妖精さんの物語「序章」
序章。
私は多感な中学校2年生の時に部活動で基礎体力を作る郊外の走り込みで、広い敷地の公園を走った時に、公園の区画として未整備な原野で突然立ち止まった。
そして得も言われぬ好奇心で、未整備区画の原野に足を踏み入れた。。。
足元に湿原が広がるその原野で、正体がわからない強い精神の動揺を感じて、これは失神するかもしれないという恐怖感から我を忘れて逃げ去り、走り込みをしていた道路にたどり着いた。
その動揺は何だったのだろう?
しばし子供の私には理解できない日が続いた。
おとなになってから、似たような経験を繰り返したこともあり、当時の経験が何だったのか理解できた。
公園の未整備の原野は、農耕用の貯水池に隣接して、貯水池から水があふれたので湿地になっていた。
日本では水源地の管理には、管理者を困らせる噂が発生しやすい。
水源地というのは、自然界の精気が濃厚なので、霊感のある人たちは私が当時経験したように、自然の精気に感化されて、漠然とした神秘体験を味わう。
なぜそれが管理者を困惑させる噂になるかというと、「死体が埋まっている」「幽霊が出る」とかの噂になりやすいからだ。
実際にその貯水池には「死体が埋まっている」といううわさが数十年にわたって語り継がれ、地元の子供たちを怖がらせていた。
私が中学生の時に経験した漠然とした心の動揺はとは、木霊の精霊が私に話しかけてきた声だったのだ。
はいはい。ここまでは自分の個人的な体験を文学にした内容。
その他にこの質問掲示板で公的な水源地の管理者が、水源地によくわからない祠のようなのがあるが、公共の場なので撤去したほうがいいのではないかと質問したことがある。
その時も、私のこの経験を持ち出して丹念な回答をして、水源地というのはそこらに転がっている丁度いい岩にしめ縄をまくとか、よくわからんけども祠みたいなのを置くとかしないと、近隣の住人が不安感から噂話を始めるもので、むしろそういう気休めを積極的に行って不安を取り除くのは、水源の管理手法で巧妙な事だと説明した。
今回はそういう話題で、哲学の暇人が新着入荷として寄ってたかってこねくり回す学問の研究会が意図です。
話し合いたいというよりも、私も助言から新着入荷の新しい着想を獲得して、またしても黙々と自分で考えたいだけです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 参考になりました。