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鎖国時代にもドイツ人やスウェーデン人が日本に来てた
鎖国時代と言えば、日本はヨーロッパの中ではオランダとしか貿易してなかったですよね。 長崎の出島が有名です、蘭学とかも。 でも長崎出島を訪れた学者としてドイツ人学者のケンペルとか、スウェーデン人学者とかドイツ人学者のシーボルトなど、オランダ人以外も結構いるようです。 日本人がたくさんのことを学んだとか。 これはどういうことですかね? オランダ人以外の欧州人が出島にいても問題なかったんでしょうか、黙認されていたのかな? 鎖国や出島に興味ある人など、ミサ難からのいろんな回答を待っていますね。
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>鎖国時代と言えば 最近の教科書からは、「鎖国」という言葉が消えました。 >日本はヨーロッパの中ではオランダとしか貿易してなかったですよね。 原則は、中国(朝鮮含む)とオランダですね。 >オランダ人以外の欧州人が出島にいても問題なかったんでしょうか、黙認されていたのかな? 最近の研究では「暗黙の了解」との事です。 「鎖国」という文言が消えた理由ですね。 当時の日本人の感覚は「カラ人・バテレン人(異人)」の感覚です。 オランダ経由で日本に、多くの外国人が来ていますよ。 1800年代には、イギリス人旅行者(女性)が日本に来て「旅日記」を書いています。 その他にも、出島から江戸までの道中記を書いています。 ※日本語訳で、販売中。 ※東海道中膝栗毛にも、オランダ人以外の外国人との話があります。 当時の知識人・役人の多くは、案外海外の出来事に敏感だったのですね。 外国人に対して「恐怖感・違和感がなかった」ので、幕末・明治新政府は直ぐに諸外国と交流・交易が出来たのです。 質問者さまがご存知か否か。 討幕派にはイギリスが、幕府佐幕派にはフランスが援助しましたよね。 幸いにも、「軍隊の派兵を討幕派・幕府双方が要請しなかった」ので植民地・分断国家になりませんでした。^^;
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- eroero4649
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みんな「オランダ人のフリをして入国した」のです。日本の通詞(通訳)とオランダ語で会話できればよかったですから。 それで見抜かれてしまったのが、シーボルトです。シーボルトはご存知のようにドイツ人。長崎に上陸して通詞と会話したときに「発音がおかしい」と見抜かれてしまったのです。読み書きができない(許されてない)通詞は発音には敏感だったのです。 そのときシーボルトは「オラ、山岳民族の出身だからちょっとナマってんだ」といって通詞の指摘を誤魔化しました。オランダに行ったことがある日本人はいなかったので、オランダの山岳地方がどこにあるのかバレずに済んだのです。ま、私は欧州人らしいジョークだったと思いますけどね。 ケンペルやツンベリーはそういうエピソードが伝わってないので、通詞も気にならない自然な発音だったか、あるいはシーボルトのオランダ語がよほどひどいドイツ語訛りだったかってことなんでしょうね。 でも本来、ケンペルのドイツ語名はケンプファーだし、ツンベリーもスウェーデン語ならツンベルクになると思います。
お礼