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読書して考えると疲れます。
主に古典を読むのですが、考えるという事をするとすぐにドッと疲れが出て、ぐったりします。漢詩も無理でした。 日本の源氏物語や宇治拾遺物語等は感動したり笑ったりしながら楽しくなりますが、中国古典だと頭をかきながら読んでてぐったりとしてしまいます。 何故でしょうか?
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>日本の源氏物語や宇治拾遺物語等は感動したり笑ったりしながら楽しくなりますが、中国古典だと頭をかきながら読んでてぐったりとしてしまいます。 何故でしょうか? ⇒そうですね、分かります。なぜそういうことになるか。理由を考えてみましょう。 中国古典と日本古典では、 ①時間の古さが違う(中国古典の方が少なくとも数百年古い)。 ②中国は地理的距離が離れるので、それに応じて予備知識が少なくなる。 ③外国語と母国語の違いがある。たとえ翻訳で読むとしても、ワンクッションあることによって、それだけ原語(原義)の理解から遠ざかる。―― 以上①~③から派生する負の要素は、おもに「状況依存度」の違いが生じることです。つまり、なじみがどの程度あるかによって、予備知識量の多少が生じ、意味を考える上で有利・不利の差が起こります。ということは、解釈上、中国古典は(日本古典より)相対的に大きなハンディキャップを我々読者に負わせることになるわけです。 一般に、他人が話し合っている会話は分かりにくいものですが、それは、彼らが共通に持つ経験や背景を自分は知らないことに起因します。「じゃ、あの件はそれで行こう」などと聞いても、「あの件」や「それ」が何のことか分かりませんよね。同じように、中国古典を読むときは、日本古典を読むときよりも依存できることが少ないので、それを推測で補わなければなりません。つまり、その分多く疲れることになる…ということだと考えます。状況依存度の違いがすべてとは申しませんが、かなり大きな要因であることは間違いないと思います。