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織田信長の延暦寺焼き討ちは、宗教問題ではなかった?

織田信長の延暦寺焼き討ちは、宗教問題ではなかったんですか?

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  • oska2
  • ベストアンサー率44% (2301/5116)
回答No.2

>織田信長の延暦寺焼き討ちは、宗教問題ではなかったんですか? 実のところ、宗教問題ではありません。 あくまで「朝倉・浅井勢力をかくまった」からです。 当時の比叡山は、2万人近い僧兵(武装した僧侶)がいました。 また、朝廷・幕府に従わず「一種の独立した宗教国家」だったのです。 ですから、朝倉・朝倉残党が逃げ込んだのです。 信長の「引き渡せ!」を無視したので、叡山焼き討ちとなった次第。 ですが、発掘調査などからは「大規模な焼き討ち(全山炎上)ではない」事が明らかになっています。 信長軍(光秀・秀吉軍)と戦った、雑兵が待機した部分的な場所だけです。 また、一般人信者も多数殺された!と古い言い伝えがありますよね。 が、秀吉軍と戦った場所では「多くの老若男女が生きて脱出」しています。 反対に、光秀軍側では「僧兵だけでなく、一般老若男女も殺害」したとの記録が残っています。 信長の命令でも、融通が利く秀吉軍。官僚的に命令を100%実行する光秀軍。 認知症の初期症状(直ぐに怒り出す)が出る前の秀吉が理解できますね。

rameznaam
質問者

お礼

大変詳しく教えていただき、みなさん、ありがとうございました!

その他の回答 (3)

回答No.4

歴史上、宗教の違いによって戦争が起きたことはありません。おおよそ土地争い、水争いなどが主な原因です。

  • gunsin
  • ベストアンサー率32% (416/1291)
回答No.3

比叡山延暦寺は修行者と称して悪僧やごろつきが多数いて、 強大な武力を持った集団となっていて、勝手に関所を設けて通行料 を取ったり、市中に降りて来て商人に嫌がらせをして、金を巻き 上げてなどの悪行、さらに、政治に介在する存在になってました。 平清盛も悪僧達と揉めましたが力不足で、朝廷の裁定に従わら ずを得ず、引き下がりました。 1499年 細川政元が将軍を決め事に、口はさんできた、比叡山 延暦寺を焼き討ちしてます。 最近の調査では信長の焼き討ちは麓の悪僧が巣食う建物を焼いた だけで、本堂などの山頂付近の建物は焼かれた土壌の痕跡が見つ からない事から焼いていないの説が有力になって来てます。 細川政元の焼き討ちの時は、山頂付近の本堂を始めとして伽藍 などが、事如く焼かれたと記録に残ってます。

  • 69015802
  • ベストアンサー率29% (382/1298)
回答No.1

私見ですが 要は従わない敵対勢力を滅ぼしたというだけのことだと思いますが。 僧兵など戦闘力を有しいっぱしの大名並みの力があって敵対してきたからでしょう。戦国時代にはほかにも各地の本願寺系や根来寺などとも戦ってますしね。

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