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儒学者ってどんな本を読んで学習していましたか?

論語や孟子を読んでいたんですか? 歴史は学んだりしていましたか? 何故いつの間にか消えてしまったんですか? 当時は中国に憧れていた人が多いのでしょうか? すみません、何方かお詳しい方お教え下さい!

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  • Reynella
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回答No.2

・「何故いつの間にか消えてしまったんですか?」 いつの間にか消えた、というよりは明治政府の政策によって「学問としては」消えました。明治維新そのものが、欧米列強が日本に現れるようになったことを一因として起きています。新たに成立した明治政府は、「近代化」を推進しましたが、それは要するに「欧米の制度や考え方を取り入れる」ことでした。学制制定においても、儒学は公教育の基盤とはされず、西洋の学問や思想が主流となりました。当然、新たに儒学を学ぶ若者は殆どいなくなり、学問としての儒学が終わりました。 ・「中国に憧れていた人が多いのでしょうか?」 憧れていた、というレベルではないですね。遣唐使の派遣から、江戸時代が終わるまで読書階級(主として武士、それに僧侶、神官など)の必須教養は中国の古典でした。儒学者だけではなく、例えば江戸時代の藩校では四書である「論語」「孟子」「大学」「中庸」を教えるところが多かったし、中国の詩である「漢詩」は武士のたしなみでした。 ・儒学者の必読書といえば、四書の他、「易経」「荀子」「孟子章句(孟子の注釈書)」、その他の注釈書などもありました。江戸時代は朱子学が幕府公認の官学でしたので、当然、朱子学者の著作も読んでいました。江戸時代に編まれた多くの歴史書の編纂には多くの儒学者が関わっていたので、儒学者も当然歴史を学んだでしょう。

その他の回答 (1)

  • nzl42379
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回答No.1

消えてしまったというと明治時代じゃないでしょうか? 黒船襲来のインパクトがあまりに大きく、西洋に土下座してしまった。 それでも当初は西洋から学び日本国の糧とすると言う気持ちが強かったと思いますが、敗戦によりそのような気概もなくなり、完全に資本主義に取り込まれたので「すぐに利益に直結しないこと」あるいは「キリスト教でないもの」あるいは「西洋のものでないもの」はまなばなくなったのです。特に西洋のものでないものを学ばないと言う意思は強く、たとえば医者なんかでも漢方の知識が皆無な人がたくさんいます。東洋医学の方が西洋医学よりも歴史長いんですけどね。採用っていうのはルネッサンスまで止まっていた社会ですから…

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