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人はその内部の視点によって周りの世界を解釈する?
(長文すみません)「Aの理由は実はBなんですよ、みなさんご存知でしたか?」とか「Cの内容は実はDなんですよ、みなさん理解できますか?」 みたいに、世の中の物ごとをエラソーに解説してる人たちって、私は若い頃は「この人はなんでこんなに物知りなんだろう」とか「この人はなんでそんなに賢いんだろう、でもそこまで偉そうにすることかな?」と素直に驚いていたんですが、 もう少し歳を取ってだんだん分かってきた気がするんですが、そういう人たちの大半って、「偉そうに物ごとを語りたい」という感情に、身の回りの情報を当てはめてるだけですよね? つまり 「Aの理由はBだということに気付く(本当は違うかもしれない)」→「Aの理由はBなんですよ」と偉そうに語る 「Cの内容はDだということに気付く(本当は違うかもしれない)」→「Cの内容は実はDなんですよ」と偉そうに語る という行動現象が起きてるわけですよね? 同じように、お笑いの好きな人って、身の回りの何でもないような出来事をすぐに面白可笑しく解釈しちゃいますよね? 例えばAさんがズッコける、という現象があると、 世間の多くの人は気にも止めずにスルーするかもしれないし、「気の毒に…」と気遣ってくれる人もいるかもしれない。 でもお笑いが特に好きな人は「そこでズッコケちゃダメでしょ〜(笑)」とか「そのズッコケ方はダメでしょ〜(笑)」とかすぐに笑いに変えてしまう。 人はその内部の視点によって周りの世界を解釈する…人の視点によって世界が造られる…というのは哲学ではむしろ当たり前のテーマかもしれませんが、その現象って思ったよりも世の中で幅広く横行してると思いませんか?…ていうかそれが真実、むしろ当たり前のことなんですかね?
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a) A の理由は B である。C の中身は D である。をいくら偉そうに喋っても、それが間違っていれば、恥をかく訳です。 だから、このような言論が世界を作っているとは言い切れません。 間違った言論は、遠慮なく指摘して、恥をかいてもらいましょう。
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- jocker2025
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この質問自体がそうなのかもしれませんね。
お礼