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教養で人生は決まってきますか。

過去にいじめの対象になっていて、恋愛も出来ず、低俗な文化に浸り生まれや育ちに問題があったと思われる人間はその後どうなると思いますか。 日本人は昔は、お天道様が見てるという考えがあって悪意のあることはしませんでした。 儒教の教えは現代の日本では年輩者と教養のある方だけのものになってしまったのでしょうか? 教養として知識と経験は人生でどのように影響してきますか? 道の先をいく方々にお答えいただきたいです。 お願い申し上げます。

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  • Nakay702
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回答No.1

以下のとおりお答えします。 >過去にいじめの対象になっていて、恋愛も出来ず、低俗な文化に浸り生まれや育ちに問題があったと思われる人間はその後どうなると思いますか。 ⇒悩ましい問題ですね。聖書の教えに「天はみずから助くる者を助く」というのがありますが、その「みずからを助ける」のもおぼつかないままでいると、pecking order「突きの順番とかいう名の、過酷な自然淘汰」の犠牲になりかねませんね。 しかし、他方、「天は二物を与えず」という別の諺の意味を最大限に生かすべく、自分の強みを見出して磨きをかけるなどして、たくましく生きることを考えたいものです。 >日本人は昔は、お天道様が見てるという考えがあって悪意のあることはしませんでした。儒教の教えは現代の日本では年輩者と教養のある方だけのものになってしまったのでしょうか? ⇒そういう傾向があるかも知れませんね。論語に「学びて思わざれば即ち暗し。思いて学ばざれば即ち危うし。」というのがありますが、確かに、考えながら学ぶことで、迷信や妄念、つまり、「危険から脱却する道」が開けるように思います。 しかし、現代の日本では「そういう説教がましいことはお呼びでない」といった風潮があるような気がします。まして、儒教の伝統的な教えたる「道統を貴ぶ」などはむしろ旧弊として、時にハラスメントなどの元凶として忌避されていることは明らかです。 >教養として知識と経験は人生でどのように影響してきますか? ⇒日本では古くから儒教の教えが取り入れられ、江戸時代にはその後身たる朱子学が盛んだったようですね。その朱子学の祖、朱熹の「少年老いやすく学成りがたし」で始まる七言絶句は、口調もよく内容も深いものがありますので、私も子どものころ好んで暗唱したものでした。 ところで、今日、教養としての知見や経験は、大学でも「イッキョウ」とか「パンキョウ」とか言われて軽視される傾向が一般のようですが、西洋で言うこのリベラルアーツこと一般教養こそ、「精神を涵養し、総合的人間力を身に着けるための基本部分」を担うものとして尊重したいと思います。

noname#254462
質問者

お礼

大晦日の晩です。 年を越さないようにお礼を書かなければなりません。激動の一年でしたが学びなりました。 世の中の方のマイナスのになるようなことは避けなければなりませんでした。 お礼をしっかり書けません。 どうかおわかりくださると幸いです。 どうもありがとうございました。

noname#254462
質問者

補足

リベラルアーツのWikipediaを貼ってわたしの大晦日の質問を終わりにしたいと思います。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%99%E3%83%A9%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%84

その他の回答 (2)

  • 5555www
  • ベストアンサー率48% (143/293)
回答No.3

令和4年の最期の日に、大変興味深いご質問だったので、少し考えてみました。 教養で人生は決まってきますか。……そもそも「教養って何だ」、とか「人生って何だ」という疑問はあるのですが、誤解を覚悟のうえで回答を試みます。 結論から言うと、人生のほんの一部分は、「教養で決まることもあるかも」という気持ちはします。ただそれだけのことです。 過去にいじめの対象になっていて、恋愛も出来ず、低俗な文化に浸り生まれや育ちに問題があったと思われる人間はその後どうなると思いますか。……いろいろだと思います。 人に限りませんが、生き物がどのように育つかというのは、3つの要素があるように思います。 1. 生まれときから親から引き継いだ遺伝子で苦しむ子がいると思います。 2. 生まれた環境が良くなくて苦しむ子がいると思います。 3. 上の2つに問題がなくても、育ててくれるはずの親が良くなくて苦しむ子もいると思います。 いろいろだと思います。ただ、「人」の場合には、3つの苦難を、「本人の強い志」で乗り越える人もいます。もちろん乗り越えられない人もいます。いろいろだと思います。 日本人は昔は、お天道様が見てるという考えがあって悪意のあることはしませんでした。 儒教の教えは現代の日本では年輩者と教養のある方だけのものになってしまったのでしょうか?……難しいというか、正解もないし、回答さえも困難だと思いますが、わたしは、いつの時代にも、「悪意のある奴」はいたと思いますね。 教養として知識と経験は人生でどのように影響してきますか?……回答にはなりませんが、「教養なんて、人生のほんの一要素に過ぎない」と思うし、「教養」ということが気になるのであれば、「自分の人生にとっての教養って何だ、そしてどのように生かせばよいんだ」ということを問いかけることが「まさに人生」というような気がします。 道の先をいく方々にお答えいただきたいです。……「道の先をいく方々」には該当しませんが、おそらく776Weさんよりも年長だと思うので、ご質問のことを考えてみました。

noname#254462
質問者

お礼

令和4年の最後のわたしの質問に対して身に余ることです。 ご回答くださったことはどんなにありがたいことか実感しています。 教養がとは何か。人生とは何か。 教養で決まることは一部ですね。 育ちやその他のことは今回は申し訳ないですが省きます。 日本人はお天道様が見ててもそれぞれです。 皆さま考え方や環境が異なりますね。   この度は本当に嬉しい回答をいただけました。 まことにありがとうございました。

  • head1192
  • ベストアンサー率20% (162/786)
回答No.2

知識と経験を社会生活を送るうえで上手く使う力が教養である。 いくら知識と経験があっても、それだけで教養が高いとは言えない。 そして教養があっても、それが人間関係ひいては人生の成功にダイレクトに結びつくほど人生は甘くない。 人生の勝者になりたいなら、自己変革は避けて通れない。 本を読んだだけでは変革したことにならない。 本の内容が心になり身になり「そのように考え振舞うことが自然になる」ことが変革である。 今までの自分を捨てるくらいの覚悟である。 体験も同じ。 頭の中でぐちぐち考えているうちは、何も変わらないし変えられない。

noname#254462
質問者

お礼

いつもありがとうございます。 ご指導いただいたことは忘れません。 このサイトの方々はありがたいです。

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