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塩焼王
塩焼王、氷上塩焼って本名ですか?敵対者につけられた名前ですか?どういう意味、由来ですか?魚の塩焼きを連想します
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この時代の皇子女の名前は、養育にあたった乳母などの氏族名からとられる場合が多いと考えられています。 たとえば阿倍内親王(孝謙・称徳天皇)の名は、『続日本紀』天平勝宝元年(749)七月三日の記事に、天皇の乳母として阿倍石井の名が見えることから、その氏族名「阿倍」からとられたとされています。 ただ「塩焼」という氏族名の存在は知られていないので、塩焼王の名が同様の養育氏族名由来かどうかはわかりません。似たような名で塩屋氏なら『新撰姓氏録』にあります。 ちなみに関係あるかどうかわかりませんが、伊勢神宮に仕える神官のなかに「御塩焼(みさき)」という役職があります。平安時代の『延喜式』では単に「塩焼」と表記されています。 <参考> 告井幸男「名代について」 http://repo.kyoto-wu.ac.jp/dspace/bitstream/11173/1496/1/0030_071_001.pdf コトバンク「大物忌」 https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A7%E7%89%A9%E5%BF%8C-450977
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- staratras
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「塩焼王」「氷上真人塩焼」は正史である「続日本紀」にも登場する正式な名称です。 塩焼という言葉から「魚の塩焼き」しか思い浮かばないのが現代人の大半かも知れませんが、昔の人は「海水を煮て塩を製すること・また、それを業とする人」(これは「広辞苑」の塩焼の項目の①)をまず考えるはずです。広辞苑には「伊勢物語」の「蘆の屋の 灘の塩焼 いとまなみ 黄楊の小櫛も ささずきにけり」という歌が用例として引かれていました。昔は今の芦屋市や神戸市(灘区)にかけての海岸でも製塩が行われていたらしいことがわかります。生きるための必需品である塩を生産することは生活に欠かせない重要な産業であり、「塩焼」には別に悪い意味はありません。 余談ですが、海水を煮詰めて塩を作るのになぜ塩を焼くというかと言えば、その前段階として海藻に海水をかけて乾かしたものを焼くという工程があったからでしょう。 来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くや 藻塩(もしほ)の 身もこがれつつ(百人一首にも入った藤原定家の有名な歌)