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福沢諭吉について

福沢諭吉って儒学や国学を嫌い啓蒙思想を好みましたがあれって何かきっかけはあるんですか? 儒学って現代人の我々でも読むと教養として身に付くし、国学も古代日本の素晴らしさや美しさを知る上では欠かせない書物です。 当時では福沢をかなり嫌った人間は多いはずだと思いますが。

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  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10068/12612)
回答No.5

>福沢諭吉って儒学や国学を嫌い啓蒙思想を好みましたがあれって何かきっかけはあるんですか? 儒学って現代人の我々でも読むと教養として身に付くし、国学も古代日本の素晴らしさや美しさを知る上では欠かせない書物です。 当時では福沢をかなり嫌った人間は多いはずだと思いますが。 ⇒以下のとおり、文献の引用などをしながら、賛否両論をお答えします。 A.お説に賛同できる局面: ①数度にわたって欧米へ視察・遊学し、欧米の文化に親近感と尊敬の念を抱いた。 *ただし、儒学を嫌っていたわけではありません。(→Bの①をご参照) ②白人至上主義で、有色人種に対して偏見を抱いていたと思われる言動があった。 《白人を絶賛する一方で黄色人種については「勉励事を為すと雖ども其才力狭くして事物の進歩甚だ遅し」と否定的であり、さらにその他の有色人種については野蛮人と評している。》(福澤諭吉、『掌中万国一覧』) ③著作中に、中国を論難するくだりもある。 《支那人などの如く我国より外に国なき如く外国の人を見れば一口に夷狄々々と唱え…外国人を追払せんとし却って其夷狄に穽めらるるなどの始末は実に国の分限を知らず…我儘放蕩に陥る者と言うべし》(福澤諭吉、『学問のすゝめ』) B.お説に若干違和感を覚える局面(福沢諭吉に共感する局面): ①幼いころから儒学に親しんでいる。 《福澤の学問的・思想的源流に当たるのは荻生徂徠であり、諭吉の師・白石照山は陽明学や朱子学も修めていたので諭吉の学問の基本には儒学が根ざしており、その学統は白石照山・野本百厳・帆足万里を経て、祖父・兵左衛門も門を叩いた三浦梅園にまでさかのぼることができる。のちに蘭学の道を経て思想家となる過程にも、この学統が原点にある。》(Wikipediaより) ②政治的野心や、私服を肥やすなどの私心はなく、もっぱら一般人の啓蒙に尽力した。 《以前から長州藩に雇われていた大村益次郎や薩摩藩出身の寺島宗則・神田孝平ら同僚が明治新政府への出仕を決め、諭吉にも山縣有朋・松本良順らから出仕の勧めがきたがこれを断り、九鬼隆一や白根専一、濱尾新、渡辺洪基らを新政府の文部官吏として送り込む一方、自らは慶應義塾の運営と啓蒙活動に専念することとした。》 以上

  • gunsin
  • ベストアンサー率32% (427/1332)
回答No.4

>福沢諭吉って儒学や国学を嫌い などの情報は、何処から得たのでしょうか?浅学の私は知らない 事柄ですね。 福沢諭吉は豊前中津藩大坂の蔵屋敷で下級武士の家で生まれました、武士の素養として、武芸や論語は学んでいた筈です、ましてや父親 の福沢百助は儒学者ですから、尚の事です。 自分の将来を見据えた時に、蘭学に魅力を感じて、緒方洪庵が主宰 する適塾に入ったのでは、ないでしょうか(根拠の無い推測です) 更に開港された横浜に行った時に、これからは蘭国よりも英国だと 方向転換した事が自伝に記されています。 学問で複数の事を極めるのは、天才や秀才でも難しい事です。 Musicを音楽と訳したのは、福沢諭吉だそうです、国学の素養 が無いと出来ない事ですから、教養レベルを超えた国学の 知識は有ったと思われます。 -------------------------------------------------------------------- 孔子が生まれた魯国、孟子が生まれた衛国も春秋時代から 戦国時代に入って間もなく滅びました、「仁」だけでは国家を 守る事が出来ない事を示しているのです。 論語は個人の素養としては、有意義なので現在まで読まれてるのです 改革を推し進める為に出自の身分を問わず人材を登用した、秦国が 法の支配を確立させ、食料増産を成し得たので、800年に渡る 春秋戦国時代の幕引きを為す事が出来たのです。

  • f272
  • ベストアンサー率46% (8620/18438)
回答No.3

福沢諭吉が嫌っていたのは、門閥制度です。身分の上下は生まれながらに決まっているものではなく、学問によって立身出世が可能になる世の中を目指していました。 儒学や国学を嫌っていたわけではありません。

  • nagata2017
  • ベストアンサー率33% (7025/20694)
回答No.2

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」 この言葉は 儒学や国学の縦社会とは相反することだからです。

  • kaitara1
  • ベストアンサー率12% (1159/9192)
回答No.1

若い時からいわゆる封建社会の嫌な面をさんざん見てきたことが大きいいのではと思います。体制の新旧にかかわらず、権力というもののの力が大きいことも身に染みていたのではと思います。

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