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江戸時代の塾について教えて下さい!

①私塾は当時自分の家で学ばせていたんですか? ②授業料はどの位かかったのでしょうか?かなり安かった? ③当時は儒学・国学は分けて教授されていたんでしょうか? 怖い先生、口うるさい先生、穏やかで優しい先生など様々でしたか? 現代からすると資格なし講師が民家を開いて特技の学問を子供や青年達に教えていたような感じですか?

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  • nagata2017
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回答No.1

1 もともと寺院が子どもたちの教育を行ったことからできた言葉です。 江戸時代に入ってからは寺院から離れ、学問を修めた者が開いた家塾がその役割を果たすようになりました。 2 授業料は年五回払いで、江戸では金一朱(約2万円、1両=30万円換算)ずつ5回納めるのが通例であるとし、農村部では江戸の半額ほどとのことです。 3 寺子屋は士族の子弟ではなく一般町民が多かったので 読み書き算盤などから 地理・人名・書簡の作成法など、実生活に必要とされる要素の学問が指南されました。 教科書は 『庭訓往来』『商売往来』『百姓往来』など往復書簡の書式をまとめた往来物 漢字を学ぶ『千字文』、人名が列挙された『名頭』『苗字尽』、地名・地理を学ぶ『国尽』『町村尽』 『四書五経』『六諭衍義』などの儒学書、 『国史略』『十八史略』などの歴史書、 『唐詩選』『百人一首』『徒然草』などの古典が用いられました。 先生は 多いのは平民(町人)で、雑業、農民、商人などの江戸の町人で、次に多いのが士族である。女性の師匠も男性の1割ぐらい。一方で地方によっては士族の教師が最も多い地方や、平民に次ぎ僧侶の教師が多い地方も存在していた 資格はありません。

noname#255818
質問者

お礼

ありがとうございます。

noname#255818
質問者

補足

ちなみに自分は知人から論語の簡単で解りやすい本を借りて読み始めた所ですが、意味がよく理解わかりません。 あれは哲学書なんですか? あたしは哲学系はさっぱりなんです。

その他の回答 (1)

  • nagata2017
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回答No.2

論語は 哲学というより 自分の生きてきた道の回顧録的なもので その中に人生訓などわ織り交ぜた感じかな。 哲学は非常に難解な言葉づかいでわかりづらいです。 その中でも「口語で語る哲学」というものがあります。 池田晶子氏の著作です。

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