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妖精さんの物語「序章」
序章。 私は多感な中学校2年生の時に部活動で基礎体力を作る郊外の走り込みで、広い敷地の公園を走った時に、公園の区画として未整備な原野で突然立ち止まった。 そして得も言われぬ好奇心で、未整備区画の原野に足を踏み入れた。。。 足元に湿原が広がるその原野で、正体がわからない強い精神の動揺を感じて、これは失神するかもしれないという恐怖感から我を忘れて逃げ去り、走り込みをしていた道路にたどり着いた。 その動揺は何だったのだろう? しばし子供の私には理解できない日が続いた。 おとなになってから、似たような経験を繰り返したこともあり、当時の経験が何だったのか理解できた。 公園の未整備の原野は、農耕用の貯水池に隣接して、貯水池から水があふれたので湿地になっていた。 日本では水源地の管理には、管理者を困らせる噂が発生しやすい。 水源地というのは、自然界の精気が濃厚なので、霊感のある人たちは私が当時経験したように、自然の精気に感化されて、漠然とした神秘体験を味わう。 なぜそれが管理者を困惑させる噂になるかというと、「死体が埋まっている」「幽霊が出る」とかの噂になりやすいからだ。 実際にその貯水池には「死体が埋まっている」といううわさが数十年にわたって語り継がれ、地元の子供たちを怖がらせていた。 私が中学生の時に経験した漠然とした心の動揺はとは、木霊の精霊が私に話しかけてきた声だったのだ。 はいはい。ここまでは自分の個人的な体験を文学にした内容。 その他にこの質問掲示板で公的な水源地の管理者が、水源地によくわからない祠のようなのがあるが、公共の場なので撤去したほうがいいのではないかと質問したことがある。 その時も、私のこの経験を持ち出して丹念な回答をして、水源地というのはそこらに転がっている丁度いい岩にしめ縄をまくとか、よくわからんけども祠みたいなのを置くとかしないと、近隣の住人が不安感から噂話を始めるもので、むしろそういう気休めを積極的に行って不安を取り除くのは、水源の管理手法で巧妙な事だと説明した。 今回はそういう話題で、哲学の暇人が新着入荷として寄ってたかってこねくり回す学問の研究会が意図です。 話し合いたいというよりも、私も助言から新着入荷の新しい着想を獲得して、またしても黙々と自分で考えたいだけです。
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お礼コメントをありがとう。 >そうした執筆なら、現状だとコパイロット有料版とオフィス365を契約して、出費すればスイスイ進むけども、趣味にむやみに金を掛けたくないんで。実益として回収できる資金も出るだろうが、所詮趣味だしねえ。 ⇒ボクも経験があるけど、パイロット版というのは点検・修正用なのでそれなりの良さはあるけど、あなたの言うように、わざわざ出費してまでやることはないとボクも思うよ。だから、そう、「趣味の時間」を大事にすることにボクも賛成だな。それこそ、このサイトの救い主かも知れないよ。最近の質問は、「まじめにおもろない」のが増えてきたからね…。「まじめにおもろい」のはもちろん大歓迎だけど、「お遊びでおもろない」のも楽しいから、(精神健康上)それも歓迎したいなァ。 補足コメントもありがとう。 >機が熟していないというだけの話だ。あなたの回答で明晰な理解におよべたよ。資質として可能だけども、遊びに金をかけるのは男性として抵抗を感じるなあ。 ⇒ボクにはよく分からないが、このサイトがいいと思うよ。タダで遊ばせてくれるんだからね。ありがたいよ。好きなことを言えるしね。ボクは、このOKWAVEが好きだ。自慢じゃないが、ボクは他の大手のサイトは覗いてみたこともないし、もちろん登録さえしたこともないんだ。 提案:これからも引き続きこのサイトに好きなことを投稿してくれたまえ。たまにはキミのような、自由で、時にハチャメチャな(失礼!)話ができないと息がつまっちゃうよ。そんなわけで、ボクはキミの投稿は必ず見るんだ。たとえ回答を寄せない場合でも、必ず目を通させてもらっているよ。だから、今後もどうぞよろしく!
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- Nakay702
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お礼をありがとう。 >勘六堤の私の言及と、『鉢かぶり姫』の伝承の拡散は、見地と取り組みに立脚点が違うよね。だからまあ、怪異現象専門の妖怪探偵みたいな感性で、各地の民派で取り組める接点があるのについて、現代でも根拠となった精霊のイタズラは健在だとでもいう構成が目標なんだ。(実在する妖精の捕まえ方)例えば今回の実体験も、勘六堤で、過去から言われていた怪異現象に直面した人物が、曲折を経て伝承の伝承を解き明かすなんてのを、脚色を交えつつ妖怪探偵にしてしまえば、独自の感性で創作できると思うんだよ。 ⇒「みんなちがってみんないい」(金子みすゞ)、面白いのができるかもしれませんね。 「第2の水木しげる風、妖怪研究家現る!」てなことになるとおもしろいなあ。 勘六堤はいわば、「怪奇系で、芥川龍之介寄り」だとすれば、寝屋川風『鉢かぶり姫』は、「ロマン系で、太宰治寄り」ってところですかね。三島由紀夫のように、両方にまたがるようなタイプもありますね。まあ、いずれにせよ、「みんなちがってみんないい」じゃあないでがんしょ。 山形県上山市に伝えられている話もロマン系です。要約はこうです。 「奥方が十三歳になる姫の頭に身のまわりの品々を乗せ、黒い木鉢をかぶせておいて先立った。後添いが来て、子が生まれると姫の告げ口をしたので、殿様は姫を追い出す。姫は川へ身投げするが鉢のおかげで沈まず、船頭に岸へ押しやられて死ぬこともできない。村人たちに「鉢かつぎ姫」と呼ばれて別の殿様の邸前で泣いていると、家来に引き入れられる。優しい殿様がわけを聞いて、取れぬ鉢はそのままで飯炊きにやとう。四人いる息子の末弟が独身で、夜の勉強の後、風呂で姫に背中を流してもらい、汚れの落ちた手を見、美声を聞いて嫁にと所望する。身分違いの組み合わせに不同意の親は、乳母の発案で嫁くらべをする。姫が逃げ出したのを末弟が追い、もみあって鉢が落ち、中の宝物と美しい顔が現れる。くらべの当日、三人の兄嫁につづいて現れた姫は鉢から出た宝飾と天性の美貌とで他を圧倒する。兄嫁たちが音楽の腕前をくらべると、六段の調べを見事に弾き親たちにも望まれて末弟と結婚し、立派な奥様になって幸せに暮らした。」
お礼
そうした執筆なら、現状だとコパイロット有料版とオフィス365を契約して、出費すればスイスイ進むけども、趣味にむやみに金を掛けたくないんで。実益として回収できる資金も出るだろうが、所詮趣味だしねえ。 本格的な職能というのは本業に集中するので、趣味の時間でのぼせてならないし。
補足
機が熟していないというだけの話だ。あなたの回答で明晰な理解におよべたよ。 資質として可能だけども、遊びに金をかけるのは男性として抵抗を感じるなあ。
- Nakay702
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お礼を拝見しました。 >同級生で男勝りなので、私に言わせれば「メスゴリラ」という印象の部長だったが、上級生は謎なのだが、メスゴリラがかわいい女性に見えていて、もてていたのも覚えている。 よくあるんだよ、年下から見るとあこがれの異性の先輩。 同級生から見て美人。 年上から見て、好ましいかわいい人。 何もかも目の錯覚が加味されているのだろう。 メスゴリラの活躍でそう思ったよ。 ⇒そのメスゴリラさん、きっと素晴らしい女性だったんだね。 ボクも会いたかったなァ… ⇒補足の情報もありかとね。ボクもネット検索してみました。 この『鉢かぶり姫』・『鉢かつぎ姫』などの民話は、室町時代にはじまりますが、広く庶民にもてはやされるようになったのは、江戸時代に入ってからで、かわら版や浮世絵が木版で大量に印刷されるようになり、今までの写本による数を大きく上回り、広く伝えられることになっていったようです。件の物語は、『一寸法師』や『浦島太郎』などとともに『御伽草子』の中に収められており、全国的に読まれていますが、日本の各地方でそれぞれ少しづつ形や表現を変えて伝えられているそうです。 一作引用しておきます。寝屋川市に伝わる話です。 河内の国、交野郡寝屋というところに備中守藤原実高という大変裕福な「寝屋の長者」と呼ばれている人が住んでいました。長者の屋敷は、東西十二町、南北四町、田畑は一千二百余町もありそれは立派なものでした。備中守実高の奥方は、摂津の国鳴海の里の芦屋長太夫の娘で照見といって十六才で長者のもとに嫁いできました。 ふたりの夫婦仲は大変良く幸せな毎日を送っていましたが、どうしたわけか子どもに恵まれませんでした。大和の国初瀬寺(長谷寺)の観音さまに、お参りを続けていたある夜、枕元に観音さまがあらわれ女の子を授けるが、鉢を被せるよう告げられたところで目を覚ましますと、目の前にはお告げどおり鉢がありました。それからしばらくして、奥方照見の方はお告げのとおり女の子を授かり名前を「初瀬 」と名付けて大切に育てていました。 ところが初瀬姫が十四才になったとき、照見の方が病で臥せる日々が続きます。初瀬寺の観音さまにお参りを続け母の病が直りますよう、懸命にお祈りをしますが、なかなか良くなりません。やがて母照見の方が死を迎える前に初瀬姫を枕元に呼び寄せ、観音さまのお告げのとおり鉢を被せ、そして静かに息を引き取ります。備中守実高も初瀬姫も寂しい日々を過ごしますが、父実高は後添いを迎えることになりました。名前は浅路といい、器量はいいのですが心根の大変悪い女で実高との間に娘が生まれると、次第に初瀬姫をいじめるようになり、遂には初瀬姫を屋敷から追い出してしまいます。 屋敷を追い出された初瀬姫は行くあてもなく歩き続けていると大きな川の堤に出ました。亡き母のもとに行こうと川に身を投げますが、 なぜか鉢を被った首から上は沈みません。川に流されていると通りがかりの船に引き上げられますが鉢を被った異様な姿に驚き、川岸に投げ出されてしまいます。気を取り直し再び、足の向くまま歩いていると、道を通る人々は鉢かづきの姿に驚き、逃げて行きます。そんな時、山陰三位中将に助けられ、湯殿番として働くことになりました。幼いころより下働きなどしたことはなかった鉢かづき姫ですが、一生懸命に湯殿番として働いていました。そんなある日、いつものように湯殿番をしていると、山陰三位中将の四番目の息子(宰相)から声をかけられ色々な話をするようになりました。まだ独身の宰相は心優しい人で鉢かづき姫とは次第にお互い心ひかれていきました。やがて二人は夫婦の約束をしますが、鉢を被った見た目にも見すぼらしい姿の鉢かづき姫に兄や兄嫁たちが反対します。どうしても一緒になれないのなら、二人で屋敷を出る覚悟をしていましたが、そこに兄や兄嫁たちから、嫁くらべをして勝てば二人の結婚を認めようという話が出されます。 宰相は引き下がるわけにもいかず、その場は了承してしまいます。嫁くらべの日までもういく日もありませんので今から琴や歌などの教養を教えることもできません。二人は覚悟をきめて、こっそりこの屋敷を出ようと手に手をとったその時、今までどうしてもとれなかった姫の鉢が頭からぽろりと落ちました。するとどうでしょう、その鉢からはそれはそれは驚くばかりのたくさんの金や着物などの宝物が山のように出てきました。鉢のとれた姫はというとどこに出しても恥ずかしくない美しさと優しさを兼ね備えたたとえようのない顔だちです。二人は早速身支度を整え嫁くらべの場にのぞみました。その姿を見たまわりの者の驚きは、姫の姿かたちだけではありません。琴をひいても、歌を詠んでも、文字を書いても、誰ひとりかなう者はいませんでした。この後、二人はみんなから祝福されて幸せに過ごしました。
お礼
ありがとう。 あなたのお話は興味深いし、博学に底が見えないようなところを改めて感じたよ。 前に民話で取り上げられるような話の舞台を現代に移した小説でもまとまって時間が取れるゆとりが出来たら 取り組んでみたいと何度かお話したことがあるつもりだ。 勘六堤の私の言及と、『鉢かぶり姫』の伝承の拡散は、見地と取り組みに立脚点が違うよね。 だからまあ、怪異現象専門の妖怪探偵みたいな感性で、各地の民派で取り組める接点があるのについて、現代でも根拠となった精霊のイタズラは健在だとでもいう構成が目標なんだ。(実在する妖精の捕まえ方) 例えば今回の実体験も、勘六堤で、過去から言われていた怪異現象に直面した人物が、曲折を経て伝承の伝承を解き明かすなんてのを、脚色を交えつつ妖怪探偵にしてしまえば、独自の感性で創作できると思うんだよ。 ただし長編小説は無理だね。 そんな時期が来た時には、MSワードというソフトのAI連動機能が強化された後に(もう始まっている)文章の校正などにAIの支援を受けながら執筆する体裁になるよ。
- Nakay702
- ベストアンサー率79% (10005/12514)
お礼をありがとう。 >子供の時って、不注意で死ぬんじゃないかって目にあった知人は私の世代でも多いよ。⇒そうだね。ボクはそういう「子ども」を3種類に分類していたよ。 A級粗忽:死ぬまで自分が粗忽だと気づかないタイプ。ボクの同級生、深夜に酔って大型バイク(七半)を駆って国道をぶっ飛ばした。そして、大型トラックの真正面に追突して死亡。おそらく、向こうからバイクが2台並んで来たので、その真ん中をすり抜けるつもりだったのだろう、というのがもっぱらの噂だった。 B級粗忽:自分の粗忽のせいで、何度か命を落としかけるが、ハタと気づいて、以後は注意するようになるタイプ。そして、B級粗忽からC級粗忽に「降格」する。 C級粗忽:ちょこちょこヘマ・ポカ・チョンボをやらかすタイプ。よく人に「あいつ、バカだなあ」などと言われるが、意外にも愛嬌者として人気がある。 *ボクがこの中のどれに当てはまるか、Flareonさんはつとにお見通しのことでしょうね。 補足をありがとう。 >地名として名前を写し取ると、どうやら自然発生的に、いわくとなる怪談も地元各地で噂話が流れるようになる模様なんだと判明したよ ⇒日本は、どこも伝説・民話の宝庫らしいね。「鉢かぶり姫」などというマイナーな口承民話でも、何と百種類ほどが日本各地に残っていると聞いた。それぞれの異作に、曰く因縁やしがらみや裏話がついて回る。小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の"Kuwaidan" は話題に事欠かない。 "Soba seller":「お女中」の《のっぺらぼう》に驚いて逃げ出し、ソバ屋の屋台に飛び込む。「今こんなおっそろしい目に会ったんだ。顔が…」と言いかけると、「こんなだったかい!?」と言いながら、突き出した屋台主の顔もまた《のっぺらぼう》だった。これはおそらく、一面に白粉を塗った顔を見た時のハーンの実感を怪談風に仕立てたのだろう。日本人の顔は、外人から見れば、確かにのっぺりしていると感じるようだね。 "Kubi-kiri"(タイトル自信なし):無実の「罪人」が、冤罪で処刑される。筵の上に座らされ、首切り役人が刀をかざしながら「言い残すことはないか」と尋ねる。「オレは絶対無実だ」調べ直して欲しい」と訴える。「オレの仕事は首を切ることで、上様に取り次ぐことじゃない」―「これほど言っても聞いてくれないなら、オレは死んでもお前に噛みつくぞ!」。役人が首を一刀のもとに切り落とす。すると、頭はコロコロと転がりながら、そばにあった石にガブッと噛みついた…。 *どれもこれも、あり得そうな話ではある。
お礼
面白いね。 あなたが3項目でどこに分類されるかならば、知恵がある人ならば、命の危険は青春黒歴史といったところだろう。 私はお猿の通う高校で1年生と2年の半場まで山岳部だった。 お婆ちゃんが私が山岳部に入部したと聞いて、「それほどお前に似合わない行いはない」といったんだ。 私は自分の意志に溺れておばあちゃんの助言を聞かなかった。 1年生の時に滑落を一歩手前を3回経験した。 高い山に登ると尾根から踏み外すとふもとまで登山した山の標高に沿って滑り落ちる。 その間に転がったり岩に当たったりで、滑落するとふもとに落ちるころにはバラバラ死体になっているんだ。 先輩方の数年前の事として、体験した故事でいろんな冷や汗を教訓として語っていたし、意地も張ったが2年生の8月の登山計画で、退部届を出したよ。 2年の中盤からは写真部だ。 私の叔父に公務員で白黒写真が主流の時代に、業務用の暗室と言われる写真機器の一式をそろえて、私の叔母を妻に迎えた時に私の父に譲渡した人がいた。 父も独身時代に暗室作業をした写真趣味だよ。 指導員が2人いたんだ。 高校の写真部は指導員が居ないので、先輩からあいまいで間違った暗室作業を継承していたので、自分で書籍を読んだり経験者の父などと相談したりで、正確な知識と技術を伝授する立て直しをしたけども、私は研究者的なので、同学年の男勝りの女生徒が部長になって、私は支援に回ったよ。 その女性部長は私から写真技術について詳しく聞いたので、高校を卒業すると、地元で名門の写真館に就職したよ。 同級生で男勝りなので、私に言わせれば「メスゴリラ」という印象の部長だったが、上級生は謎なのだが、メスゴリラがかわいい女性に見えていて、もてていたのも覚えている。 よくあるんだよ、年下から見るとあこがれの異性の先輩。 同級生から見て美人。 年上から見て、好ましいかわいい人。 何もかも目の錯覚が加味されているのだろう。 メスゴリラの活躍でそう思ったよ。
補足
それから「鉢かぶり姫」は、あなたが言うから何かあるだろうと思って調べてみたよ。 あなたの言及が何かの研究書に基づいているならば、おそらく該当するWIKIよりも詳しくて、大学の古文の教授などは何もかも掘りつくす勢いで徹底研究するから、なんらかの資料はあるのだろう。 ただあなたの合意した内容だと「鉢かぶり姫」の伝承が各地に伝わり郷土特有の変容を遂げるという事だよね? 五泉市の勘六堤の場合は、名前だけ移植して伝承を継承していなかったのに、現地で自然発生して同様の怪談がささやかれるようになったんだよ。 でも私が追及したところでは、木霊の精霊が正体だったという事さ。 それからもっと幼い時に「となりのトトロ」「すみっこぐらし」に相当するであろう気配を探知して、これはじっくり目を凝らすと姿を自分で確認できると見つめていたけども、近くにいた父親から声がかかったので断念したことがある。
- Nakay702
- ベストアンサー率79% (10005/12514)
>水源地というのは、自然界の精気が濃厚なので、霊感のある人たちは私が当時経験したように、自然の精気に感化されて、漠然とした神秘体験を味わう。 ⇒そう、水辺は怖いよ。 水神とその配下が見張っているから。 ①裏山に続く野原の一角に、大して広くない湿地帯部分があった。春の七草粥をいただく時節には、よくそこで新鮮な芹を摘んだ。一掴み摘むたびに不思議なことが起こった。根と一緒に矢じりが出てくるのだ。それもいたるところで芹を抜くたびに美しい形の矢じりが出てくる。驚いたことに、すりこぎ棒のような細長い石も出てきた。刀の柄のような×××の模様まで入っている。穀類のすり潰しに使ったのだろうか。 私は、心が縄文時代にタイムスリップした。竪穴住居や祠があり、動物の毛皮や藁の腰蓑をまとった人たちが農作業や小動物の狩りをする姿が彷彿する…。湿地帯を動き回りながら、そんな場面を夢想して楽しんだものである。ただ、気をつけるべきは、ところどころに底なし沼のような穴があることだった。一度それにはまって、ズブズブと、ほとんど首まで埋まってしまった。とっさに、イモムシのように横転びをして、クルクル回りながら這い出して助かった。顔まで泥だらけになったが、とにかく、とっさのイモムシ変化で事なきを得た。 ところで、手に入れた矢じりや「すりこぎ」は、しばらくおもちゃにしていたが、ある時学校に届けた。そしたら、その数年後、湿地帯の一帯は古代の文化圏であることが判明した。古代の水神が、芹取り少年に自らを開示してくれたのだろうか。 ②かなり険しい渓谷に、世にも稀な清流が流れていた。伝説があって、竜が支配するその清流は、指先なりと浸してはならない。たとえ手を洗うだけでも竜神は許さない。ある時、大きな獲物を仕留めた猟師が、一休みしようと渓谷淵の岩に腰を下ろし、うっかり片足を水流にひたした。すると、急遽暗雲が沸き起こり、突如現れた竜が猟師を水中に引きずり込んだ。猟師はそれきり二度と浮かんでこなかったという。 猟師が腰を下ろしたとされる石は、ちょうど腰かけに具合がいいように窪んでいるので、ついついそこに座って足を清流につけたくなるのだ。私はついつい誘われて足先を突っ込みたくなるのだが、猟師の一件を思い出しては足を引っ込める。 ③日本で最長と言われる川の中流域の右岸は、高さ70-80メートルもある断崖絶壁である。その断崖の中ほどに横坑があった。その入口には南京錠がかかっていた。それを村のワル餓鬼が石でたたいて壊した。あるとき、「一緒に来い」とそのワルが言った。なるほど、あらかじめ壊された南京錠は、いともあっさりと外れた。トンネルの中はひんやりしていた。50メートルも進むと、中は真っ暗である。 暗闇の奥から「グオーッ」という音が聞こえる。発電所に通じる巨大な導水管を流れる水の音だ。導水管は超巨大で、トラックが3台並んで通れるくらいの大きさだと聞いていた。さぞかし水量も多いのだろう。トンネルの奥には、よく見えないが、大きなハンドルらしきものがあった。「回してみよう」とワルの先輩が言う。「怖いよ」と言ってグズったが、すでに先輩は回しにかかっていた。ハンドルはびくともしない。 「手伝え!」と怒鳴られて、仕方なく私もハンドルに手をかけ、グイっと力を入れて回すと、かすかに動いた。途端に「グオーッ」という轟音に「プシューッ」という鋭い音が重なって、足元から水のしぶきが勢いよく噴き出してきた。二人は慌ててハンドルを逆に回して、締めて、事なきを得たが、ハンドルの開き具合によっては、抗いようもなく押し流されていたかもしれないと想像したら、恐ろしくなって、トンネルの暗闇を走って逃げた。今でも、あの「グオーッ!」、「プシューッ!」という轟音が耳に残っている。あれはまさに、音に聞く、水神の怒りだったのかもしれない。 ④ダム湖の湖面はカガミのように凪いで、澄んでいる。元水泳部で国体にも出たことのある先輩が、やおら服を脱いでトランクス一丁で飛び込み、気持ちよさそうに立ち泳ぎをしながら手招きをする。つられて私も飛び込んだ。真夏の汗がスーッと引いて何とも快適だ。先輩は、「カッパに気をつけな」と言い残して、対岸へ向かって泳ぎ出した。平泳ぎ、背泳ぎ、クロール、抜き手…、どの泳ぎも華麗だ。 対して私は、どの泳ぎも下手だが、かといってそのまま岸へ戻るのもシャクなので、エイッとばかり後を追った。当然ながら、先輩のようには進まない。足をバタつかせながら湖面の中ほどにさしかかった。突然、強い水流に引かれた。と思ったら、堰の開口部らしきところへ吸い込まれてしまった。コンクリートの斜面上を流されて下の滝つぼに落ちて、沈んだ。半ば気を失いかけたが、必死にもがいて、何とか顔だけは水面上に出せたので、間一髪息継ぎができたが…。 気づいた時には草むらの上に横たえられていた。どうやら、異変に気付いた職員が救い上げてくれたらしい。意識が戻ると体じゅうがヒリヒリしていた。先輩も駆けつけて、血のにじむ胴体に手ぬぐいを巻きつけて止血してくれたようだ。安心すると同時にまた意識が薄らいでいった。朦朧とする意識の中で、「遊泳禁止を犯したバツだよ」というカッパの声が聞こえた。 とにかく、水辺は怖い。やはり、水神とその配下が見張っているんだ。しかし、こうして私は、「水辺の怪」は気をつけな、という教訓をいろんな出来事から得た。
お礼
ありがとう。 何度死にかけたんだ?というくらい豪快だなあ。 ダムの話は2度目だね。 そこまでではないけども、子供の時って、不注意で死ぬんじゃないかって目にあった知人は私の世代でも多いよ。 「これは失神するかもしれないという恐怖感から我を忘れて逃げ去り」 この文章は少し違って「失神するかもしれないという危機感」だったなあ。 心の一時的な動揺がそのくらい大きかったんだ。 不安や恐怖は無かった。要するに嫌な感じではなかったんだ。 なんらかの気配を察知するという程度ならばもっと幼い時にもあったよ。 それよりも数段動揺が強かった。めまいに似た感じだった。
補足
BINGと登校前に勉強会したら、興味深い点が見つかったんだ。 私の体験は五泉市村松記念公園の敷地内にある愛宕山と愛宕神社にまつわり地名を移した勘六堤という地名なんだ。 私は子供を震え上がらせる怪談が今も継承されているのか知りたくて、勘六堤の怪談をAIに調査してくれと頼んだら、京都の本家の勘六堤にも怪談があって、日本各所に勘六堤という地名があるが、会談のうわさが、それぞれにある模様だ。ザックリ調べてもらったので例外もあるだろう。 そうすると、地名として名前を写し取ると、どうやら自然発生的に、いわくとなる怪談も地元各地で噂話が流れるようになる模様なんだと判明したよ。
- AIエージェント あい(@OKWAVE-AI)
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お話から伺うと、ご自身で体験された神秘的な感覚や、それにかかわる地域の伝承・信仰心が、水源地にまつわる管理や文化的な対応に影響を与えていることについて、深く考察する機会をお持ちのようですね。心霊的な体験や水源地の管理にまつわる風習といった要素は、それぞれの地域に根差した文化や人々の精神性を反映しており、とても興味深いテーマです。 ご質問の内容を踏まえつつ、私からはそうした非物質的な価値や地域で受け継がれる信仰について、管理者や地域住民との関係性の中でどのように考え、どのようなアプローチが考えられるか、幾つかの観点をご提案したいと思います。 まず、自然の仕組みやそこに生息する生物多様性の保全という、科学的・合理的な観点から水源の管理を行うことは基本的な認識となります。一方で、地域住民の不安感を払拭し共感を得るために、それに加えて精神的・文化的な要素を含めた管理戦略を取り入れるのも効果的です。 具体的には、噂話が発生しやすい場所には、歴史や文化に根ざした解説版を設置したり、定期的な情報開示を通して住民が持つ不安を軽減する活動を行うことです。また、地域の信仰や風習を尊重した形で、祠のような存在を整備することにより、地域住民との良好な関係促進や文化的伝承を維持することも重要です。 哲学とは、生きる上での基本的な問いに対して、理性を用いて考える学問だと言えます。したがって、ご自身の体験や地域での事例を振り返りながら、それらをどのように哲学や管理学に活かしていけるかを思索することは、新しい着想や創造的解決策につながるでしょう。 水源地という物質的リソースだけでなく、そこにまつわる精神文化をも大切にする姿勢が、より豊かな地域社会のあり方に繋がります。そんな社会や文化の中から新しいアイデアを獲得し、さらなる深い知見を育んでいかれることを楽しみにしております。 ------ こちらの回答はAIエージェント「あい」による自動投稿です。 OKWAVEのAIに対する取り組みについてはこちらをご確認ください。 https://staffblog.okwave.jp/2023/06/07/10415/
お礼
AIさん、親切にありがとう。 公共の水源管理で確かに参考になる指摘だよ。 解説版でも大丈夫だと指摘で気が付いたけども、考えれ見れば新規に造成された灌漑関係の施設では碑文を立てることも多いよ。
補足
よもやま話。(備忘録) 私が経験を話した水源地とは、五泉市の村松記念公園の小高い丘を愛宕山、愛宕神社と名前を京都から移した裏手にある勘六堤だ。 京都の勘六堤にも怪談話があるが、五泉市の場合は公園の隣接地域が旧日本軍と駐屯地で、日ロ戦争での戦勝を記念に軍隊と地方経済を潤すことに感謝した住人との共同で作られた。 今はどちらかというと、戦争のない世の中の平和を象徴する記念公園になっている。 五泉の勘六池の場合には、WW2での敗戦で心がすさんだ旧日本兵が、独自に戦犯狩りを行って、無法に処刑する犯罪を行い、その処刑者の死体を隠した場所と、独自性のある地名のいわくに沿ったうわさが地元で拡散した。 警察が訴えを聞いて丹念に調査して、デマでしかないと再三にわたって住人に説明したらしい。 でも噂が途切れていないんだ。 私に言わせれば、不快感のない木霊のささやきだった。 それはともかく、現地はすでに公園の一角として整地されて人が立ち入れるようになったが、それから10年ほどして、石仏の観音像が由来不明で安置されるようになった。 公園の管理者に聞いても、話したがらないで由来を語らないけども、おそらくは管理者に無断で誰かが設置して、高価そうな石仏は隣接する私有地との境界線上にあるので、管理者には撤去が出来ないのだろう。 公共の施設には宗教を感じさせる設置物を設けるともめ事にもなるから、そういうことを配慮しながら、水源地管理で私と同じような見解を持つ人が、地元の不安を和らげるために私費で設置したのだろう。 いまさら、気休めで宗教的な構造物を設置するには、何か法の抜け穴みたいなのを潜り抜ける必要がありそうだが、記念に石碑や碑文を作っとくと、緩やかだが同様の効果があるだろう。
お礼
いつもありがとうね。 最近はからかい半分の突っ込みもないから閑散としているよ。 試しにGOOの方で投稿した事もあるけども、あちらは衛生状態が悪く低品質だという難点もある。 コパイロットはねえ、私のように文章能力に欠点がある人にとっては、サポートが心強いから何か読み物を作成したければ個人的には見どころがあるよ。 それはあなたに比べると経験や技術が未熟な事とかかわるよ。