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お答えいただけましたら幸いです。
「Aと Bと Cと Dはいつどんな場合(とき)も意味やその他すべて全くもって同じでしょうか?」 (など)のように書いたり言う場合、 「いつどんな場合(とき)も」の主語は 「意味やその他すべて」になるでしょうか?
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質問者からのお礼(補足の訂正)にお答えします。 >「どんな風にであれ、ほとんど見ていない。あるいは、それに加えて、ほとんど見えてもいない、と○○さんはお考えになりますか。」 や 「どんな風にであれ、ほとんど見ていない、あるいは、それに加えて、ほとんど見えてもいない、と○○さんはお考えになりますか。」 (など)のように書く(言う)場合、 すべて(は)、 「どんな風にであれ」は「ほとんど見えてもいない」にかかる(かかっている)でしょうか(全部がいつどんな場合(とき)も)? ⇒はい、そう思います。つまり、「どんな風にであれ」は、「ほとんど見えてもいない」にかかっていると言えます。 なお、この表現をもっとスマートに言うなら、「(人は)どんな風にであれ、(他人を)ほとんど見ていない。さらに言えば、ほとんど見えてもいない(と○○さんはお考えになりますか)。」といったような感じになるでしょうね。
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- Nakay702
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質問者からのお礼(補足の訂正)にお答えします。 >「見ていない。」と「見えてもいない、」のそれぞれの末尾は、 ①「見ていない。」「見えてもいない、」 ②「見ていないものだ。」「見えてもいないものだ、」 ③「見ていない、」「見えてもいない。」 ④「見ていないものだ、」「見えてもいないものだ。」 ⑤「見ていない、」「見えてもいない、」 ⑥「見ていないものだ、」「見えてもいないものだ、」 ⑦「見ていない。」「見えてもいない。」 ⑧「見ていないものだ。」「見えてもいないものだ。」 ⑨上の①から⑧の「見ていない」、「見ていないものだ」のそれぞれに「見てはいない」、「見てはいないものだ」とし、その中のどれか の中だと、①で十分でしょうか? ⇒はい、①で十分だと思います。 (もしかしたら、⑤のほうがより推奨できると言う人がいるかも知れませんが。) >また(上の回答を踏まえていただいた(いただいている)うえでお答え願います)、 ①から⑨の意味(すべて、文章全体で見た場合も含む)やその他すべてはいつどんな場合(とき)も同じでしょうか? ⇒はい。上記のような句読法上の違いが文意に違いをもたらすことはないと思います。 *《https://okwave.jp/qa/q10141147.html》でも同じ回答をしたことがあります。 どちらか1本に絞っていただけますか? あるいは、当初の質問との関連性を勘案して、より近い方でお願いします。(今回文は、むしろ上記質問に関連することですよね?)
お礼
補足の訂正です。 お答えいただきありがとうございます。 あ、別スレで頂いていましたか。 すみませんが、見落としていたかもしれません。 また、一つ質問させていただきます(すべて、今までの、すべての、質問などや、すべての、お答えなどを踏まえていただいた(いただいている)うえでお答え願います)。 「どんな風にであれ、ほとんど見ていない。あるいは、それに加えて、ほとんど見えてもいない、と○○さんはお考えになりますか。」 や 「どんな風にであれ、ほとんど見ていない、あるいは、それに加えて、ほとんど見えてもいない、と○○さんはお考えになりますか。」 (など)のように書く(言う)場合、 すべて(は)、 「どんな風にであれ」は「ほとんど見えてもいない」にかかる(かかっている)でしょうか(全部がいつどんな場合(とき)も)?
補足
お答えいただきありがとうございます。 あ、別スレで頂いていましたか。 すみませんが、見落としていたかもしれません。 また、一つ質問させていただきます(すべて、今までの、すべての、質問などや、すべての、お答えなどを踏まえていただいた(いただいている)うえでお答え願います)。 「どんな風にであれ、ほとんど見ていない。あるいは、それに加えて、ほとんど見えてもいない、と○○さんはお考えになりますか。」 や 「どんな風にであれ、ほとんど見ていない、あるいは、それに加えて、ほとんど見えてもいない、と○○さんはお考えになりますか。」 (など)のように書く(言う)場合、 すべて、「どんな風にであれ」は「ほとんど見えてもいない」にかかる(かかっている)でしょうか(全部、いつどんな場合(とき)も)?
- Nakay702
- ベストアンサー率79% (10005/12514)
質問者からの補足にお答えします。 >「常に」の位置ですが、 「あまねく人々はすべて常に、」は 「常に、あまねく人々はすべて」と どちらも文章全体で見たときも含め意味は変わらないが、前者の方が総合的によいでしょうか?。 ⇒おっと、また、答えるスレを間違えてしまいましたかね? すでにどこかでお答えした覚えがあるのですが、それを以下にも引用しておきますね。 >「常に」の位置ですが、「あまねく人々はすべて常に、」は 「常に、あまねく人々はすべて」と どちらも文章全体で見たときも含め意味は変わらないが、前者の方が総合的によいでしょうか? ⇒実際に全文を書いて比べてみましょう。 ①「あまねく人々はすべて常に、本人だけでなく他人もいる、すべての場所やすべての状況、すべての空間(など)で、その他人を、どんな風にであれ、ほとんど見ていない。あるいは、それに加えて、ほとんど見えてもいない、と○○さんはお考えになりますか。」 と、 ②「常に、あまねく人々は、すべて本人だけでなく他人もいる、すべての場所やすべての状況、すべての空間(など)で、その他人を、どんな風にであれ、ほとんど見ていない。あるいは、それに加えて、ほとんど見えてもいない、と○○さんはお考えになりますか。」 ですね。 確かに、意味は変わっていませんね。 しかし…、総合的にどちらがよいか、となると全く分かりません。この際、主観的に「えいやっ」と、決めさせていただきますが、前者①が49%で、②が51%で、「僅差ながら、後者の勝ち!」とさせていただきます。(^o^!)🚩
お礼
補足の訂正です。 お答えいただきありがとうございます。 どうやら、自分の方には回答は来ていないようです。 とりあえず、また、今回頂いた回答とその元のすべての質問に関連した質問を二つほどさせていただきます(すべて、今までの、すべての、質問などや、すべての、お答えなどを踏まえていただいた(いただいている)うえでお答え願います)。 「見ていない。」と「見えてもいない、」のそれぞれの末尾は、 ①「見ていない。」「見えてもいない、」 ②「見ていないものだ。」「見えてもいないものだ、」 ③「見ていない、」「見えてもいない。」 ④「見ていないものだ、」「見えてもいないものだ。」 ⑤「見ていない、」「見えてもいない、」 ⑥「見ていないものだ、」「見えてもいないものだ、」 ⑦「見ていない。」「見えてもいない。」 ⑧「見ていないものだ。」「見えてもいないものだ。」 ⑨上の①から⑧の「見ていない」、「見ていないものだ」のそれぞれに「見てはいない」、「見てはいないものだ」とし、その中のどれか の中だと、①で十分でしょうか? また(上の回答を踏まえていただいた(いただいている)うえでお答え願います)、 ①から⑨の意味(すべて、文章全体で見た場合も含む)やその他すべてはいつどんな場合(とき)も同じでしょうか?
補足
お答えいただきありがとうございます。 どうやら、自分の方には回答は来ていないようです。 とりあえず、また、今回頂いた回答とその元のすべての質問に関連した質問を二つほどさせていただきます(すべて、今までの、すべての、質問などや、すべての、お答えなどを踏まえていただいた(いただいている)うえでお答え願います)。 ①「見ていない。」「見えてもいない、」 ②「見ていないものだ。」「見えてもいないものだ、」 ③「見ていない、」「見えてもいない。」 ④「見ていないものだ、」「見えてもいないものだ。」 ⑤「見ていない、」「見えてもいない、」 ⑥「見ていないものだ、」「見えてもいないものだ、」 ⑦「見ていない。」「見えてもいない。」 ⑧「見ていないものだ。」「見えてもいないものだ。」 ⑨上の①から⑧の「見ていない」、「見ていないものだ」のそれぞれに「見てはいない」、「見てはいないものだ」とし、その中のどれか の中だと、①で諸々十分でしょうか? また(上の回答を踏まえていただいた(いただいている)うえでお答え願います)、 ①から⑨の意味(すべて、文章全体で見た場合も含む)やその他すべてはいつどんな場合(とき)も同じでしょうか?
- Nakay702
- ベストアンサー率79% (10005/12514)
以下のとおりお答えします。 >「Aと Bと Cと Dはいつどんな場合(とき)も意味やその他すべて全くもって同じでしょうか?」 (など)のように書いたり言う場合、 「いつどんな場合(とき)も」の主語は 「意味やその他すべて」になるでしょうか? ⇒一般的な考え方としては、「Aと Bと Cと Dは」を主語と見て、 「いつどんな場合(とき)も」・「いつどんな場合(とき)も」・「意味やその他すべて」「全くもって」の3つの語句はすべて副詞的修飾語と見なして、いずれも述語「同じでしょうか」にかかる、と解釈することになると思います。 それ以外としては、「Aと Bと Cと Dは」を主題語と考え、「意味やその他すべて」を主語と見なす分析があり得ると思います。shinleo1918さんも、この方法を着想したので、6月2日の質問に至ったのでしょうね。それにお答えすべく、続きはそちらのスレで再会します。 ということで、ここではひとまず、 《「Aと Bと Cと Dは」が主語で、「いつどんな場合(とき)も」・「いつどんな場合(とき)も」・「意味やその他すべて」および「全くもって」はすべて、副詞句として述語「同じでしょうか」を修飾すると解釈する》 をもって、上のお尋ねに対する私の回答とします。
補足
お答えいただきありがとうございます。 すみません、最新のスレ内の最新の質問に対するお答えの補足をこちらに書き込ませていただきます(すべて、今までの、すべての、質問などや、すべての、お答えなど、を踏まえていただいた(いただいている)うえでお答え願います)。 「常に」の位置ですが、 「あまねく人々はすべて常に、」は 「常に、あまねく人々はすべて」と どちらも文章全体で見たときも含め意味は変わらないが、前者の方が総合的によいでしょうか?。
- nagata2017
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それは 形容詞と修飾語です。 主語は「Aと Bと Cと D」です。
お礼
補足の訂正です。 お答えいただきありがとうございます。 ちなみに(すべて、今までの、すべての、質問などや、すべての、お答えなどを踏まえていただいた(いただいている)うえでお答え願います)、 当たり前かもしれませんが、 「どんな風にであれ」は 「ほとんど見えてもいない」の前の 「ほとんど見ていない」にも かかる(かかっている)でしょうか(全部がいつどんな場合(とき)も(すべて、文章全体で見た場合(とき)も含む))?
補足
お答えいただきありがとうございます。 ちなみに(すべて、今までの、すべての、質問などや、すべての、お答えなどを踏まえていただいた(いただいている)うえでお答え願います)、 当たり前かもしれませんが、 「どんな風にであれ」は 「ほとんど見えてもいない」の前の 「ほとんど見ていない」にも かかる(かかっている)でしょうか(すべてがいつどんな場合(とき)も)?