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お金抜きの経済は成立する?
お金抜きの経済(世を治め、民の生活を安定させるという意味で)は成立しますか? 歴史的にお金(およびその類似物、代替物を含む)抜きの経済が試みられた事例をその成否とともに紹介してください。 また、お金抜きの経済として実際どのようなものが考えられますか? これなら成功しそうだというのがあったら紹介してください。 自信を持って答えられるものであればどんなご回答でもかまいません。
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歴史的に見ると「お金抜きの経済を試みた事例」ではなく、お金がない経済から試行錯誤してお金という概念を生み出したと考えた方がよいでしょう。 osafuneさんのおっしゃるように狭い経済圏なら物々交換も成り立ちますが、現在のように非常に広域な経済圏では、お金という概念が有効に働きます。 元々はお金それ自体が価値のあるまたは希少価値のものでした。珊瑚礁の島では石はないですから、他から持ち込んだ石が貨幣になり、大陸の内陸部では貝が貨幣になります。このように昔の貨幣はそれ自体を得るのに同等の対価を必要とするものが選ばれました。 しかし、国の地理的状況、国の文化の違い等で価値が変わるし、それらの多くは重さが単位のために非常に扱いにくいものでした。 そして現在は国というものの信用により、現在で言うところの貨幣が生まれました。素材自体にそれだけの価値のない信用で成り立つ貨幣です。 最近報道された長野県の空き缶回収機の独自貨幣の作成は、県外在住者が空き缶を持ち込んで換金して県外でお金を使うのを防ぐのが目的で、貨幣の代替物として貨幣の役割まで奪い取ろうとするものではありませんし、仮に奪ってしまったらそれ自体立派な貨幣ですので、「お金」となります。 さて、お金を使う経済とは何か物を得るときに対価を払う、そしてその対価をお金というものでストックすることでいつでも使うことができるということでしょう。 つまりお金を稼ぐということは、何かと交換する引換券を得る行為となります。 ですから信用で成り立つ電子取引のように数字が動くだけの取引も立派なお金の経済ということになります。 となるとお金抜きの経済とは何かを得るときに対価を用意しないですむ経済ということになります。 可能性としてはロボットに何でもやらせて、人間は働かないし、全部用意してもらうという状況でしょうか? 実際にはお金をなくすのではなく、富の再分配を試みる事例はあり、それがマルクスが唱え、成立したのが共産主義国家です。しかし技術の成長が止まり、資本主義に押されて事実上の消滅をしてしまいまいた。 これは人間は見返りがないとサボる生き物だということを見逃してしまったせいかもしれません。 しかし資本主義の限界が見えてきた今、新たに別の「富の再分配」の方法を探る時期かもしれません。 その意味ではお金抜きの経済を考えることは新たな仕組みを構築する上で意義のあることでしょう。
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- osafune
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ppooooさん、こんにちは。 >物々交換以外のお金の代替物ということではどうで >しょうか。 現時点での"お金の代替物"と"お金"との違いは使える範囲が狭いということです。使える範囲が広がると"お金"と変わらなくなってしまいますので、この議論は成立しません。 あえて言うなら「クレジットカード」の様な疑似決済でしょうか。「電子マネー」もこの範疇に入るでしょう。 これが高度に広がって行くなら、お金は通貨単位としての存在でしか無くなり、債権債務の記録の積み重ねが経済活動の主流になり、お金抜きの経済が成立するようにも思えます。 p.s. 昔の「なんでも経済学」のHPを見つけました。この番組はホントに面白かったです。
お礼
なるほど、たしかに電子マネーには大きな可能性があるかも知れませんね。 見物です。 ありがとうございます。
こんにちわ。 貨幣抜きの経済、わたしも考えていました。 ちょっと前にNHKのTVで、フィンランドかノルウェーか?忘れましたが、経済流通で「クーポン券が利用されている」というのを見ました。 これは、クーポン券がお金の代わりになり、この券があることでその町のフリーマーケットに参加する権利を得たり、また、フリーマーケットでの買い物ができる、といったシステムでしたね。 国の貨幣価値は下がるかもしれませんが、市民の生活は外部にとらわれることなく潤っているようでしたよ。 貨幣も元々は物々交換からできたものですから、これもアリなのかも。
- osafune
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ppooooさん、こんにちは。 非常に狭い範囲のコミュニティーでは成立します。 例えば、一昔前の農村部などの地域です。 一生に移動する範囲が数十キロメートル以内、一生に会う人間が100名程度…であれば、貨幣およびその同等物は必要ありません。すべての必要物を自分で作るか、自然から得るか、物々交換で手にする事ができます。 そして、知識も制限があります。テレビやパソコンなどの便利なものがある事を知らない方が良いでしょう。成功者の裕福な生活などは知らない方が良いし、全ての人が平等である事も知らない方が良いでしょう。現状で満足でき新たな冒険や、チャレンジ精神は持たない方が良いでしょう。チャレンジ精神は世界を広げてしまいます。それでは物々交換では非効率になってしまい、結果的に貨幣やその同等物を求めてしまいます。 貨幣は七並べのジョーカーの様なもので、様々のモノと交換できる便利モノです。 以前NHKの教育テレビで、「物々交換でカレーを作ろう」といのをやっていました。 クラスのみんなは、各々1種類づつ野菜や肉・カレーを持って始めます。カレーを作るにはジャガイモ・人参・肉・カレールーなど、全ての種類を集める必要があります。自分が人参が欲しくても相手が肉しか持っていなかったりと、なかなか思うように交換できず、1時間かけてやっと終わりました。 次に何にでも交換できるジョーカー"お金"を1種類追加すると、なんと10分で終わりました。 このテレビを見た時、お金の持つ意味を今さらながら理解した様な思いでした。 この番組は「なんでも経済学」という番組で、その他の回も非常に良くできていました。現在も番組はありますが、制作者が変わったのか、あまりにもレベルが低いのでURLは紹介しません。 回答としては、「小さいコミュニティーで、現在の利便性・快適性を求めないのであれば成功する」となります。
お礼
ありがとうございます。 おっしゃる通りですね。 ところで物々交換以外のお金の代替物ということではどうでしょうか。
- redbean
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あまり参考にならないかも知れませんが、思い出した ことをちょっと書きます。 1970年代の中頃、カンボジアでクメール・ルージュが 政権をとりました。彼らの基本政策のひとつとして、 「通貨の廃止」というのがありました(都市・知識人 の根絶というのも)。 結果はもちろん、数百万人の虐殺という形に終わりま した。 この場合、「通貨の廃止」と虐殺は何の関連もなかった のでしょうか。私は動機の上では関連はあった、と 考えています。通貨はあらゆる面から見て、社会に とって便利な存在です。これを諸悪の根源として廃止 しようという人たちは、己の理想のためには手段を 選ばぬ、という性質を持ちがちなのではないでしょうか。 あ、極端な例でした?
お礼
貴重な発言ありがとうございます。 とても勉強になります。 今回の質問を通してお金の価値を再認識することにおそらくなるだろうと思っていたのですが、 やはりお金が経済を安定させるための歴史的な帰結であるということがわかりました。 しかし、将来的にはお金抜きの経済というのはあり得ないことはないんじゃないかと感じています。