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お答えいただけましたら幸いです。

「Aと Bと Cと Dはいつどんな場合(とき)も意味やその他すべて全くもって同じでしょうか?」 (など)のように書いたり言う場合、 「いつどんな場合(とき)も」は「全くもって同じでしょうか?」 にかかる(かかっているでしょうか)? また、「意味やその他すべて」が「全くもって同じでしょうか?」の主語になるでしょうか(なっているでしょうか)?

質問者が選んだベストアンサー

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  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10005/12514)
回答No.5

質問者からの補足にお答えします。 >「あまねく人々はすべて、本人だけでなく他人もいる、すべての場所やすべての状況、すべての空間(など)で、その他人を、どんな風にであれ、ほとんど見ていないのが常である。あるいは、それに加えて、ほとんど見えてもいないのが常である、と○○さんはお考えになりますか。」 (など)のように書いたり、言う場合、 「常に」の位置を文章の先頭である「あまねく人々」にひとつ置く(「常に、」というような)だけで、上の元の文章と意味やその他すべては全くもって同じでしょうか(すべて文章全体で見たときも含む)? ⇒少々不格好な形になりますが、文としてはだいたい同じような意味を表せるでしょう。 こんな文になりますかね。「あまねく人々はすべて常に、本人だけでなく他人もいる、すべての場所やすべての状況、すべての空間(など)で、その他人を、どんな風にであれ、ほとんど見ていない。あるいは、それに加えて、ほとんど見えてもいない、と○○さんはお考えになりますか。」 >また、「いつどんな場合(も)」は 「常に」と同じく、副詞でしょうか? ⇒はい、どちらも副詞の働きをする語句です。

shinleo1918
質問者

お礼

補足ですが、一つ目のお尋ねだけにお答えいただければ十分です。 よろしくお願いいたします。

shinleo1918
質問者

補足

お答えいただきありがとうございます。 ちなみに(すべて、今までの、すべての、質問などや、すべての、お答えなど、を踏まえていただいた(いただいている)うえでお答え願います)、 「常に」の位置ですが、 「あまねく人々はすべて常に、」は 「常に、あまねく人々はすべて」と どちらも文章全体で見たときも含め意味は変わらないが、前者の方が総合的によいでしょうか? また(上のお答えをすべて踏まえていただいた(いただいている)うえでお答え願います)、 「常に」の位置がどうであれ、 「見ていない。」と「見えてもいない、」のそれぞれの末尾の形は ①「見ていない。」「見えてもいない、」 ②「見ていないものだ。」「見えてもいないものだ、」 ③「見ていない、」「見えてもいない。」 ④「見ていないものだ、」「見えてもいないものだ。」 ⑤「見ていない、」「見えてもいない、」 ⑥「見ていないものだ、」「見えてもいないものだ、」 ⑦「見ていない。」「見えてもいない。」 ⑧「見ていないものだ。」「見えてもいないものだ。」 のどれがよいでしょうか? さらにまた(上のお答えをすべて踏まえていただいた(いただいている)うえでお答え願います)、 どれでも意味(すべて、文章全体で見たときも含む)はいつどんな場合(とき)も変わらない(変わっていない)でしょうか?

その他の回答 (4)

  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10005/12514)
回答No.4

質問者からのお礼(補足の訂正) >最新の質問に対する最新のお答えへの補足(お礼)の訂正をこちらに書き込ませていただきます。 お答えは元のスレに下さればと思っております。 ⇒「元のスレ」とは、ここでよろしいですよね。 以下のとおりお答えします。 >一つ目: 「いつどんな場合(とき)も」や「常に」といった類いの表現で最も包括的な表現はありますか? ⇒ないと思います。 >二つ目: 以前、 「他人を、どんな風にであれ、ほとんど見ていないのが常だ。あるいは、それに加えて、ほとんど見えてもいないのが常である、と○○さんはお考えになりますか。」 (など)というような表現があるとのこでしたが、 「他人を、いつどんな場合(とき)も、どんな風にであれ、ほとんど見ていない。あるいは、それに加えて、いつどんな場合(とき)も、ほとんど見えてもいないものである、と○○さんはお考えになりますか。」 や もし上の質問に対する表現(最も包括的な表現)がある場合、その表現を「常に」と入れ換えた場合とでは、 どれが様々な面で最もよいでしょうか? また、その理由を教えていただけましたら幸いです。 ⇒「一つ目」でお答えしたとおりです。「いつどんな場合(とき)も」に代えられる表現は思い当たりません。 >三つ目: 今までの、すべての、質問などに対する、すべての、お答えなどは、各々それ以前(直前)の、すべての、質問などに対する、すべての、お答えなどを踏まえていただいた(いただいている)うえでお答えくださった(くださっている)でしょうか? ⇒そのつもりです。

shinleo1918
質問者

お礼

すみませんが、やはり最初の補足の通りすべてお答えいただけましたら幸いです。

shinleo1918
質問者

補足

お答えいただきありがとうございます。 ちなみに(すべて、今までの、すべての、質問などや、すべての、お答えなどを踏まえていただいた(いただいている)うえでお答え願います)、 二つ目の質問ですが、 「あまねく人々はすべて、本人だけでなく他人もいる、すべての場所やすべての状況、すべての空間(など)で、その他人を、どんな風にであれ、ほとんど見ていないのが常である。あるいは、それに加えて、ほとんど見えてもいないのが常である、と○○さんはお考えになりますか。」 (など)のように書いたり、言う場合、 「常に」の位置を文章の先頭である「あまねく人々」にひとつ置く(「常に、」というような)だけで、上の元の文章と意味やその他すべては全くもって同じでしょうか(すべて文章全体で見たときも含む)? また、「いつどんな場合(も)」は 「常に」と同じく、副詞でしょうか?

  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10005/12514)
回答No.3

別スレでのお約束にしたがって、以下のとおりお答えします。 >「AとBとCとDはいつどんな場合(とき)も意味やその他すべて全くもって同じでしょうか?」(など)のように書いたり言う場合、「いつどんな場合(とき)も」は「全くもって同じでしょうか?」にかかる(かかっているでしょうか)? また、「意味やその他すべて」が「全くもって同じでしょうか?」の主語になるでしょうか(なっているでしょうか)? ⇒この文の主語・述語・修飾関係の構造は、以下のように解釈できると思います。 つまり、「Aと Bと Cと Dは」が主題語、「意味やその他すべて」が主語、「同じでしょうか」が述語、「いつどんな場合(とき)も」と「全くもって」はともに副詞的修飾語で、述語「同じでしょうか」にかかると見なすことが可能でしょう。 このような解釈は、一時はやった「象は鼻が長い」論争と共通の問題を孕んでいますね。当時、「象は」が大主語、「鼻が」は小主語と分析した人がいましたが、間もなく国語学者によって否定されました。代って現れた花形が「象は」の主題・提題説でした。この考え方は理詰めで、実用をよく説明できる、と評価されます。 そこで、許されるならお尋ねの文を少しすっきりさせて、「A、B、CおよびDは、意味やその他すべてが、いつどんな場合でもまったく同じでしょうか?」なる文として、これを分析することとしますね。すなわち、「A、B、CおよびDは」が主題語であり、「意味やその他すべてが」が主語、「いつどんな場合でも」の副詞句と「まったく」の副詞がともに用言として述部「同じでしょうか」を修飾している、という分析結果に落ち着くことができます。

shinleo1918
質問者

お礼

補足の訂正です。 お答えいただきありがとうございます。 また、三つほど質問させていただきます(すべて、今までの、すべての質問(など)やすべてのお答えなどを踏まえていただいた(いただいている)うえでお答え願います)。 一つ目: 「いつどんな場合(とき)も」や「常に」といった類いの表現で最も包括的な表現はありますか? 二つ目: 以前、 「他人を、どんな風にであれ、ほとんど見ていないのが常だ。あるいは、それに加えて、ほとんど見えてもいないのが常である、と○○さんはお考えになりますか。」 (など)というような表現があるとのこでしたが、 「他人を、いつどんな場合(とき)も、どんな風にであれ、ほとんど見ていない。あるいは、それに加えて、いつどんな場合(とき)も、ほとんど見えてもいないものである、と○○さんはお考えになりますか。」 や もし上の質問に対する表現(最も包括的な表現)がある場合、その表現を「常に」と入れ換えた場合とでは、 どれが様々な面で最もよいでしょうか? また、その理由を教えていただけましたら幸いです。 三つ目: 今までの、すべての質問などに対するすべてのお答えなどは、各々それ以前(直前)のすべての質問などに対するすべてのお答えなどを踏まえていただいた(いただいている)うえでお答えくださった(くださっている)でしょうか?

shinleo1918
質問者

補足

お答えいただきありがとうございます。 また、二つほど質問させていただきます(すべて、今までの、すべての質問やすべてのお答えなどを踏まえお答え願います)。 一つ目: 「いつどんな場合(とき)も」や「常に」といった類いの表現で最も包括的な表現はありますか? 二つ目: 以前、 「他人を、どんな風にであれ、ほとんど見ていないのが常だ。あるいは、それに加えて、ほとんど見えてもいないのが常である、と○○さんはお考えになりますか。」 (など)というような表現があるとのこでしたが、 「他人を、いつどんな場合(とき)も、どんな風にであれ、ほとんど見ていない。あるいは、それに加えて、いつどんな場合(とき)も、ほとんど見えてもいないものである、と○○さんはお考えになりますか。」 や もし上の質問に対する表現(最も包括的な表現)がある場合、その表現を「常に」と入れ換えた場合とでは、 どれが様々な面で最もよいでしょうか? また、その理由を教えていただけましたら幸いです。

回答No.2

元の文も、少し変えた文も、全体的な意味は一緒ですよ。 元の文を英語に訳すと、 Are A, B, C and D always completely the same in meaning or something? というように訳せると思います。

回答No.1

その文で、 「いつどんな場合(とき)も」は 「全くもって同じでしょうか?」 にかかっていると考えて概ね間違いではないと思います。 より厳密にかかっている(修飾している)範囲を絞り込むと、「全くもって」の部分を除いて「同じでしょうか?」にかかっているのだと思います。「全くもって」もまた、「同じでしょうか?」にかかっていると思います。 主語に関しては、「意味やその他すべて」ではなく、「Aと Bと Cと Dは」が主語だと思います。 ならば「意味やその他すべて」はどういう働きをしているのかというと、「同じでしょうか」にかかる修飾語なのではないかと思います。 もしも、文が少し違って、 「Aと Bと Cと Dの意味はいつどんな場合(とき)も全くもって同じでしょうか?」 だったとしたら、「Aと Bと Cと Dの意味は」もしくは「意味は」が主語になるのだと思います。

shinleo1918
質問者

補足

お答えいただきありがとうございます。 でも、元の文でも、 「意味やその他すべて」は「いつどんな場合(とき)も」「全くもって同じでしょうか?」 という意味であることには変わりはない(変わっていない)でしょうか?

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