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志賀直哉 或る朝の読み取りについて

志賀直哉の或る朝に出てくる主人公の心情がいまいちよく分かりません。読解力がないというか、想像力が無いのかもしれません。お考えをお聞かせ下さい。   後半部  「すがすがしさを感じた」のすがすがしさとは何に対して感じているのでしょう。  祖母と和解し、自分の幼さを自覚した主人公が感じ取ったものがよく分かりません。

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回答No.2

 基本的には♯1さんのおっしゃるとおりで、ごくつまらない意地の張合い(あとで思出しておかしくなるようなものなのですから、そんな理由で喧嘩をはじめる、それが「幼さ」ということでしょう)から祖母と喧嘩していて、しかし一方では内心自分の態度に非を認めているから、祖母と仲直りしたいという欲求が強くある。しかし意地になっている部分もつよくのこっていて、両者が内部でつよくせめぎあうために、主人公は精神的に疲労して、鬱屈したもやもやした感じになっている。  それが仲直りによって解決されたから「ああ一段落。もう気にかかることがなくなった」ということで、すがすがしさを感じたのでしょう。第一に祖母と仲直りできてよかったという安心感、第二に精神的な葛藤が解消されたという開放感、この二つが「すがすがしさ」の原因だと思います。  志賀は若いころおよそ考えられる限りの目上の肉親と仲たがいして、「我が家の人間はみんな現世的な欲望の追求しか考えず、人間の理想といった高級な問題はいっさい頭にない俗物だ」と考えてかなり鬱屈した青春時代をすごした人ですが、父方の祖父母だけは絶対的に尊敬していたようです。ことに祖母に対する愛情は深く、処女作品集に留女という祖母の名をつけたり、長女に祖母の名前をもらって「留女子」とつけたりするほどのおばあちゃん子でした。ですから家庭内で唯一志賀と心をゆるしあう間柄であった祖母は、どんなときでも芯から憎むことのできない対象であったのだと思います。  しかしそこは祖母と孫、育った時代も環境もまったく違うふたりですから、志賀には志賀なりの青春の悩みがあり、それを祖母が理解できず、おろおろすることもある。志賀は大の癇癪持ちですから、もたもたしたもの、気のきかないもの、頭のわるい(考えのない)ものが大嫌いです。ことに悩みごとがあったりして機嫌がわるいときは発作的にしかりつけたり、喧嘩をしてしまう。前後の見境がないくらい興奮していますから、そうしたときは祖母だろうが父親だろうがおかまいなしです。  日ごろ大嫌いな父親なら、癇癪がおさまったあとでも「いい気味だ」くらいに考えてなんともないのですが、敬愛する祖母が相手となると、冷静になった頭が後悔を始める。癇癪なんていうのはたいがい理不尽なものですから、非があるのはたいがい志賀自身です。内心忸怩たるものを感じるのですが、そこは明治男ですからきっかけがないと謝ったり仲直りしにくい部分がある。  そこでなんとなくもやもやしたものが心のなかにたまって、これがいっそう機嫌をわるくさせるという悪循環におちいるのです。いわば不機嫌スパイラル、癇癪スパイラルのような状況になってくる。ところが一方で志賀は江戸っ子気質の竹を割ったような気性のところがありますから、こういうもやもやうじうじした自分に耐えられない。どうでもいいからはやくこういう不機嫌な感じに決着をつけたい、というあせりが生まれてくる。しかし自分からはなかなかいいだせない。  だから祖母のように穏やかな人がそれを察して和解のきっかけを与えてくれると「すがすがしさ」を感じるわけなのでしょう。  志賀という人は文学者にしては割合わかりやすい性格の人で、(1)癇癪持ち、(2)うじうじしたのが嫌い、(3)でも明治男だから意外と面子や対面にこだわる部分がある、(4)不機嫌でさえなければ本よりスポーツが好きな竹を割ったような気性の持主(これは(2)につながる)、というところをおさえておけばたいがい彼の行動は理解できます。ほかの小説家だと作家と作中人物を重ねあわせることは危険ですが、志賀は私小説のきわみともいうべき小説を書いた人ですから、作品の読みときにもこうした彼の性格はかなり役立つと思います。

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  • komaya57
  • ベストアンサー率31% (16/51)
回答No.1

 志賀直哉は感覚で、好き嫌いで物事を裁断する傾向があったようで、それでいて合理的で男らしい剛毅な人柄だっようすが広津桃子さんの「石蕗の花」に書かれています。 小細工を弄することのない作風は簡潔で、素直に読み取ることがよろしいかと思います。  祖母との互いに意地の張り合いから喧嘩になり、遠回りしながら仲直りをする様子が面白く描かれています。  互いに素直に謝ることが出来ず、祖母はわざわざ使いもしないヤクザな筆を取りにやって来て信太郎と言葉を交わし、信太郎は信太郎で祖母の道を空けてやる。互いに仲直りしたい相手の心が分かるのだが、それ以上会話は進まない。  祖母が去ったあと、信太郎は二人のやり取りを思い出して可笑しくなる。反抗的に考えた諏訪行も取りやめにし、祖母の香の残る布団と夜具も畳んで仕舞ううちに、祖母の遠回しな仲直りしたいと願う気持ちが有り難くて嬉しくて申し訳なくて憐れで、同時に同様に思う自分の気持ちにも感じてしまいいつしか涙を流していた。  涙をボロボロこぼして仕舞うと、気持ちはすっきりとすがすがしさを感じた。  と、心の動きを追ってみただけですが。偉い評論家先生方の定説もきっとあるでしょうし、試験問題にも数え切れないほど取り上げられたに違いありませんが、様々な方が自らの感じたところを寄せられるといいですね。