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イスラム教について
私にはトルコ人イスラム教徒の友人がいます。その友人が先日、「ダーウィンは世界一の間抜けだ」と言い放ちました。曰く、「この世の中の森羅万象、全ての物事は人間のためにある。そしてそれは神の思し召し。従って、人間がサルから進化したわけがない。イスラム教徒の90%以上はそう思っているはず。先進諸国の人々や学者が進化を信じている理由がわからない」との事した。 要するに、イスラム教では生物の進化を否定しているのでしょうか。人間は神の似姿であり、太古の昔にサルであったはずが無い、と。 イスラム教に詳しい方がおられましたら、このあたりの解説をお願い申し上げます。また、イスラム教について知ることができる、素人向けの本などがありましたらご紹介願います。よろしくお願い致します。
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再度の登場です。 前回の回答では誤解を招く表現だったかもしれませんね。 進化論の話しについては、あくまでも「ちなみに・・・」であって 質問に対する回答はそれよりも上段になります。 イスラム教、キリスト教やユダヤ教の根底教義は同じです。 前回も述べましたが、これらの宗教の目的は死後に「約束された地」へ 招かれることを願うことであり、仏教、儒教やヒンドゥー教のような 現世利益を求めるものではありません。 (まあ、浄土宗系は死後救済ですが) この「約束された地」へ迎え入れられるには神の使徒である マホメットが民衆に伝えたコーランの教えを守ることです。 簡単に言えばマンションに入居する際に大家が提示した契約事項を 借主が守れるかどうかということです。大切なのはイスラム教は 神と人との契約によって成立っていることです。この辺は悟りを 開くことによって自らかが成仏するという思想を有する我々 仏教徒ではイメージが難しいかもしれません。 したがって進化という概念がなかった時代においては 何故、生物が存在するのかという哲学的な思想は「神によるもの」と 結論付けるのが極めて合理的です。この概念の基に現在の新約聖書 (新訳ではなくて「新しい契約書」という意味だから新約なんです) コーランは編纂されていますから、人は神が創ったものという 契約事項が記述されている以上、信徒には契約遵守が求められます。 もっとも、コーランも日本国憲法と同じように指導者によって さまざまな解釈がなされています。どんどん、妥協を重ねる宗派も あれば原理主義に回顧する宗派もあります。一般的には 熱帯系(インドネシア等)のイスラム教徒は穏健で 砂漠系(中東等)では厳格と言われています。戦争や食料問題等 生活が困難なほど強い信仰心が生まれるためと言われています。 では、イスラム教徒の生物学者は進化論をどう思っているんでしょう。 ちょうど私の隣の隣の机にバングラディッシュの生物学者がいるので 聞いてみました。まあ、彼はタンパク工学が専門なので進化論は 専門外なんですが、彼曰く「サイエンスはいままでの積み重ねで あって真実ではない」とのことでした。これには私も同感です。 一般の方はよく「科学的かどうか」を問題にされますが、 科学者ほど科学的をうさん臭く思っています。 (物理学者は知らないが生物学者はそう) 生物学というのは現象に対する合理的な結論、 もっと言えば概念なんです。論文では断定されるような記述は あまりしません「だろう、かもしれない、示唆される」等 そうだ、ではなくて、そういう可能性があるだけなんですね。 私の専門の発生学においても受精卵という概念は最近のもので 昔は精子の中に人間の種が入っていてそれが母体内で成長する という説が有力だったりします。 つまりイスラム教徒の学者は「いままでの実験の積み重ねで 進化という考え方が合理的であると解釈しているが、 それが真実かどうかは分らない」というものです。 まとめると、イスラム教は契約宗教なので神が提示した契約書を 信徒は守らないと天国へはいけない。その契約書が編纂された時代では 進化という概念はなく、イスラム教において生命は進化するのかという 見解は存在しない。しかし、指導者のコーランの解釈によっては 許容される可能性もある。 蛇足ですが、生物学者のはしくれとして進化論についても 言わせて下さい。自然淘汰説に関しては万全とは言えない、 むしろ進化との関連は薄いと思われています。また、中立説に関しては 分子進化のことであり、形態進化には適用できません。結論的には 進化論はいまだに大論戦の最中であって、何故、進化したのかは よく分らないというのが学者の意見です。トルコの友人にお伝えください。
その他の回答 (3)
日本語訳のコーラン(岩波文庫・全3巻)には「アッラーは最初の人間アーダム(旧約聖書のアダム)を、土に自らの精液を加えて作った」という記述が何度も出て来ます。 ところでコーランに書かれているのは、全てイスラム教の唯一神アッラーの言葉です(ムハンマド〔マホメット〕の体に降りたアッラーが、彼の口を借りて民衆に語りかけている)。したがって、進化論を認めることは、コーランの否定=アッラーの否定になりますから、イスラム教徒としては断じて認められないのでしょう。
- noribou11
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先進国諸国といってもカトリック系の国(アメリカ等)でも 進化論は否定されていますよ。実際にPTAが学校で進化論を 教えるなという運動は盛んですからね。 逆にプロテスタント系の国(イギリス、ドイツ等)では 伝統的に生物学が盛んです。遺伝学でいえばナチスが利用した 優性学(遺伝的に劣っているものは社会的に差別して当然)も 元はイギリスだし、クローン羊もやっぱりイギリスです。 で、イスラム教はどうかというとカトリックと同じ思想です。 イスラム教とキリスト教というと正反対のようなイメージがありますが 双方とも旧約聖書を基にしているため宗教としては違いはありません。 同じ仏教でも日蓮宗が禅宗を「禅天魔」と呼び、浄土宗には 「無間地獄に落ちろ」と言っているのと同じですね。 これらの宗教は人と神の契約によってなりたっています。 イスラム教であればコーランが神との契約書になるわけで、 人は契約内容を実践することにより死後は約束された国へ 旅立てるわけです。したがって進化という概念がなかった時代に 編纂された聖典では天地創造は神によるものであるという 考え方の方が合理的かつ科学的なんですね。 ちなみに学者がダーウィンの進化論を信じているかというと ほとんどの学者は信じていません。わずかにネオダーウィニストと 呼ばれる一派が信仰しているだけですね。更に「ヒトがサルから 進化した」なーんてことは生物学者は誰も信じていません。 正確には「ヒトとサルは共通の生物から分岐していったもの」です。
お礼
おっしゃる通り、ダーウィンの進化論が信じられている例は少ないと思います。しかし自然淘汰よって種が変化(進化?)する事は明らかです。現在は、進化を説明する際、自然淘汰説と中立説を複合して説明されるようですね。 ただ、今回の私の質問では、ダーウィンの進化論の是非、ではなく、生命は進化するのかどうか、という点について、イスラム教の見解を知りたいと思っていた次第です。 世界最大の宗教であるイスラム教において進化が否定されていることに大変興味を引かれましたので、質問を投稿させて頂きました。御回答ありがとうございました。
- hirakawa
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私は専門的に知っているわけでもないし、本格的に調べたわけでもないことを最初にお断りしておきます。(ただし、いろいろな環境の方とお話する機会は何百倍もありますが…) 別に不思議なことではありませんよ。 キリスト教でもヨハネ パウロ二世が、太陽の回りを地球が回っているという事実を認め、ガリレオとかコペルニクスに謝罪したのはほんの十数年前ですからね。(私、ライブでテレビで見ましたよ。今謝罪してどーすんの?ー爆) 同じ経典を使っている宗教なのでそういったことは当たり前と考えたほうが良いのでは? イスラムの場合は、結構厳格な宗教なのでトップがゴーサインを出さないと末端は(実は解っていながらも)トップの考えに従うしかないのではないのかとも思えます。 別にイスラムが嫌いなわけではないのですが(友達いますよ)科学的にできる核兵器は、イスラムの論理科学?(そんなのあるのかな)ではどう考えても実現不可能な兵器ですね。
お礼
地球が太陽を回っている事については、明確な証拠がある。しかし進化については物証が無い。従って、進化を証明することはできず、全ては神の思し召し。、、、という事を、友人のトルコ人が言っていました。 私自身宗教には疎いのですが、イスラム教徒を見ていると、人任せならぬ神任せ、な点が多いのに違和感を感じます。 しかし、、、森羅万象が神の思し召しにより人間の為にあるとするならば、なんでブタを食べないんでしょうね。イスラム教徒は。
お礼
非常に分かりやすい御回答、どうもありがとうございました。頭の中のモヤモヤが整理されてきた気分です。 友人のトルコ人曰く、「例えば宇宙の果てはどうなっているのか?証拠はあるのか?この世には人間の知恵の及ばぬ世界が必ず存在し、それらはBecause of God」だそうです。太古に編纂された聖書やコーランにおいて、人知の至らぬ領域は神の領域と認識された事柄が、現在の信者にも受け入れられている事が興味深いです。 ときに、noribou11様は生物学者さんなのですね?失礼にあたるかもしれませんが、なにやら親近感を感じてしまいました。私は生物学者では無いのですが、生物学科の修士過程を卒業し、大学では発生学を専攻しておりました。 「科学的」という表現に眉をひそめる感覚は、全く同感です。科学と名を打てば格好がつく、という風潮にもうんざりしてしまいます。そのように感じている昨今、イスラム教徒のトルコ人の話を聞くと、物事を大局的にとらえている感じを受ける事もしばしばあり、ますます興味をそそられてしまいます。 今回はいろいろとご丁寧にありがとうございました。本当に助かりました。 ついでで恐縮ですが、自然淘汰説と進化の関連が薄い、という内容について興味を持ちましたので、noribou11さんの御意見をお聞かせ願えないでしょうか。本項とは趣旨が異なりますので、okweb「理系の学問」「生物」の項に新たに質問を投稿いたします。よろしくお願い申し上げます。