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正しい正しくないってどうやって判断するの?
私は正否や善悪の判断がうまくできないときがしばしばあります。 ネット、TV、道徳の授業…で人権問題や社会問題、時事ネタなどの 記事を見たり、話を聞いているときに『それは違くない?』とどうしても理解ができないときがあります。 母と話をしているときや、説教をされているときも、 母の理屈に全く共感できない時があり、母の考えに従っていいのか?と 何が正しくて何が正しくないのかよく分からなくなります。 自分が間違ってるのかと思い調べてみたら、やはり世間の意見とはズレていたり真逆であったりしていて…『自分ってもしかしたら非常識な人間なのか』『人として出来ていないのか』と不安になります。 このように、何が正しいのか分からなくなったときはどうすればよいのでしょう。どうしてこのような事が起きるのでしょうか。 抽象的な質問かもしれませんが、皆様の考え方や対処法を知りたいです。 記憶力が無いもので『具体的にどんなときにそう思ったの?』と聞かれると上手く説明できないのですが質問に答えてくださると嬉しいです。
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以下のとおりお答えします。 >私は正否や善悪の判断がうまくできないときがしばしばあります。 ネット、TV、道徳の授業…で人権問題や社会問題、時事ネタなどの 記事を見たり、話を聞いているときに『それは違くない?』とどうしても理解ができないときがあります。 ⇒同感です。私など、しょっちゅうテレビにけんかを売ってます。「それ、違うだろ!」などと画面に向かって怒鳴ってしまいます。正否・善悪の判断に絶対というのがない限り、見解の相違は不可避的に起こりますね。 >母と話をしているときや、説教をされているときも、母の理屈に全く共感できない時があり、母の考えに従っていいのか?と 何が正しくて何が正しくないのかよく分からなくなります。 ⇒説教の理屈に共感できないこともよくありますね。これもごく自然なことでしょう。人間、複数寄ったら対立する、とも言われます。しかし、それだからといって、上述のとおり正否・善悪(およびその理由づけ)の判断に絶対はなく、すべて相対的なものですから、お母さんに反論したところで、逆に相手から見ると、あなたの主張も屁理屈に聞こえる可能性がなくはないことを意識に留めておきましょう。 >自分が間違ってるのかと思い調べてみたら、やはり世間の意見とはズレていたり真逆であったりしていて…『自分ってもしかしたら非常識な人間なのか』『人として出来ていないのか』と不安になります。 ⇒むしろ健全な精神の働きだと思います。この種の問題は、普遍的な正解というものがないようです。仮に、限りなく正解に近いことが言えても、それは必ず「条件付き」となりますね。ということは、このような正否・善悪問題は、結論を詮索することより、「考えることに意義がある」と言えるのではないでしょうか。そのような、いわば難問を哲学するfossamagnaさんは、それだけで立派だと思います。 >何が正しいのか分からなくなったときはどうすればよいのでしょう。どうしてこのような事が起きるのでしょうか。 ⇒少なくとも、相手が「そう思った」、相手の眼には「そう見えている」ということは事実ですよね。ですから、最小限その点は認めましょう。反応としては、「そうですか、そう思われますか」くらいに止めておいて、あとは心の中で弁証法的議論でも燃やしましょう。でないと、意見交換のつもりが、無駄な空気の振動に終わったり、単なる我の張り合いになってしまって空しい思いをするのが関の山ということにもなりかねませんからね。 さて、一般論です。 正義とは何か。残念ながら、「正義」とされることに普遍性はありません。ただ、時・場所・目的が決まってはじめて、その範囲内でのみ適用される「準正義」が決められるだけです。歴史を見ても、三位一体を主張するアタナシウス派が正しいと認められたのは、ニケーアの宗教会議の場での結論であって、例えば、仏教の世界とは何の関わりもありませんし、現代の日本ではどうでもいいように思われます。エリザベス女王が、掠奪を良しとして推奨し、ドレーク船長を表彰したのも16世紀後半のイギリスにおいてのみ通用したことでした。結局、古代の哲人トラシュマコスが言ったように、「時の支配者が正義の何たるかを決める」というのが、最も真理に近いと言えるかも知れませんね。
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- 濡れ猫のミコ(@nurenekonomiko)
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a) 何が正しいか、全部知っている人間はおりません。世の中の多数意見が間違っている場合もあります。 b) 何が正しいか分からない時は、ソクラテスの対話のように探求するより無いでしょう。それで半日議論しても、結論が出ないこともあります。結局、人間には知り得ない、となり、それが無知の知です。何でも分かっている振りをするより、自身の無知を自覚するほうが優るのです。 c) 自身の無知を自覚することから、全知全能の神を敬う心も生まれます。無知の知から信仰心が生まれる訳です。逆に言えば、信仰心の無い人は、無知の知を自覚できていないことになるでしょう。
お礼
- eroero4649
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>記憶力が無いもので『具体的にどんなときにそう思ったの?』と聞かれると上手く説明できないのですが いちいちあまり覚えてないってことは、事象や事実を積み上げて推理していくということが苦手なタイプなのでしょう。 どちらかというと「その場のノリと気分でどっちが正しいか決める」タイプじゃないかなと思いました。上司などにいるとたまったもんじゃないですが、宗教団体などに洗脳されることはないでしょう。洗脳しても、明日には解けちゃうから・笑。
お礼
ご回答ありがとうございます 「その場のノリと気分でどっちが正しいか決める」 というのは正直私には当てはまらない気がします。 自分はかなり慎重な方だと思っています。 いつも周りの目とか先の事ばかり考えてしまう杞憂人間なので、 物事をノリや気分で決めれるほど楽観的ではないです、、、
合理性を軸に考えるとどうでしょうか?例えば,人権を守る必要があるといっても具体的な根拠がないので納得できないのは当然です.倫理感などは社会や時代によっても変化しますし,合理的に考えれば正しくないのに,風潮として正しいとされているといったような慣習もあるでしょう.
お礼
ご回答ありがとうございます! 合理性は大事ですね。意識してみます。
- stsn(@soichi2201)
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物事の善悪が判断できない人は世の中に多くいます。 いわゆる【発達障害】です。 ひどい人だと人の命を奪っても何も思わない人もいます。 一度精神科を受信してみるのもよいのではないでしょうか。 >自分が間違ってるのかと思い調べてみたら、やはり世間の意見とはズレていたり真逆であったりしていて…『自分ってもしかしたら非常識な人間なのか』『人として出来ていないのか』 そのように調べて知識としていれるのは大事だと思いますよ。 ただ身についてなければ意味がないですが。
お礼
ご回答ありがとうございます。 なるほど。発達障害ですか。 今まで何度か調べたことがあって、 自分に当てはまる症状は特にないと思っていたのですが 精神科を受診するのが最適でしょうか。
お礼