より良い社会とは
子供の頃から平等教育というものにずっと疑問を感じてて、大人になって
も恥ずかしながら平等の素晴らしさが全く理解できません。他と違うことに
こそ人間の素晴らしさがあると思うのですが、それだと教育で教わる皆が
等しく平らになることの大切さと酷く矛盾するように感じられて、自分の中で
うまく整理できません。
実のところ、高校・大学の教育ではもっと実践的な教育、社会に出て役に
立つことを主に教わり、小・中学校の教育で感じていた閉塞感からは脱却
できたのですが、それなら最初からもっと実践的な教育にしたらどうなんだ
ろうとも思います。(個を尊重しながら能力を伸ばすことを目的とした教育)
そもそも平等を教育に取り入れてるのは、社会の秩序を守る道徳教育の
一環なのでしょうか。もしそうなら、人の痛みを理解できる≪情緒≫を育てる
ことこそが大切なのではないでしょうか。
平等や死刑反対論者のような理想を掲げる人には、理想論とは別に、相手
を思いやる≪情緒≫に欠ける人間が多いような気がします。死刑反対論者
の被害者を全く理解しない態度には不快感しか感じられないし、平等を唱え
る者の中には、他を批判することでしか自分を見出すことができないのでは
ないかと思わせられます。
そうは言うものの、本当は自分が平等の素晴らしさに気づいていないだけ
なのかもしれません。もし平等の真の素晴らしさを理解し、私(あまり哲学的
な人間じゃないです)でもわかりやすいように解説できる奇特な方がいらっしゃっ
たら教えていただけないでしょうか。