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キリスト教の暗示

ユダヤ人差別は新約聖書の影響が少なからずあるようですが、これは暗示にあたるのでしょうか? ホロコーストは新約聖書の暗示によって起こされたと考えるのは行き過ぎでしょうか? 私も家の人から植え付けられた差別は無くそうとしてもなかなか払拭できません。これも暗示による働きなのでしょうか?

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回答No.1

どうなんでしょ? 只言えるのは、真理を追究したいのなら「聖書」を捨てよ、「神」を捨てよと・・・。 要するに、勝手な固定概念を捨てればまた別の展開があるって事なので。部外から植え付けられる事で行動が抑制されることはあるでしょうね。

anima-mundi
質問者

お礼

ありがとうございます。 一つのことを信じることで他へのものの見方が固定されてしまうことは、ありうるかもしれませんね。 守破離ではないけど、一度身に着けた型というものを捨て、自分なりの新しい方向へ歩き出さなければ、過去へ固執し続けることになるのかな。 家に入るときに靴を脱ぐ習慣も日本以外では通用しない。異文化交流とかも、互いの枠組みを知ることから始まるのかも。

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回答No.8

私はキリスト教徒ですが、教義や聖書記述にユダヤ教徒を排斥する記述・規定はありません。ただ、文化的にヨーロッパにおいてはユダヤ教徒とキリスト教徒とが、水と油で有り続けたのは、事実と思います。 今年、欧州某所のユダヤ人博物館を見てきましたが、その説明は、私の記憶では: ユダヤ人は、欧州に移住しても現地文化(キリスト教文化)と同化せず、ユダヤ文化を維持し続けた。ユダヤ教徒の安息日が土曜日、キリスト教徒は日曜日と違うなど冠婚葬祭・習俗が違うということはキリスト教徒には異様に映った。他文化への理解が無いまま、圧倒的大多数のキリスト教徒は、不審な事件、諸般の問題点をユダヤ教徒の存在にすり替えることが多く、ナチスを待たずして、歴史上何度も、ユダヤ人を組織的に虐待・殺害することが発生してきた ...んだそうです。 キリスト教徒コミュニティーに参加せず、近世になっても、結果的に、キリスト教コミュニティーとの作業連帯なしでも出来る職業、例えば金融業などに生きる糧を得るしか無いという傾向が発生した...それが、さらなる誤解と反発を生むといった悪循環が続いた... のかも知れません。 ***現代人の目から、冷静にみると、当時のテレビもインターネットも無い時代に、地域社会にとけ込まず、独自習俗を維持する集団がいたとすれば、確かに差別・排斥などが誘発されたのは、想像に難くありません。宗教が原因のものというより、(キリスト教徒からみて)異質な集団への、生理的拒絶反応だった、その影響は最近まで続いた。。。と私は考えています。

anima-mundi
質問者

お礼

ありがとうございます。 キリスト教徒からすると聖書の記述は関係なく, その他の文化的なものに原因があると感じるようですね。 ただ, その文化的な差異が生じる原因にしても, 宗教上の慣習や生業が多少なりとも影響しているようだと。 日本では宗教に入ってはいても, わりと他の宗教に対する理解があるというか, 寛容なところがあるかなと思います。 しかし, あるカルトなどは, 他の宗教の存在を一切否定するようなところもあるようです。 神は違えどそれぞれの立場を尊重するというのが私には人としてのあるべき態度のようにも思います。 けれども, 異教徒に対しては存外になってしまうのも人間のサガのようで分からない話ではないと思います。 私にしてもイスラム教などに関する理解はほとんどありません。 テロが起こる原因などを考えていると, 各人種や宗教を越えた相互理解が不可欠であるように感じます。 それには教育によって, 各国で国際的な共通認識を作る必要があるように思いますが, 絵空事を言っているような感じを自分自身の印象として受けてしまいます。

回答No.7

日本の歴史を振り返ると, キリスト教徒の持つ暗示を利用したものに踏み絵があります。 内面的な信仰心さえあれば, 踏み絵などには惑わされないはずですが, 実際は踏めないキリシタンが多かった。 他の宗教でも肉食を禁止したりなど, タブーによる暗示が色濃く見られます。 熱心であればあるほど, その戒律から自由になることは容易ではありません。 同様に, ユダヤ人差別(キリスト殺しの民)は, キリスト教徒にとって無意識のうちに影響を与えているものかもしれません。 本人の自覚があろうとなかろうと, 聖書の文言は血となり肉となり深層心理にまで深く浸透していると考えられます。 表面的には, ユダヤ人に対する感情はニュートラルな状態を保っているように取り繕うことが出来ても, 内面的な暗示による束縛からは決して自由にはなれないと思います。 宗教上の様々なこだわりが, 結果として, 争いや不和を生む元凶になっている, 何とも皮肉なことだと思います。 だからこそ, 歴史上の教訓を生かし, ローマ教皇は過去のことに対する謝罪を行い, 未来の平和に向け和解を呼びかけているのだと思います。

anima-mundi
質問者

お礼

ありがとうございます。 確かに, 踏み絵も暗示を利用したものの一種かもしれませんね。 しかし, 踏み絵を考えた人はどんな人だったのだろう。 踏み絵を踏めないで死んでいった人の気持ちとは, いたいどんなものだったのだろうか。 信者にとっては, 命よりも大事なものが信仰のなかにある。 しかし, それを国家権力が利用し, 弾圧に用いたことは悲劇ですね。 また, 逆に死を恐れないで過激な行動をとることも出来る。 自爆テロのように… 創価学会やアメリカのキリスト教右派の動きを見ていると, 最近の宗教は利用されることよりも権力を利用とする立場にいるようですね。

  • cse_ri2
  • ベストアンサー率25% (830/3286)
回答No.6

聖書に何か隠された暗示があり、それがユダヤ人差別や、 反ユダヤ人感情の元となっているのではないかという仮説を 立てているようですが、少し反論を試みたいと思います。 キリスト教徒すべてが、ユダヤ人排斥者かというと、これは 否といえます。 実例を幾つかあげますと、たとえば『シンドラーのリスト』 のシンドラー。 彼はドイツ人であり、熱心であったかどうかは別にして、 クリスチャンであったはずです。 しかしホロコーストの嵐の中にあって、たとえ最初は金銭的な 動機(ユダヤ人を安い労働力として確保する)からはじまっても、 後には、ユダヤ人保護に熱心となります。 次はアメリカ。アメリカに反ユダヤ人主義者がいないわけ ではないのですが、国全体としては建国以来、ずっとイスラエル を支援しています。 共和党は石油利権の関係で、本来はアラブ寄りなのですが、 今はその共和党が一番熱心にイスラエルを保護しています。 むしろ、歴史的にもユダヤ人に対する迫害や反発感情が強い のは、ヨーロッパです。 ヨーロッパで反ユダヤ人感情が強いのは、二千年の歴史の 積み重ねによるものと、私は考えています。 最後に、日本人のクリスチャンの例を挙げます。 日本は開国以来、ユダヤ人に対する差別感情はほとんどなく、 これは日本人のクリスチャンといえども、例外ではありません。 もちろん、ユダヤ人差別や偏見を書いた書籍等はありますが、 ごく少数であり、広く普及しているとはとてもいえない状況です。 むしろ、日本人・ユダヤ人同祖論などもあったりしており、 この理論を熱心に普及しているのは、日本人クリスチャン だったりします。 上記の理由により、ユダヤ人差別を聖書のみに求めるのは、 極めて早計な判断であると、私は考えています。

anima-mundi
質問者

お礼

ありがとうございます。 私も, すべてのキリスト教徒がユダヤ人排斥論者であるとは思いませんし, 個々の良心に従い行動を起こした人も少なからずいたと思います。しかし, 歴史を紐解くと, 必ずしもそれが多数派にはならなかったところに問題があるように思います。 今では, アメリカは確かに親イスラエル国家です。しかし, 第二次世界大戦中,アメリカを含め連合国側は亡命ユダヤ人に対して複雑な入国規定を設けて受け入れを渋った。そのため, 結果的に, この消極的な救援体制によって数多くのユダヤ人が亡命できずに命を失いました。これも反ユダヤ主義の暗示による呪縛が少なからず関係しているようにも思います。 日本人クリスチャンが日本人・ユダヤ人同祖論を普及しているとは知りませんでした。確かに, それはユダヤ人差別に当たらないと思いますが, 逆にユダヤ人に対する新たな偏見を生むような気がします。私は日・ユ同祖論をトンでも説だと思いますので, 受け入れられそうにもありませんが。 cse_ri2さんは, ヨーロッパにおける反ユダヤ人感情は二千年の歴史の積み重ねによるものという考えですね。その詳細はどのようなものでしょうか。

noname#34252
noname#34252
回答No.5

そうではないかと思いますよ。 といいますのも、なぜか私も同じような事を考えた事があるからなのです。 考えたというより「感じた」事があります。 日本人はキリスト教について、仏教的理念とひとくくりに同様な物として理解しようとします。 寛容な多神教徒なんですよね。 実際は、あなたの言う「家の人から植えつけられた」条件付けは私しにもあるし、彼らにもあるはずです。 ホロコーストは新約聖書の暗示によって起こされたと考え< そうだとしても2000年の歴史の間、絶え間無くユダヤ教徒に対してホロコーストを実行していたわけではないでしょう。 あの時は、そうだった 理由で、多くのヨーロッパ人がナチス指導を良いことに協力していたハズです。 御質問門者は知識があってそのことを知っておられるのだから(この情報は元々被害者達が発していたハズです)、これをわざわざ否定するのは心理学上の問題としてはおかしなことではないでしょうか 要点は、”暗示”とはなんでしょうか? 私自身の事を申しますと絶えず”暗示にかかって”物事を推し進めてしまった経緯があり、その結果として自分にかかった責任や現実からは逃れようもなくなってしまっています。 まあ、”歴史的に”はゴミの様な者ですが。 >払拭できません< 当然ではないでしょうか。 自からした事でありながら、”元々自分の責任では無い”部分とを切り分けて考えるようにしております(卑怯者なんです)。 事実でありながらひたすら否定してだましつづける「心理学」もあるかもしれません。 ゲッペルスの様な。 自分の事でありながら”他人事”のように考える事あります。 ”留置所の罪人”のように。

anima-mundi
質問者

お礼

ありがとうございます。 仏教の例ですが, 僧侶の肉食妻帯を禁止していた仏教に対して, 親鸞はそのタブーをおかすことで新たな宗教(浄土真宗)にまで発展させました。 逆に考えると, 宗教上の戒律や暗示から抜け出すには, 他の宗教に改宗するか, 新たな宗教を立ち上げるぐらいの気持ちがないとできないことのようにも感じます。 真の信仰においては, 様々な宗教上の戒律やタブーが, 自分のみならず, それが他者に対して向かったときにどのような態度で対自できるかが問われているようにも思います。 残念ながら, 現時点で私は過去の因習や伝統からくる暗示から自由ではありませんが, 気長に暮らしていければと思います。

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.4

参考程度に [ホロコーストは新約聖書の暗示によって 起こされたと考えるのは行き過ぎでしょうか] 半分は当たっていると思います。キリスト教の教義には新約部以外に旧約聖書の部分が多く用いられているからですね。他の半分はユダヤ人の旧約聖書(ユダヤ教部分)に基づく宗教的閉鎖性が理由でしょうね。 つまり、キリスト教に閉鎖的な部分があるとすれば旧約の影響ということかと思います。つまり、閉鎖的部分同士の相克と考えられますね。 新約部分だけですと、ユダも裏切りましたが、他の弟子もさっさと逃げたのですから。それを霊的に再生したイエスが呼び戻したということですから、罪ということはないですね。 更に、サウロ、後のパウロにいたっては、イエスを十字架に掛けた側にいたんですから、その方が改心してキリスト教を広めたが故にローマ法王はパウロと称されるのですから。罪人や報復ということはイエスの教えには無いですね。 イエス様は、人間の弱さは許されるべきものと捉えていますね。むしろ、孫弟子たちが弟子のふがいなさを隠蔽するためにユダに全てのことを押し付けたけらいはありますね。

anima-mundi
質問者

お礼

ありがとうございます。 人間の弱さに対する許しは, 宗教における一つの大きな主題かもしれませんね。 しかし, 許しと信仰は, どこか相反する性質のようにも思います。 人にはそれぞれの生き方があるが, 他の人に対しても自らの文化や宗教, 因習, 伝統などによる枠組みを強制的に押し込めようとするとき, 軋轢や齟齬が生じるのかもしれません。 それが信仰の強さであったり, 暗示の強さであったりするような気がします。

  • cse_ri2
  • ベストアンサー率25% (830/3286)
回答No.3

聖書について意見を言う人は、大半が聖書を読んでいない ことが多いですね。 私はざっとではありますが、旧約・新約ともに目を通したことが あります。 それを読んでの意見ですが、No.2の方と同じく新約聖書に 書いてることをきちんと実行するなら、ホロコーストなど ありえないという結論でした。 ただし、よいことが書いてあるからといって、そのことを 100%実行できるかというと、それはまた別問題ですね。 >アメリカのユダヤ人作家、ノーマン・メイラーも、 >ユダヤ人の絶滅政策という人類史上最大の犯罪を許 >してしまったのは、キリスト教文化全体の体質であ >ると指摘しています。 アメリカのユダヤ人作家が言っているから、その言葉を 信じるというのですか? 人の言うことを鵜呑みにする前に、あなた自身で原典を 読んで、自分の頭で考えることを強く推奨します。 ただし、新約聖書の福音書を読むと、イエス・キリストを 十字架に追いやったのは、当時のユダヤ人が原因だったと 読み取れることは事実です。 だからといって、イエス・キリストがユダヤ人への復讐を 呼びかけたかというとそんなことはなく、むしろ十字架上に あっても、最後まで人を許し続けています。 だから新約聖書を読んでユダヤ人への迫害に走る人は、 むしろイエス・キリストの教えに背く人と判断すべき でしょう。 また、どんなに立派なことを書いてある本があったとしても、 その一部分だけを取り出していけば、その本の本来の 主張とかけはなれた、トンデモ議論を構築することは 決して不可能ではありません。 他人の意見を鵜呑みにするのではなく、ヘンだと思った 部分は必ず信頼できるリソースの裏づけをとる。 このことをきちんと実行するだけで、あなたが恐れている 『暗示』などは、ほぼ効力を失います。

anima-mundi
質問者

お礼

ありがとうございます。 確かにイエス自身はユダヤ人の復讐を呼びかけてはいないと思います。 しかし、実際にはそうはならなかった。 中世ヨーロッパでのゲットー(ユダヤ人居住区)、異端審問、強制改宗など過去のユダヤ人迫害の元となった反ユダヤ感情は、カトリック教会などキリスト教会によるところが大きいとされています。 ヴァチカンでは無宗教を掲げる共産主義国家ソ連による侵略を守るためならば、ナチスの方がまだマシだとしたのでしょうか、ヒトラーの教皇と呼ばれるくらいにナチスの行為に対して黙認し、お墨付きを与えるような結果をまねいてしまいました。 戦後もナチスへの協力関係はしばらく続き、‘教皇庁の抜け穴’と呼ばれるヴァチカンによる戦犯ナチスの逃亡の手助けが行われていました。 戦後、ローマ教皇は反ユダヤ主義の責任がキリスト教会による煽動にあると認めて謝罪し、イスラエルの主席ラビと和解しました。 これらの歴史的背景を考えると、聖書には二面性があるのかもしれません。 私はそれを暗示にあるのではないかと考えました。 言霊の力は社会主義者などがよく用いる詭弁などにも見出せます。 彼らはこういいます。「社会主義は正しい。だが、指導者が悪かった。」と。 人間は過ちを犯す存在なのだから、自らを詭弁によって偽らずに、過去を省み、それを未来にいかそうとするのが、暗示による呪縛から開放できる道なのかもしれません。

noname#26903
noname#26903
回答No.2

新約聖書とホロコーストの関係、ということですよね? キリスト教徒(プロテスタント福音派) かつ 心理学を学ぶ者 としてお答えします。 とりあえず、新約聖書で述べられていることを実践できていれば、ホロコーストは【ありえません】。 しかし、実際ホロコーストは起きた。 これは、人間にとって聖書で述べられている生き方を実践することは、難しい、ということです。 ユダヤ人の迫害は、キリスト教的精神からでたものではありません。しかし、人間には罪があり、キリスト教徒、あるいはキリスト教的文化をもつ人々であっても同様でしょう。 様々な形でキリスト教が政治的な目的で【利用】されることに、憤りを覚えます。第2次世界大戦におけるナチスドイツで起こったことも、アイルランドの紛争も、同様です。 さて、暗示についてですが、 聖書の「啓示」と混同していませんか? 心理学的にホロコーストを説明しようとするなら、「集団心理」「社会心理学」などのキーワードで検索されてはどうでしょうか。 なんという実験だったか忘れてしまったのですが、外国の高校で、ファシズムを学んだ時、生徒が「なぜ理性のある人間が、そんなひどいことをしてしまったのだろう」という疑問を持ったことから、クラス全員が担任の先生のいうことを絶対聞く、という実験を行ったんだそうです。 その実験の結果、短時間にファシズム的な集団心理が形成されてしまい、当初の予定よりも短時間に切り上げざるを得なくなったといいます。また、こうした実験は今では禁じられているとのことでした。 なんという実験だったかな・・・だれか、ご存知ありませんか? 質問者さんの中にある差別の問題・・・これは、ホロコーストと全然違うともいえないけど、別の説明をしたほうがいいのかもしれません。

anima-mundi
質問者

お礼

ありがとうございます。 キリスト教的精神が何を指すか分かりませんが、少なくとも新約聖書を信仰する人にとって、そこに書かれていることは大きな影響を及ぼすものだと私は思います。 アメリカのユダヤ人作家、ノーマン・メイラーも、ユダヤ人の絶滅政策という人類史上最大の犯罪を許してしまったのは、キリスト教文化全体の体質であると指摘しています。それぐらいキリスト教文化圏にとって反ユダヤ主義は根深い問題なのかもしれません。 近年になってローマ教皇が「イエス殺害の責任は当時の関係者だけにあり、現在のユダヤ人にはない」と声明を出さなければいけなかった事からも、「イエスの殺害者」という暗示が今日まで深く影響を残しているためのように感じます。

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