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女性は男に殴られると男を尊敬するでしょうか?

三島由紀夫だったか、誰だったか忘れましたが、 作家で、「女性は男に殴られると男を尊敬するから、女性を殴らない夫婦は不幸だ。」と書いていた人がいました。 それは本当でしょうか? それとも、そういう事は、小説の中だけの出来事でしょうか? 三島由紀夫が生きて活躍していたころの日本映画では、 男が女の頬を平手で殴って、その結果、二人の仲が良い状態になる という場面がよく見られたと思いますが、 それは、映画や小説だけのことでしょうか?

みんなの回答

  • staranise
  • ベストアンサー率20% (32/159)
回答No.10

こんな質問されるとか正気ですか?(冷笑) 男がそんなくだらない思考をしていたから日本は戦争に負けたんです。 時代に沿った新しい思考回路を身に付けていかないと世界と渡り合えませんよ?

noname#225726
noname#225726
回答No.9

暴力で服従させる事は出来ます。 特に力の強い者がその力を持って弱い物を服従させるのは難しいものではないです。 ただそれは尊敬ではないです。 頭の弱い強者がそのように勘違いするだけです。 力の強いのものに従順に従うのは生きるための生物としての対応でしかないです。 もちろんそれを繰り返すと愛であると勘違いするケースはあるようですが、これはある種の洗脳です。 誘拐犯やカルトなどがよく使う手で暴力を持ってして心さえも支配する卑劣な行為です。

  • tera1999
  • ベストアンサー率24% (245/991)
回答No.8

女と男。身体的、肉体的には、男の方がその力はまさっています。 強者が弱者に対して暴力をふるうのは、最低の行為です。

  • Osric
  • ベストアンサー率17% (280/1580)
回答No.7

昭和20年30年代の映画なら良くありましたが、もう時代が違います。女性は男性に従うべきという戦前の概念が、変わって来て、多分その頃でも女性に手を出すのはまずいことはわかっているし、やったらまずいという気持ちの裏返しで、映画でそういうシーンを見て、喝采していたのでしょう。当時でも、見ている人は映画の中の話と思っていたはずです。 現代では、男女共通用しません。真似しちゃダメですよ。

  • zabusakura
  • ベストアンサー率14% (2381/15944)
回答No.6

軽蔑する、恐怖心を抱く人が圧倒的に多いと思います。尊敬するっていう人は ほぼ、いないと思いますよ。 時代もあったかもしれませんが、本音では尊敬は、してないと思いますよ。 きっと恐怖だったんじゃないでしょうか? 今なら、それを本気にすれば倍返しにされるかもしれませんね。 私なら頭の悪い人だと思います。だって言葉で説明、出来ないなんて・・・。

  • hue2011
  • ベストアンサー率38% (2801/7250)
回答No.5

うそです。 三島由紀夫というのは形を作ることが好きでしたから、そういったのかもしれない。 だけど本当に言ったのだとすればとんでもないバカ野郎ですね。 たいがい殴られたらDVだと言って危険視するだけです。まともな女性ならそれに軽蔑が付け加えられます。こいつは知性がないんだと判断しますから。 そんなのは議論しないで実際にやってみたらわかりますよ。 直後に殺されるかもしれませんけどね。

  • bekky1
  • ベストアンサー率31% (2252/7257)
回答No.4

【三島由紀夫が生きて活躍していたころの日本映画では、 男が女の頬を平手で殴って、その結果、二人の仲が良い状態になる という場面がよく見られたと思いますが、 それは、映画や小説だけのことでしょうか?】 三島由紀夫にこだわっておられるので、申し上げますが、私は、彼が丁度、市ヶ谷でアレコレやっているときに、たまたまヘリのうるさいその門前にいました。 翌日の朝日新聞がアレ。 映画でもよくありますね、なんだか女性がアレコレ言って、男性がパシって平手打ち。 この頃より、後だと思うのですけど、巨人の星でも、ちゃぶ台返しがありました。 少なとも、男性の家庭内における女性に対する暴力的行為が容認というより、 常套手段としてあったという認識での表現が受け入れられていました。 で、我が家は、父が母をそれこそ毎晩のように怒鳴り、ちゃぶ台返しします。 おかずが気に入らない、口答えする・・・と、アルコールが入るとそうです。 当時はコンビニもないので、準備が悪い?いつものアレと言われても、すぐにないものが揃わないのです、で、気に入らないと殴るとかね。 私としてはどこのうちでもそうなのかと思って育ちました。 でも違うんですね。 家庭内文化が違うとわかったのは、自分が家庭をもって、子供を育て、 他家の家庭の常識的日常を観ると、いかに家庭内文化、作法?というのが スタンダードのようでかなり変質しているということが判る。 特に子育て期間に垣間見る家庭の有り様がわかります。 なので、箸の上げ下げと言いますが、まさに平手の上げ下げもそうです。 試しに、あなたが今、女性を平手打ちしてみれば判ることです。 今も、文化の違いでそういうものだと受け入れるというより、共依存になる女性と、 そうではないパターンとあるなとわかりますから。 まさに、縄文人とか弥生人の違い?というほどに脈々とね。 【それは、映画や小説だけのことでしょうか? 】 当時は、それが表に出来た文化です。 今も表にできない文化・習慣としてあります。 そういうパターンとしての男女?家庭内文化?習慣?習性?としてあるという意味合いです。 もちろん、喜ぶ女性はいないでしょう。 ただ、それを女性が’愛’だと勘違いできる能力のあるなしと、 男性側の横暴?とは自認することなく、他責オンリーの行動(お前=女が悪い!)で 収まると、あなたの言われるような叩いて、ごめんなさいで、愛が深まるという SMみたいな落ちになるわけです。

  • ryokagura
  • ベストアンサー率10% (30/295)
回答No.3

比喩ではないですか。 要するにやさしいだけでなく厳しい部分があれば尊敬されると。 本当に殴ったら犯罪だし、だいたい弱者のやることです。

回答No.2

明治時代、女性の社会的地位が低かった時代はそうだったかもしれない。 でも現在はそれは昔の映画や小説の中だけのお話だね。 いまそんなことを言おうものなら、世間からのバッシングが酷いことになるのは必至だね。 ※殴られて尊敬するって、どんだけドMな人なのかと。

  • nayamiok
  • ベストアンサー率27% (17/62)
回答No.1

昔の小説のような時代に 男が女を殴るには理由があると思います。 三島由紀夫の時代は、戦争の頃。 女々しい男は罵倒され、先生や親からも殴られて当然の時代。 そんな時、どういった気持ちで男性は女性を殴るに至るのでしょうか? 今の時代に闇雲に殴ったところでそれはDVでしかないでしょう。 時代背景というものがいろいろあると思います。 それを今の時代に比較して、鵜呑みにしないことです。