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現代社会において儒学は必要性ありますか?
江戸時代の事を調べているうちに儒学者を知り数日前から調べています。 現代では儒学(論語や孟子)は必要性、有用性はありますか? 使えるかな?と思い読んでますが、 漢字ばかりで読みづらくてうとうとしてきます。書き下しでも現代語訳でもです。 中国古典の表現が大雑把なのか言ってる意味がわからないです。
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>現代社会において儒学は必要性ありますか? ⇒現代社会においては、儒学がなくても生きていけると思います。しかし、歴史を知るという意味では必要性があると言えるかも知れません。日本に限って見れば、儒学もさることながら、江戸時代以降の朱子学からかなりの影響を受けました。 ある哲人はこう言いました。我々は「未来を想うがゆえに過去という倉庫を探る」と。その精神は、「温故知新」という言葉の意味と通底するかも知れません。
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- eroero4649
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>学問は虚学→つまり覚えても役に立たないという事ですよね? あのね、そういうのを「浅学」とか「一知半解」っていうのです。 武道を鍛錬する人は、世界中の人を殴りつけて従えるためにやっているわけではありません。武道を通じて自己を鍛錬して道を究めることを目的としてやってるわけです。 「覚えても役に立たないなら学問をやる意味がない」というのは「ケンカに勝てないなら武道をやる意味がない」といってるのと同じなのです。そういう人もいるだろうけれど、それを公言していたら「僕ってアホです」っていってまわっているようなものです。 学問は、知性の分野で自己の鍛錬をし、真理を究めていこうというものですよ。だから究極の学問は、役に立たないものでしょうね。例えば「はるか遠くの外宇宙の星のことを調べる」なんて、何の役にも立たないですね。ただ、我々の知的好奇心が満たされるだけです。でもそれこそが真の学問です。「金儲けをするための数式を考える」ってのは、それは役に立つかもしれませんが、学問としては穢れていますね。 論語は「自らに教養を与えるもの」です。「学ぶとは、つまりなんぞや」というような問いかけをしたときに読むものです。東洋哲学ですからね。哲学は結局のところ具体的な何かの役に立つものではないですから。
- eroero4649
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有用性はあっても、必要性はないでしょうね。実際、現代社会に生きる我々の9割以上は論語なんて一度も読んだことがないと思いますが、それでも社会は普通に回っています。 「論語を知るのとスマホの使い方を知るのとどっちが必要性が高いか」といわれりゃ、そりゃ間違いなくスマホです。 論語に精通してるのと、Excelに精通しているののどっちが就職に有利かというと、そりゃ間違いなくExcelです。 論語は「教養」として知るものであり、教養というのは使えるとか使えないという基準で身につけるものではありません。「役に立つならやるが、役に立たないならやらない」なら、それは学問ではなく商売です。学問というのは本来、役に立たないものですから。
補足
そうでしたか。学問は虚学→つまり覚えても役に立たないという事ですよね?