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遣隋使の国書の表現とその背景
- 遣隋使小野妹子が持参した国書の書き出しが問題視されている。
- 隋の皇帝煬帝はこの内容に不快感を示し、対等な立場の外交文書として不適切との意見がある。
- 日本側の意図や外交の理解度が問われる中、明確な結論は得られていない。
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>教えてほしいのですが、この書き出しには日本側に何か意図があったのでしょうか??? 国書の日本側の真意は、記録に無いので諸説あります。 ただ、その国書を渡す前に日本の使者が言ったとされる言葉を意訳すると >海を渡った西に菩薩の様な天子が居て、仏教を再度復興させようとしている。 >だから数十人の修行僧に、仏教を勉強させる為、渡海した。 注1) 隋の皇帝(煬帝およびその先帝[文帝])は、一度廃仏政策を行った中国を再度仏教保護に政策転換させていた。 注2)後の国書の書き出しが仏教用語だと気付いてほしくてダメ押ししている? なお、「日出づる処~」部分は仏教経典に出典が有る言葉で、日本側としては仏教由来の言葉をサラッと自然に使いこなせる文明国である事をアピールしたかったのかも知れません。 (あと、中国の政策が仏教擁護に政策転換した事を知っている位、世情に詳しいですよとのアピール) ただ、中国側としては邪馬台国の卑弥呼に「親魏倭王」の地位を与えた様に、日本は同格の天子(皇帝)ではないとの認識であり、この部分に怒ったとされています。 (この時の中国の返書は、小野妹子が途中で無くしたと主張[妹子の罪は流刑が相当とされたが恩赦が出ました]し、内容が不明です。←あまりにも厳しい叱責内容が書かれていて日本側に読ませるわけには行かなかったとの説も…。)
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- gunsin
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数多の日本の歴史学者がしている様に、厩戸皇子は大意は無く、 単に地理上の位置から書いた物で外交の礼儀を弁えなかった無知 から来ているとしてます。 隋の皇帝煬帝も無知からだから、教育を施さなければならないと、 大国の懐の深さを示して遣隋使を受け入れたとも。 受け入れてくれたお陰で日本の文化や感性が育ったのです。 隋や唐の王朝は懐が深く、東アジアのリーダー的存在で尊敬 される国だったのですが、中華人民共和国には面影が無いですね。
お礼
ありがとうございました。 厩戸皇子は大意は無く、 単に地理上の位置から書いた物で外交の礼儀を弁えなかった無知 から来ているとしてます。……本当に「無知」から来たものでしょうか???事実は分かりませんが、聖徳太子のイメージとも、17条の憲法の精神とも何か矛盾を感じます。 隋の皇帝煬帝も無知からだから、教育を施さなければならないと、 大国の懐の深さを示して遣隋使を受け入れたとも。……「朝貢外交」という中国のプライドからすると分かるような気もしますし、中国が抱えてきた歴史からすると「まさかそんなこと」という気もします。中国のこれまでは、「おおようさ」というのは身を亡ぼす歴史だったのではないかという気がしています。 受け入れてくれたお陰で日本の文化や感性が育ったのです。……日本の文化が中国の影響を大きく受けていることは否定しませんが、「受け入れてくれたお陰で日本の文化や感性が育ったのです。」というのは、私は違うような気がします。日本の風土に根差した日本人の感性が、中国の文化を享受しながら、日本独自の文化を築き上げてきたのだと、私は考えています。 隋や唐の王朝は懐が深く、東アジアのリーダー的存在で尊敬される国だったのですが、中華人民共和国には面影が無いですね。……私は歴史には詳しくないのでよくわかりませんが、「隋や唐の王朝は懐が深く、東アジアのリーダー的存在で尊敬される国だったのです」というのは、「本当にそうなのかなぁ???」という印象を持ちます。むしろ秦の始皇帝から、現在の習皇帝まで、まったく変わっていないという印象も持ちますし、たしかに日本史にも最も大きな影響を与えた国であったかもしれませんが、「東アジアのリーダー的存在で尊敬される国だった」というのも、「そうなのかなぁ???」という疑問があります。「常にリーダーでありたかった国、あろうとした国」というのであれば分かりますが。今でもそうですし。 中華人民共和国には面影が無いですね。……同感の部分があります。一面で感じるのは、「漢字の簡略化」ですね。この私でさえも、「習」って書くのに、今、中国で使われているのは、「羽」みたいな字が使われていますよね。先日テレビのニュース映像で、この文字を見て「なんじゃこれは」という印象を強く持ちました。時代の流れによって、言葉が変わり、文字が変わることは否定しませんが、世界に誇っても良いと思う自分の国の独自の文化を持っているにもかかわらず、特に中国のように4大文明の発祥の地であるにもかかわらず、そのプライド大切にしない国は……と。
お礼
ありがとうございました。 「ただ、その国書を渡す前に日本の使者が言ったとされる言葉を意訳すると >海を渡った西に菩薩の様な天子が居て、仏教を再度復興させようとしている。 >だから数十人の修行僧に、仏教を勉強させる為、渡海した。」……初めて知りましたが、分かるような気がします。 中華思想のプライドからしたら、やはり、「日本は同格の天子(皇帝)ではないとの認識」だったのではないかと、私は考えています。だとすれば、「あまりにも厳しい叱責内容が書かれていて日本側に読ませるわけには行かなかったとの説も」も頷けます。 それにしても、これが事実だとしたら、小野妹子というのは、相当の切れ者だったという気がしてきました。返書を素直に持ち帰って見せれば、「お前、何をやって来たんだ。」となりかねないし、失くしたことにすると、これも「この役立たずが」と叱責されるだろうし、どちらが自身の保身につながるか……妹子にとっては、大きな賭けだったかも……という気がしてきました。