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三島由紀夫と美輪明弘の関係。

 マスメディア系の専門学校に通っていた頃にある先生から聞いた話で「美輪明弘のせいで、三島由紀夫がおかしくなった」と言っていましたが、それは本当なんでしょうか?。  どうして、美輪明弘氏と三島由紀夫氏が繋がり、立てこもり事件に繋がったのかを知りたいです。

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  • ベストアンサー
  • guramezo
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回答No.1

三島由紀夫は、日本の「美」を、「武士道」や「報国」といった観点から捉えるとともに、それらを具現化した「美そのもの」にもこだわっていた様に思います。 それが、「男性的な肉体美」信奉に結びついていると言えますが、裏返して「女性的な美」の否定ともなっていたと思われます。 このことから、「男色」嗜好に入り込み、当時の丸山(と名乗っていました)明弘の魅力に傾注していったのでしょう。 この二人に繋がりは、こういったところだと想像しますが、三島は、美輪明弘のせいで「おかしくなった」訳でも、「立てこもった」訳でもありません。 三島の思想は一貫しており、その最終表現が、「日本の美学=国体を守っていく」ために、自衛隊の決起を呼びかけたのでしょう。 不成功に終わったあとの「切腹」が、その象徴でしたね。

その他の回答 (1)

noname#14405
noname#14405
回答No.2

2人は単なる飲み友達です。 「黒蜥蜴」という映画は三島が美輪のために脚本を書き、美輪が主演、三島も登場してます。結構、仲良しだったようです。 ある先生が言った話というのは 美輪が霊視能力があり、三島の背後霊は二二六事件で死んだ磯部浅一だ、と占って、三島は真に受けて云々という話あたりがマクラかと思われますが、これもまた酒の席の余興のような話で、三島の実際の篭城への影響はないと思われます。 美輪は「私は天草四郎の生まれ変わり」と言ってみたり、いろいろ面白いことを言う人ですが、いちいち真に受けてはいけません。あくまでテレビ的な与太話のようなものです。 「論争ジャーナル」という青年らのグループが三島と楯の会を結びつけるきっかけになった最初だとされています。

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