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ジェンダー論について
「女性史という観点」は歴史認識にとってどのような意味がありますか?
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- Nakay702
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以下のとおりお答えします。 >「女性史という観点」は歴史認識にとってどのような意味がありますか? ⇒女性史といえば、その性質上、社会的要請や、男性との関係において見ることが必要になりますね。例えば、ひと昔前の開拓時代までは、最も必要とされたものが「腕力」であり、続いて「機械力」、「知識力」となり、それが最近は「人工知能」や「人間的英知・智慧」へと変わってきました。 日本でその経緯を外観すれば、こんな感じになるでしょう。 ①戦国時代に象徴されるように武力の強さが尊重され、男性の特性たる闘争やマッチョがもてはやされ、相対的に女性性とか優しさなどの、いわゆる「手弱女(たおやめ)」は軽視された。 ②そのため、腕力が物を言う時代が長く続き、その風潮・世相を反映する形で「男尊女卑、女性蔑視」の傾向が社会に定着しているような観があった。 ③しかし、そういう不条理に翻弄され、苦悩しながらも、高い意識を持った平塚らいてう、津田梅子、荻野吟子らが大変な辛酸をなめながらも、奮起し、躍動し、先駆的女性として人々の尊敬を集めるに至った。 ④このような先人の活躍や「差別撤廃運動」などの社会的な運動が相まって、男女共同参画の考え方や事業が進められた結果、今日では男女平等の意識が高まっている。 ということで、現代では、まさに男女平等の本当の意味、男女関係の本来の姿が真摯に問われるようになりました。例えば、平等と言っても、男女がすべてを等しく分けるという意味ではなく、その特性や機能に応じて按分負担することとか、「差別」を撤廃するのであって、本来的・伴性的な違いまで等しくするのが平等の真意ではない等々の問題が論じられ、認識されるようになってきました。そして、「互いに対立しながらも相手を必要とし、相手がいなければ自分も存在できない」間柄として男女の関係を意識するようになってきました。このようにして、男女の真の平等と協力により、人類の社会的共存・共生が実現し、持続することが理念・理想として認識されるようになってきたものと考えられます。
- nagata2017
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女性史は近代になって始まった。 「元始、女性は太陽であった」 平塚らいてう 1911年 雑誌『青鞜』の出発にあたって、創刊号(一九一一・明治四十四年九月発行)に寄せた発刊の辞の題名 「風と共に去りぬ」マーガレットミッチェル 1936年 アメリカ南北戦争の時代 女性に発言権はなかった。何事も決定権は男性のものだった。 1945年 第二次世界大戦 終わる 「戦後強くなったのは 靴下と女」 ナイロンストッキングの登場でこんなことが言われるようになった。 敗戦で魂が抜けたようになった男性に対して 生活を支えていた女性の立場が強くなってきた。 といった感じで 女性史とはわずか100年の歴史もないような気がする。