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新田義貞が稲村ケ崎を渡った日時の月の満ち欠けという
1333年鎌倉攻めを行った新田義貞の軍勢が、稲村ケ崎を夜襲して鎌倉に入ったということですが、新月なら無理なはず?です。この時の月齢というのは分かっているのでしょうか?
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稲村ケ崎の戦いは5月21日に行われたと記録にあります。当時は旧暦なので、月齢の暦となります。 1日が新月、15日が満月で、30日でほぼ新月に戻ります。 21日なので、満月から6日くらい過ぎた状態ですね。7割くらいは出ている感じでしょうか。それだけあれば十分夜間は見通しが効いたと思いますよ。
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- staratras
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国立天文台の暦計算室>こよみの計算というサイトで計算してみたところ、和暦元弘三年五月二十一日(西暦=ユリウス暦1333年7月3日)の鎌倉における月の出は22時45分、正午の月齢は20.0でした。 https://eco.mtk.nao.ac.jp/cgi-bin/koyomi/koyomiy.cgi 仮に満月ころだったとすれば一晩じゅう明るいので防御側も警戒するでしょうから、かえって夜襲には不向きかも知れませんね。
お礼
なるほど!満月に近いということですね。
- gunsin
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NHK歴史探偵で放映してました。 強い西風が吹くと、自転力と合わせると、海岸線が現れると言う 事でした。 ドックに疑似の地形を造り、実験した結果、科学的には可能の結論 でした、吾妻鑑の記述にも、陸地側では強風で寺などが燃えた と有り、更に海岸を防御する鎌倉郡軍の船は沖に流され、弓矢 が海岸に届かなかった。 これらの記述から強い西風が吹いていて、通常では現れない 海岸線が現れた可能性が有るとの、今までには無かった事柄を 披露してました。 新田義貞が地元の漁師から、この事象を聞いていて、刀を投げ 入れたのかと想像して、赤壁の戦いの諸葛亮孔明の姿が重なって 浮かびましたです。
お礼
なるほど!そういう自然現象的条件も付随してきますね!
お礼
なるほど!では夜襲も可能ですね。