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ビスマルクの演説は・・・
こんにちは(^-^) 明治時代に岩倉具視などの使節団がビスマルクの演説を聞いて感動したと聞きましたが、言語も違うのにビスマルクの演説をどうやって聞いたのでしょうか?ドイツ語を話せる人がいたのでしょうか? 宜しくお願いします。
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1858年の五カ国条約により、日本は調印日より5年間だけオランダ語を外交文書に使用出来るが、それ以後は相手国の言語で交渉することが義務づけられました。そこで1860年に幕府はオランダ通辞たちにドイツ語研究を命じ、辞書の編纂なども開始されています。独日辞典の完成はほかの言語よりも遅れたそうですが、これはオランダ語とドイツ語が近い関係にあるので、あまり辞書の需要がなかったことも原因とされています。オランダ語の素養がある人には、英語以上にドイツ語は簡単だったのでしょう。 1871年の岩倉使節団には近藤昌綱というドイツ語の専門家が文部省から参加していて、ドイツの教育制度の研究を行っています。
お礼
遅くなって申し訳有りません。(><) 有り難うございました(^-^)v