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梅干し婆

高齢女性を嘲って標記のように言いながら、 高齢男性に「梅干し爺」と言わぬのは、これ如何に? 

みんなの回答

  • staratras
  • ベストアンサー率41% (1499/3652)
回答No.5

「梅干しと ふすまが 寄て銭を投げ」という江戸時代の川柳(柳多留 第三)があります。 「梅干し」はしわだらけの、「ふすま」(麸)はしみだらけの老人のことで、寺院の説法を聞きに集まった大勢の年寄りが賽銭を投げている情景を描写したものです。「梅干し」のほうは「婆」が何とか健在ですが、「ふすま」と聞いてシミだらけの老人を想起できる現代人は皆無に近いでしょう。それどころか「ふすま」といえば日本家屋の間仕切りの「襖」の意味しか知らず、「麸」を知らない人が大半です。 「たとえ」が理解されるには「たとえるもの」がありふれていて世間の誰でもが知っている必要があり、老醜の比喩にも栄枯盛衰があることがわかります。 ここから本題です。なぜ梅干婆は残って、梅干爺はすたれてしまったのか。もとより「正解」が存在する性質のものではありませんが、「こうも考えられる」という回答です。 一つは社会に根強かった「女性の容姿を話題にしたがる」男性優位の発想です。たとえ高齢になっても女の容姿を話題にする場合のほうが男の容姿を話題にする場合より多く、男性の高齢者の容姿を話題にすることが少ないため、梅干親父・梅干爺の出番も自然に少なくなって忘れられていったのではないか、という仮説です。将来「女性の容姿を話題にすることが回避される」世間の傾向がさらに強くなれば、梅干婆も死語になるかも知れません。 もう一つは、両者の使われ方の違いです。梅干爺の用例を見ると、他者に対してではなく自分に対して使用している場合が梅干婆の用例より多いように感じました。それも単なる自嘲ではなく、「今でこそこんな梅干爺だが若いころはもてた」というような屈折した使われ方です。このような使われ方は本人が「梅干」だと認めなければありえませんので、平均寿命が伸びて「高齢者」の基準が次第に上がるに連れて「梅干年齢(?)」もあがって使われなくなったのかも知れません。梅干婆が残っているのは女性の方が長寿で「梅干年齢」以上に生きる人が男性より多いから、ということになります。 「村の渡しの船頭さんは 今年六十のお爺さん 年は取っても お船を漕ぐときは 元気いっぱい櫓がしなる」という童謡を歌っていた昔と、60歳でも働いている方が普通になりつつある現在とではすべてが違うでしょう。この違いが梅干爺という言葉が死語に近くなっていることの背景でもありそうです。

gesui3
質問者

お礼

重ねての回答で二つの仮説追加のご提案をありがとうございます。 1,女性の容姿が揶揄されやすいから。 2,女性の方が長寿化が著しいから。 1については、なるほどと思いました。 2は、長寿化は梅干し化をも延引するので、根拠に乏しいと感じますが如何でしょうか。 むしろ、NO1の回答の「戦争の影響」が自分の中で復活して来ています。つまり、 昔から男女共に高齢化すると「梅干し」と揶揄され文献にも載っていたが、昭和の広辞苑の頃には日中戦争から大戦Ⅱの間に多くの男性が死に、長寿に達する男性が激減したため、言葉としても忘れられていったから。 いったん滅びた言葉は平和になっても復活せず、多くの高齢男性がいるにもかかわらず、また栄養状態が良いことも手伝って、現在も死後のまま。 こんなふうにも考えられるのです。 もしそうならば、NO1さんにベストアンサーを出すべきですが、しかし昔からあった文例をご教示いただいた貴方の功績も極めて大きく、決めかねている所です。

gesui3
質問者

補足

誤:現在も死後のまま。 正:現在も死語のまま。      ^

  • staratras
  • ベストアンサー率41% (1499/3652)
回答No.4

最近はあまり使われないようですが、昔は「梅干爺」という表現もよく使われています。国会図書館のデジタルコレクションで「梅干爺」で検索すると259件ヒットしました。 「ことばの泉日本大辞典」(明治31年)では「うめぼしおやぢ梅干爺」の項があり。「年老いて梅干しの如く皺のよりたる體の男をののしりててよぶ語、をいぼれ」とありました。 また「頓智滑稽 大久保彦左衛門」(雪下山人著 大正8年出版)の四十一は「寛永御前試合 此の梅干爺」という章で「このうめぼしおやぢ」とルビが振ってありました。 また青空文庫で検索すると次の用例がありました。(「春心」 田中貢太郎 昭和9年) 「あの女って、水神様のことだろう、今まで私の傍にな、こんな梅干爺でも平生の心がけがいいからな、神信心をして、嘘を吐かず、それでみだらな心を起さずさ、だから神様が何時でもお姿を拝ましてくださるのだ、あのお池の中に祭ってござる水神様だ」

gesui3
質問者

お礼

ををを・・・。 一見落着かと思いきや、意外な事実発覚! 一昔前は、高齢男性も梅干しと嘲られていたのが、 近年は言われなくなり広辞苑でも女性への使用例が 載った、ということらしいです。 よくぞ、ここまでお調べなさった。。。脱帽。 ではなぜ、近年、男は言われなくなってきたのかー。 謎は迷宮へ。

回答No.3

私の経験では、シワシワ度が大きいのは女性の方だね。 なので梅干し爺とはなかなか言わない。

gesui3
質問者

お礼

なるほど! 身体の体脂肪率は明らかに女性が高く、 高齢化で脂肪が減るとその分だけ皺が多くなる。 それで、女性が嘲けられるときは、古来そう言われる のですね。 男性なら、骨太なので、皺では嘲られず、 「老骨」とか「糞~」「もうろく~」などと言われる のかもしれません。 身体的差異に起因するものでした。 謎が解けた気がしてスッキリしました。ありがとう。

  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10007/12518)
回答No.2

>高齢女性を嘲って標記のように言いながら、 高齢男性に「梅干し爺」と言わぬのは、これ如何に? ⇒なるほど、言われてみれば変なことですね。皺の多い高齢女性が梅干し婆なら、同じく皺の多い高齢男性は「梅干し爺」のはずですよね。…単なる私の推測ですが、平均寿命の差で、皺が目立つほどの高齢まで生きている男性が少なかったからかも知れませんね。個人的には居たでしょうけど、平均の率が少なかった、ということではないでしょうか。「姥捨て山」があって「爺捨て山」がなかったというのも、その一端を示す証左と言えるかも知れません。欧米で「魔女狩り」が流行ったころ、「魔男狩り」ということはほとんど話題に上らなかった、ということもそれと通底する現象ではないかとも想像されます。「洋の東西を問わず、男は早死にだった」ということでしょうか!?

gesui3
質問者

お礼

「洋の東西を問わず、男は早死にだった」というところで、前の回答者様と被るのですが、 「戦で」というのは違う気がしてきました。 なぜなら、広辞苑には、浄瑠璃に既にこの言葉の用例があることがひいてあり、平和な江戸時代に男は戦で死ななかったからです。

  • WDY
  • ベストアンサー率27% (134/487)
回答No.1

しわしわになる前に戦で死んでるからじゃないですか?

gesui3
質問者

お礼

南無阿弥陀仏・・・

gesui3
質問者

補足

貴説が正解であったかもしれません。 ありがとうございました。

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