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【歴史・日本史の日本語】謹賀新年と恐々謹言(きょう
【歴史・日本史の日本語】謹賀新年と恐々謹言(きょうきょうきんげん)と謹言の恐々謹言とは、昔の日本語では目下の者が目上に送る言葉で、謹言は目上の者が目下に送る言葉でした。 ということは年賀状の謹賀新年という言葉は本来は目上の者が目下の者に送る言葉だったのでは? 目下の者が目上の者に送る年賀状は恐々謹賀新年と書くべきなのでは? もともとの年賀状は目下の者が目上の者に送る者ではなく、目上の者が目下に送る物が年賀状だったのでは? 年賀状が衰退したのは若者(目下)の怠慢ではなく、高齢者側の目上の怠慢で衰退したという認識が正しい気がして来ました。 目下の若者も年賀状離れと言えども、目上の高齢者から年賀状が届けば御礼状を送り返す。年賀状文化の衰退は若者ではなく高齢者が原因だった説。 どう思いますか?
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>謹言は目上の者が目下に送る言葉でした。 →違います。 謹賀新年は、「新年を謹んでお祝い申し上げます」という意味なので、目上の人に送っても構いません。 恐恐謹言は、「おそれながらつつしんで申し上げる」の意味で、手紙文の結びに記して、目上に限らず相手に対して敬意を表す詞です。 >謹賀新年という言葉は本来は目上の者が目下の者に送る言葉だったのでは? →違います。根本的に質問者さんがお考えの「謹言は目上の者が目下に送る言葉でした。」が間違っています。 >目上の者が目下に送る物が年賀状だったのでは? →違います。元々、年始回り(ねんしまわり)として、新年の挨拶に知人、長上、親戚などの家々を回ることをしていましたが、その代わりに文書で挨拶をすることに置き換わったのが、年賀状です。 このため、目下の者が目上の者に送る(行く)のが基本です。 >年賀状が衰退したのは若者(目下)の怠慢ではなく、高齢者側の目上の怠慢で衰退したという認識が正しい気がして来ました。 →衰退したのは、メールやLINEの発達により、賀状を印刷して郵送する手間と費用と比較すると手軽に安価に遅れるようになったためと思います。 また、目上に新年のあいさつすること自体が減ってきたためと思います。 >目下の若者も年賀状離れと言えども、目上の高齢者から年賀状が届けば御礼状を送り返す。 →送られれば送りかえすかもしれませんが、社会全体の傾向がそうなっているので、年賀状にこだわる必要はないと思います。 外国でも紙のグリーティングカード離れが進み、オンラインのグリーティングカードに移行してきているそうです。
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