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江戸時代、オランダから長崎への航海は、何日掛かったのでしょうか?
この夏、長崎に家族と旅行に行きます。 娘に、江戸時代は、日本が鎖国していて、オランダと中国とだけ貿易していたことを教えたのですが、オランダから長崎まで、どの位掛かったら聞かれ、教えてあげることができませんでした。 もし、ご存知の方がいましたら、教えてください。 よろしくお願いします。
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風任せの帆船は航海の季節、寄港地の数などにより航海の所要日数はまちまちなのが普通です。 当時の航海は日数も要したので、途中の寄港地で食料、飲用水などの補給が必要でした。 しかも通常は貿易、通信などの業務がありますからそれらの処理の時間も必要です。 他のご回答者の挙げられている例でもほぼ1年と見るのが普通でしょう。 幕末の開陽丸は一応機帆船ですが出力は400馬力でおそらく近海でのみ機関を動かした位と思われます。 しかも受注船で納期を急がされての航海で日本に急行した筈です。 それでも半年を要しています。
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- keiga_kawahara
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江戸時代後期、1817年に商館長ブロンホフに付き添ってきたティツィア・ベルフスマの記録では 1816年8月14日 オランダのテクセルを出帆、12月27日にバタビア(インドネシア)着 1817年6月30日バタビア発、8月15日出島着 12月10日長崎発1818年1月14日バタビア着 4月5日バタビア発、9月2日デン・ヘルダー着 となっています。
お礼
参考になりました。 約1年もかけていたのですね。 大変おどろきです。 ありがとうございました。
- a-koshino
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風任せもありましょうが、半年ほどかかったようです。↓ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%8B%E9%99%BD%E4%B8%B8
お礼
ご紹介いただいたサイトを見ました。 参考になりました。ありがとうございます。
お礼
ご丁寧に解説いただきありがとうございます。 子供にだいたい1年位かけて日本に来たことを説明します。 ありがとうございました。