日本人以上に 英語の音を疎かにする傾向も考えられます。それに、ドイツ語に比べてフランス語のリズムに 英語リズムは乗りにくいようです。これも大きな要因だと思います。 ついでにスペインですが、ヨーロッパでは日本以上に英語の通じにくい国です。先ず、英語の履修率が半分程度しかありません。それから スペイン人はマイペース主義で、フランスは隣国だし 歴史的なつながりも深いので そこそこ関心がありますが、イギリスやアメリカに対する関心が比較的薄い傾向にあります。日本人のような憧れもないし、フランスやロシアのような対抗意識も乏しいし、中国のような発信型にも程遠いですね。また、北欧やオランダとは まるっきり正反対に スペイン語の話者は非常に多く、スペイン語でビジネスも教育も十分に用が足せますから、そういう意味では英語の必要性が低いと言えます。ただ 英語圏の人の観光客は日本よりも多いですから、観光ビジネスに携わる人たちにとっては必要不可欠になりますけど。

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  • vanvanus
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回答No.15

「翻訳文化」の影響が非常に少ないという意味で中国の例を挙げてみたいと思います。 かなりの程度「発信型」であり、「受信」という意識は非常に少ない。 「自国の文化は優秀であり、それを世界に伝えたい」というタイプなわけです。 そのために非常な努力がなされているわけですね。 この場合、自国の文化に対する自負があるわけです。実際に自負してもいい文化があると思います。 この場合、要するに彼らが語る英語の話題は「自国の優秀な文化」であります。例えば孔子だったりするのでしょう。 日本で英会話を重視している人の何人が「自国の優秀な文化を世界に伝えよう」としているのかは大いに疑問です。 日本のいわゆる「翻訳文化」は、海外の優秀なものの導入を目指していました。中国の「発信型」は自国の優秀な文化の輸出です。日本のいわゆる英会話は、自国の変なものの発信になっていないか。だとすれば、これは大いに問題でしょう。 もちろん例外はいます。優秀なものを輸出も輸入もできた日本人はいます。例えば鈴木大拙なんかそうでしょう。大拙の受けた教育を再開するのが手かもしれませんね。

noname#27172
noname#27172
回答No.14

訂正と補足です。 「中国語も同様に もっとも盛んに学習されている外国語は英語ですが、」の部分は 「中国も同様に もっとも盛んに学習されている外国語は英語ですが、」に訂正してください。 それと、中国の場合は英語の次には日本語とロシア語が重要な外国語であり、外交上、重要な国の言語に重点が置かれます。 それから、東南アジアやインドなどアメリカやイギリスの植民地だった国は、英語は母国語ではないが、第2言語としての地位を占めています。つまり、言語が統一されてなくて、英語が共通語的な役割を果たしています。また、専門的な文献が母国語で書き表せなく、英語の文献を使わざる得ない事情もあります。

noname#27172
noname#27172
回答No.13

翻訳文化というのは#9さんのおっしゃるように、中国語から始まって、オランダ語を経由し、現在の英語に至っています。 フランスでも もっとも盛んに学習されている外国語は英語なんですが、英語に対しての考え方が日本人と大きく違います。日本からみると、英語は明治維新後、もっとも熱心に研究され、第2次大戦後は アメリカは 宗主国のような国になって 日本にもっとも影響力の強い国になり、それに 英語が世界で最も通用度が高い というのもあり、英語力が日本人の学力の一つの物差しになっていますね。フランスだと、第1外国語は英語以外にも選択肢があり、第1外国語で大半の人が英語を選択し、残り第2外国語として英語を選択する場合が多いので、日本人と違って 英語を全く習わなかったという場合も生じます。それよりも、フランスでは英語の学習の歴史も非常に古く、また、パリでは英語を話す外国人の訪問者数が東京の20倍も多いのです。ですから、英語はコミュニケーションの手段としての意味合いが大きいですね。そして、ここが特に大きく違うのですが フランスにとっては イギリスもアメリカも宗主国のような国ではなく、イタリアやドイツと並んで対等な関係にある友好国なのであって、外国語も英語だけを別格で考えたりもしません。しかしながら、フランスは翻訳文化も盛んであり、英語やドイツ語から夥しい量の書籍が翻訳されておりまして、日本に引けをとりません。それでも、英語を話すのは隣のドイツ人よりずっと苦手な傾向にあります。 中国語も同様に もっとも盛んに学習されている外国語は英語ですが、日本とまるっきり違うのは、英語の学習が完全に発信型なんです。つまり、学校でも最初は 日常的な挨拶の表現を重点的に教わりますが、もっと高度になると 自国の歴史や哲学などを英語で書いた テキストを題材として使うので、英語で自国のアピールはできても、英語を通して英米の文化を学ぶという考え方は希薄です。ですから、英語から自国の言語に翻訳された書物は あれだけ膨大な人口を擁しながらも 日本やフランスよりも はるかに少ないです。 最後に北欧やオランダですが、それらの国は#8さんが書いているように、英語は必要不可欠な道具なんです。やはり、人口が少ないので 当然マーケットも小さくなり、翻訳して本を出版しても よほどヒットしない限り採算が取れませんから、英語、或いはドイツ語が分からないことには 情報の選択肢も限定されてしまいます。また、それらの国の経済は貿易の依存度が非常に高く、個人レベルでも ある程度の英語のスキルがあって当たり前に近いですね。

回答No.12

No.10さんのおっしゃることはよくわかります。 しかし、No.7で回答されたことが、質問の文面本来の内容から離れた部分に言及されていたのと、最初の1行「半分ナンセンス云々」が、質問そのものを否定はしないまでも「半分ナンセンス」→「半分意味がない」という印象を受けたので、私の回答の最後でちょっと触れたのです。 >あと、#9さんが言及された「英語が苦手だから困る」の部分ですが、これは英語の必要性、英語の能力、日本での英語のステータス、など因果関係が複雑に絡んでいるので、単純に別問題としては片付けられないと思います。これは 一つの要素が原因でもあり、結果でもあるんです。ここで 問題点を明確に区分けし過ぎて因果律の糸を断ち切ることは、命題のキーポイントを見逃す要因にもなります。 という意味のことを最初に示していただいた上で、No.7の回答の主旨を書いていただければ、そのような印象は持たなかったと思います。 しかし、ここでおっしゃている命題とは、あくまで回答者であるNo.10さんの提示した恣意的な命題であって、それが質問者さんを含めた共通認識としての命題であるかどうかは、また別に議論の余地のあるところです。 質問者さんは「なぜ日本人が英語が苦手か」と「それには翻訳文が影響しているらしいが、それについての説明が聞きたい」ということを求めています。 ですから、命題というものをこの質問の文面に書かれている範囲を超えて解釈した場合、どこまでを命題としていいかはあいまいであり、そのポイントとなるともっとあいまいになります。 しかし、回答者が自分なりの解釈で命題を定義した場合に、それについて回答するのは有意義であると私も思います。しかしそれならば、質問に対して、質問の直接の回答ではなくて、それに関連する、あるいはそこから類推される背景について述べる場合には、やはり「質問の主旨からずれるとは思いますが云々」あるいは、「質問の意図からは日本人が英語が苦手であることが問題であるという文脈が読み取れると判断しますが」という“つなぎ”、つまり自分なりに解釈した命題を示した上でないと、いきなり質問の主旨から外れた回答をしているように感じてしまうのは私だけではないでしょう。 まあ、実のところ、質問者さんの質問に対して、開口一番「半分ナンセンス」という言葉が引っかかったのが、No.9の最後の1文になったわけです。質問の文面に表れていないことを勝手に解釈されて、その解釈された部分に対していきなり「半分ナンセンス」と言われるのは、質問者にとっては「目が点」状態でしかないと思います。 なお、これは質問に直接関係ない部分が多いので、質問者さんの一存で削除依頼されても構いません。

  • vanvanus
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回答No.11

漢文の訓読法をよく見てみますと、いろいろな苦心をしながらも相当整った体系をなしています。 外国人が入ってくる可能性が低いこと、漢文は学ぶべき事柄が含まれていたことから独自の訓読法が生まれたわけですね。漢文がもし、内容が低級であるとしたら、例えばエロ本みたいな内容だとしたら、低俗な興味を持つ連中が喜ぶにすぎず、それを国中のエリートが集まって読むはずがない。もしそんなだとしたら、漢文が読める必要なんかないですからね。 英語においても同様で、外国人が入ってくる可能性が少ないことと、読むべき事柄が入っていたからこそ翻訳が生まれたわけです。 外国人に対しては、この高度なものの集積を輸出する必要があると思います。そのための会話は、決まり文句などでは済むものではない。なぜなら、言いたいことは無限に出てくるのに決まり文句は非常に少ないからです。 日本における英会話の始まりは、「米兵からチョコレートをもらう」というところで、これは決まり文句を覚えればできることでしょう。その段階で「俺は英語が出来る」と思っている人が多いのが非常に大きな問題です。

noname#27172
noname#27172
回答No.10

#1さんが引用したURLに書かれてあることは 大方 私も知っていたんですが、うまくまとめられています。少しだけ補足します。そのURLにもあるように 日本人の英語は昔の漢文読解の流れを踏襲しているとも言えます。ただ、昔の漢文と近代の英語の大きな違いは、 品詞とか構文といった文法を体系的に整理したことです。しかし、これは 英米人がラテン語を学習する方式を模倣した部分が大きいですね。せめて、コミュニケーションの手段として英米人のフランス語のプラクティスを見習ったら少しは日本人の英語も変わっていたでしょう。 あと、#9さんが言及された「英語が苦手だから困る」の部分ですが、これは英語の必要性、英語の能力、日本での英語のステータス、など因果関係が複雑に絡んでいるので、単純に別問題としては片付けられないと思います。これは 一つの要素が原因でもあり、結果でもあるんです。ここで 問題点を明確に区分けし過ぎて 因果律の糸を断ち切ることは、命題のキーポイントを見逃す要因にもなります。

回答No.9

翻訳文化との関係は、翻訳しようとする言語を持つ相手国の文化を取り入れようとする思いが強い場合に、大きく影響すると思います。 かつては日本にとってそういう国は中国でした。 近世に入ってはオランダでしたし、明治以降はドイツであったりイギリスであったりしました。 その後、エジソンによる電気を中心とした新しい工業製品の発明や、ライト兄弟による飛行機の発展への触発、またフォードによる自動車の大量生産などによって、日本の海外への関心はアメリカへと注がれます。 現在の日本における英語の翻訳文化の隆盛はこの頃から始まったものと考えます。 もちろん、アメリカの世界的な強大な経済力による世界的なアメリカ志向というものとの相乗効果もあってのことです。 つまり英語を翻訳するということは日本にとって工業国として発展するのに欠かせないことだったのです。 日本の学校における英語の授業もこの翻訳を目標にして位置付けられていると言っても過言ではないでしょう。 しかし、翻訳という作業はあくまで文献との格闘であって、人間同士のコミュニケーションという部分においては、その必要性をあまり重要視しないという欠点があります。 英語が他の言語と同じように「言葉」である以上、人間同士のコミュニケーションの道具として使われなければ、その言語の習得には「翻訳」という作業は却って足かせになる可能性があります。 なぜなら「翻訳」は分析しなが進めるものであり、原則的に正しい結果を出さなければならないものです。それに対して、実際のコミュニケーションの場とは即座に反応しなければならない感情の表現であったり、言い間違えや勘違い、誤解というものを避けて通ることはできない状況に晒されるわけです。 やはり言語の習得というのは直接のコミュニケーションを通じて個人の中に発達していくものであるからです。 さらに、学校でそういう英語教育を受けた生徒たちが実際の社会に出てから全員が「翻訳」という分野に進むわけではなく、むしろ「翻訳」はごく一部の専門的な職業であるわけです。 翻訳を目的として学んだ英語を卒業とともに発揮できる場を失ったまま成長した多くの日本人は、その生活の中でさほど英語の必要性を感じなくても生きていけるので、中年以降に英語を学ぼうとする人の多くは趣味としてであり、必要不可欠なものとしての位置付けではないのです。 なお、質問者の方は「日本人は英語がなぜ苦手なのか」について問うているだけであって、「英語が苦手だから困る」とは言っていません。英語が苦手でも構わない云々、ということはこの質問から飛躍しすぎていると思います。

回答No.8

英語を使わなくても、生活上支障が無いからです。 何しろ130百万人が単一言語で同じ国土に生活していると考えてみては如何ですか。 欧州の北国、デンマーク・オランダ・北欧3国は何処でも英語がまず通じます。これらの国は何れも人口が数百万人です。しかも国境が陸続きです。テレビの放送局もそれぞれの国にある自国語の局は少なく衛星で主として英語放送を見て楽しむことになりなります。又高校教育でも数学や理科などは、自国語のテキストは人口が少なく出版しても採算が合わないので、英語版の教科書を利用すると聞いています。日本も仮に関西語・関東語・東北語と言語が分かれていれば、関東語の数学の本を関西国や東北国で使うことになるのではないでしょうか。 スペイン人が英語が下手と云いますが、彼らは同じラテン系のイタリア語・フランス語を使える人は多いです。学校教育の中で、第二外国語で英語よりも彼らの言語に近い言葉を選ぶとお考え下さい。 日本では、外国語を知らなくても何ら生活に支障がないからと云う理由からか、学校での英語履修単位を簡単に与えすぎるからです。せめて英検2級程度にならないと単位を与えない、必修科目である英語に合格しなければ、高校卒業資格を与えない位にさせないと日本人全体の英語レベルは悲しいけれど今のままでしょうね。 尚、高校レベル以上の教育を受けた卒業した人の母集団と云う観点で英語の実力を考えれば、やはり最低レベルしょうね。 小員はこのように考えます。

noname#27172
noname#27172
回答No.7

この質問、半分ナンセンスなような気もします。 スペイン人も英語が苦手な人が多いですよ。というか、全く英語の教育を受けていない人だって珍しくありません。確かに世界では英語が最も勢力の強い言語ですが、非英語圏の人 全てが英語を習いるわけではないし、その人たちの英語力で知性を判断するのは非常に危険なことです。例えば、西洋ではラテン語が重要視されていましたが、英語の代わりにラテン語の試験をしたら、日本人は全滅でしょ。でも、日本人には「漢字」の知識があります。中国人には及びませんが 何千という漢字を知っているのは すばらしいことだと思います。 日本人は はっきり言って英語を知らなくても日本語で すべて用が足せるんですよ。ですから、英語が苦手でも不自由はしないんですよ。これって、当たり前なことのようで、非常に恵まれているんです。例えば、東途上国なんかは、英語を知らないと パソコンさえ使えない国があるんです。Windowsもその人たちに言語でローカライジングされていなくて全て英語のままです。当然、パソコンの操作の説明書も全部英語で書かれてあるので、英語が読めなければパソコンを使えないのです。

  • vanvanus
  • ベストアンサー率21% (18/85)
回答No.6

「翻訳文化」についてはN01の方のところの「参考URL」が詳しいようですね。 ずっと以前から日本は外国のものを導入してきたわけですが、その際導入したものはモノであり人ではないわけで、会話するという状況には至りませんでした。 そして、大切なことは、「ここで入れようとしたモノが高品質のものだった」ということです。唐の「すぐれた」律令制度だったり、イギリスの「すぐれた」紡績機だったり、ドイツの「すぐれた」医薬品だったりしていたわけです。 日本に最初に入ってきた外国人は誰なのか。それはわかりませんが、威圧感をもって大量の外国人が流れ込んできたのは兵隊さんですね。米兵なわけです。彼らは「すぐれた」文化なり技術なりをもっていたか。もっていないわけです。だから、外国の「すぐれた」モノを導入してきた人、政府高官や学者たちですが、こういう人たちにすれば彼らとの会話なんてしたくないわけです。 そして、「すぐれた」モノに興味関心のない民衆たちは米兵からチョコレートをもらっていた。政府高官や学者が英会話をやる前に民衆が文化的底辺ではじめた。そして彼らは自分たちがチョコレートをもらう程度の英会話をできることに優越感をもつ。結局、すぐれた人物はなかなか出ないという図式になってしまいました。 今でも、英文読解をまともにやっている人たちはラッセルとかカーライルとかを読んでいる。そして英会話で話されていることは「腹が減った」だの「頭が痛い」だのである。こんなふうに、内容に相当ズレが出てしまっています。 勿論、「内容的にすぐれた英文を書いたり話したりすることが出来た人」も少しはいます。新渡戸稲造・岡倉天心など。彼らがどういう訓練をしたのかを考えてみることが重要なのでしょう。