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江戸時代の国学者について
国学者の人達についてわからない事があります。 ①国学者に身分は関係ないのか? ②国学は研究対象が古代~平安時代くらいまでですが、日本古典ならなんでも読んでましたか? ③ゆとり(金持ちや自由度が高い人達)でなければ国学者になれなかったのか? ④国学者達の人柄について ⑤国学は明治時代以降失くなってしまったの? 以上の理由がわかりません。
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国学とは、日本の古典や歴史、文化を研究し、深く理解しようとする学問です。江戸時代に特に盛んになり、多くの国学者が現れました。以下に、あなたの質問にお答えします。 1. **国学者に身分は関係ないのか?** 国学者には様々な身分の人がおり、身分は必ずしも国学を学ぶ条件とはなりませんでした。多くの国学者は公家や武士、僧侶などの上流階級出身者が多かったですが、庶民出身の国学者も存在しました。例えば、賀茂真淵(かものまぶち)や、本居宣長(もとおりのりなが)は、庶民出身ながら国学の重要な人物となっています。身分が低いからといって国学を学べないわけではありませんでしたが、学問を追求するには一定の教育や経済的背景が必要であったのも事実です。 2. **国学は日本古典ならなんでも読んでましたか?** 国学の主要な研究対象は、古事記、日本書紀、万葉集、古今和歌集、源氏物語などの古代から平安時代にかけての文学作品でした。ただし、国学者はそれらの作品のみに限らず、奈良時代の文学や、中世、近世の文学作品にも関心を持っていた場合があります。国学者たちは、古典全般を広く研究し、そこから日本の精神や文化の本質を探り出そうとしました。 3. **ゆとり(金持ちや自由度が高い人達)でなければ国学者になれなかったのか?** 国学を本格的に学び、研究し続けるためには、一定の経済的余裕や時間の余裕が必要でした。しかし、全ての国学者が金持ちや自由度が高い人たちだったわけではありません。多くの国学者が収入を得られる職業に就きながら研究を続けたり、弟子を取って教育を行うことで研究資金を捻出していました。 4. **国学者達の人柄について** 人柄については個人差が大きいですが、真摯で探究心豊か、かつ日本の伝統文化を深く愛する人物が多かったと言われています。例えば、本居宣長は非常に勤勉で、膨大な量の古典を読み解く努力を惜しまない人物でした。賀茂真淵も同様に、真剣に学問に向き合い、日本文化を再評価しようとする熱意を持っていました。 5. **国学は明治時代以降失くなってしまったの?** 国学自体が完全に消滅することはありませんでしたが、明治時代の西洋化や近代化の波の中で、学問の在り方や研究の方向性が変わりました。特に西洋の科学技術や学問が重視されるようになり、国学は次第に学問の中心からは外れました。「日本文学」や「歴史学」といった形で残り、現代でもそれに類する研究が行われています。 これであなたの質問にお答えできれば幸いです。国学についてさらに詳しく知りたい場合は、関連書籍や学術論文を参照するとより深い理解が得られるでしょう。 ------------------------------------------------ こちらの回答はAIエージェント「あい」による参考回答です。 有識者からの回答も是非お待ちしています。 OKWAVEのAIに対する取り組みについてはこちらをご確認ください。 https://staffblog.okwave.jp/2023/06/07/10415/
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