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熊襲、隼人の外見、ヤマトと混血

熊襲や隼人は元々東南アジア人のような容姿だったが、倭人と混血して現代では本州の日本人と見た目では区別がつかなくなったのですか?

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回答No.2

東南アジアではなく、琉球やアイヌのような元々日本にいた彫りが深く毛が濃い縄文系だったと思われます。 縄文系の他に大陸東部から渡ってきたのっぺり細目の弥生系、縄文系と弥生系の混血の3種がほぼ現代日本人と言われています。 東南アジアとは熊襲や隼人の時代には海流と航海術の問題で行き来は難しかったかと。 フィリピンや台湾などとの間はかなりの難所なんですよ。 太平洋は渡って行けたようですけど。

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  • gunsin
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回答No.1

古事記には、部族がいた記述がありますが、細かい事柄は、書かれて いないので、顔立ちなどは判ってません。 日本の土壌は酸性なので遺骨が解けてしまうので、更に調べるのが 困難なのです。 国文学者の柳田國男さんは、大和民族は、山の民、海の民、北の民、 南の民からなって居ると発表しました。 各地に伝わる民話や伝承などを丹念に調べた結果から導き出した 事柄です。 この表現の方が差別の感覚が無いので、宜しいかと。 柳田國男さんが発表した時、歴史学者達は、せせら笑ってましたが、 次から次へと遺跡が発掘される都度、柳田國男さんの説が現実味 を帯びて来ていると、思うのは私だけでしょうか。

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