- ベストアンサー
項羽と劉邦について
項羽と劉邦の話は、日本でも人気がありますが、なぜ劉邦は項羽に勝って中国を治めることができたのですか?劉邦の人間的な魅力によるものですか?
- みんなの回答 (5)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
>劉邦の人間的な魅力によるものですか? そうだと思います、宿場街の宿の主人出身で、青年期は酒と女の日々 の放蕩生活でしたので戦争の仕方知らなかったの、軍師張良の話を 聴く耳を持っていた様です。 項羽は代々楚の国の将軍の名門の家系でした、超エリートに有り がちな、側近の話を聞かないタイプの人間だった様です。 劉邦の降伏していた秦王族を側近の忠告に耳を傾けず、秦王族を 皆殺しして咸陽を焼き払う行為をしたので、人心が離れました。 最期は「四面楚歌」になり劉邦の敗れたのです。
その他の回答 (4)
- nagata2017
- ベストアンサー率33% (7027/20698)
いくつもの偶然の結果に過ぎない。 味もそっけもないけど そんなものです。 後から書かれた書物は 勝てば官軍の装飾されたお話です。
- もこ猫ミクにゃん(@miku-chi)
- ベストアンサー率31% (3135/9945)
人望もありましたが、それよりも後に将軍として働いてくれる幼なじみと有能すぎる軍師らを得たことの方が大きいように思えます。 咸陽に入城した際に宮殿の女性たちや財宝に目がくらんでしまうが、部下たちに諌められて目を覚ますようなことがありましたし。 彼らがいなかったら、ちょっと面倒みのいいオッサンで終わっていたんだと思います。
- 5555www
- ベストアンサー率48% (143/293)
司馬遼太郎の小説「項羽と劉邦」を読んだのは、おそらく40年くらい前だと思いますので、記憶は定かではないのですが、私の思いを一言で表現すれば、「劉邦は中国的であり、項羽はどちらかといえば日本的であった。」という気がします。 劉邦の人間的な魅力によるものですか?……私の記憶違いかもしれませんが、劉邦は項羽に追われて、どうにもならなくなって、逃げる馬車を軽くするために、馬車から自分の子供を捨てて馬車を軽くします。 何故でしょうか???記憶があいまいで、間違っているかもしれませんが、その時、劉邦は、「子供はまたできる」と。 どちらが良いとか悪いとかは、私には判断できませんが、私は、この表現に、現在にまでつながる中国(大陸国)と日本(海洋国)の違いを感じます。 中国というのは、地理的にも、昔から侵略の多かった国です。独裁でなければ国を治められないし、独裁が行き詰まったときに、国が亡びる歴史を繰り返しているような気がします。中国は「いつも戦乱の国」という印象を、私は持っています。 今の中国をニュースなどで見ていても、「強いことが国を治める資格になりうるのが中国」という気がします。強いことが「NO1」でなければならないのです。
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11205/34807)
一言でいえば「器の大きさの違い」でしょうね。項羽は優れた武将でしたが、人の上に立てる器量はなかったのです。劉邦は武将の能力としては劣っていましたが、政治家として優れていたということだったのでしょうね。
お礼