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イスラーム史について
先日イスラームに関する本を読んだのですが、 3人のカリフが登場して分裂になったあと、再び西アジアに発展していきますよね?! トルコ人の出現やサラディンなど・・・ で、あういうふうに発展していった理由としては何が一番大きな要因だったのでしょうか。 そこらへんに関する考察など聞きたいので、わかるかたお願いいたします。
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3カリフ国鼎立のあと、「再び西アジアに発展していく」というのはtomatooowさんの誤認であると思われますが・・ 確かに3カリフ国のうち西カリフ国(後ウマイヤ朝)は内紛により分裂しいくつもの小国に分かれて衰退に向かいますが、中カリフ国(ファーティマ朝)や東カリフ国(アッバース朝)はその勢力圏を維持したままです。ただ、中カリフ国では一武将から宰相となったサラデインにより政権交代が行われアイユーブ朝に変化しますし、東カリフ国ではブワイフ朝によって政治権力が失われアッバース朝は名目化しますから、衰退したように見えるかもしれません。しかし、イスラム勢力全体としては北アフリカからイラン東部~トルキスタンにかけての領域は保持したままですし、後にはインド~インドネシア地域へもイスラム教は浸透していきます。ですから、「再び発展」したのではなく、勢力を維持していたとみるべきでしょう。 それはともかくとして、中カリフ国においてはサラディンはカリフ位に就きますが、アッバース朝カリフはブワイフ朝に「アミール・アルマウワー(大将軍)」のちのセルジューク朝には「スルタン」という称号を贈ることで政治的な実権を失いますがカリフの地位を宗教的指導者として維持します。おそらく、このスルタン制の創設つまり政教分離を行ったことがが東カリフ国を中心としたこの後のイスラム勢力の拡大の大きな要因でしょう。 また、歴史的に少しさかのぼればイラン地域や地中海沿岸地域は古来から文明が発展し、豊かな地域です。この地域がイスラム化され文化の一体性を持ったこと、そしていわゆるトルキスタンのイスラム化によって騎馬民族であるトルコ人たちがマムルークなどとしてこの地域に進出していくことができるようになったこと自体が政治的にイスラムの勢力維持に役立っていると思います。 単純に言うと、カリフ権の縮小(政教分離)により武力に優れたものが政治の主導権を握るという仕組みができあがったことが勢力の維持拡大に役立ったということです。
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