江戸時代初期の日本の主な輸出品は銅でした。最盛期には世界の銅の四分の一にまで匹敵したといわれます。
なのでオランダは主に日本から銅を輸入していたのですが、長崎の商館の維持費や諸経費を含めると対日貿易は赤字でたいしてうま味はなかったようです。江戸時代も中期になると銅の産出量が枯渇してきたのと、あまりに輸出に回ってしまうので国内の銅不足になったので幕府が輸出量を規制したり、最終的には禁止したのでそういう意味でもオランダにとって対日貿易はオイシイ商売ではありませんでした。
しかしオランダそのものが銅不足だったらしいので、採算が合わなくても輸入分を確保したいという思惑もあったようです。
ですのでもしオランダにとって対日貿易が全くなくなったとしたら(実際、イギリスとの戦争で海域があまりに危険になり、事実上長崎商館が孤立していた時期もありました)、銅不足で悩んだことになるとは思いますが、それがオランダの歴史や社会にどこまで影響を与えたのかは分かりません。
一方の日本ですが、例えば寛政の改革を行った松平定信は「有用の銅を外国の要らんオモチャに替えるなんてけしからん」といったりしているので、幕府の要人の中にはこういう「貿易有害論」を唱える人はしばしば存在しました。今でいうなら「中国との商取引はやめるべきだ」と主張するネトウヨみたいなものですね。もし本当にそんなことをやったら日本経済が立ち行かなくなってしまうのですけどね。
そもそも支配者たる武士は「金勘定は商人がやる卑しい行為で、武士はそういうことをしてはならん」という価値観ですから、武士に貿易の有用性を理解している人は極めて稀な存在です。
ただどこかで聞いたことはあるでしょうが、薩摩藩は密貿易で莫大な利益を生みましたから、幕府が貿易を禁止したら薩摩藩が密貿易をやったでしょうねということになるのかな。
ただ薩摩藩もその密貿易で莫大な利益を出したとはいっても、それでもなお江戸で「江戸には全国各地の藩の武士がいるけどさ、薩摩藩の武士は一目で分かるよね」と揶揄された(痩せていてみすぼらしい服を着ているからだそうです)くらいの貧乏藩だったのですけどね。
江戸時代のオランダと日本の付き合いは、どちらにとっても経済的メリットは小さかったのですが、オランダ側にとっては「とはいえ不足している銅が手に入る」というメリットがあり、日本にとっては「海外の情報が入ってくる」というメリットがあったので続いていたということだったのではないかなと思います。そして他の国(スペインやイギリスやフランス)が江戸時代を通じて日本をほぼ「放置」していたのは、彼らにとってはわざわざ交易するメリットはなかったということなのだと思います。
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